【補給の鎖】
朝の陽光が、リトルベースの赤茶けた大地を照らしていた。
昨夜の祝宴から一夜明け、基地はいつもの日常を取り戻しつつあった。兵士たちは早朝から点検や訓練に励み、格納庫では整備兵たちがルプス・インパルスの残りの点検を続けている。フレンダは厨房で、昨夜の残り物を活用した軽い朝食の準備をしていた。
「大尉、おはようっす」
ミカが作業服姿で厨房に入ってきた。彼女の青い瞳には、昨夜の疲れがわずかに残っている。
「おはよう、ミカちゃん。朝ごはんは軽めだけど作ったよ。シチューの残りでスープにしてみた」
フレンダは明るく微笑みながら、鍋を軽くかき混ぜた。湯気は立ち上っているが、昨夜ほど豊かな香りはしない。材料が限られているからだ。
ミカはそれを一口すくい、静かに味わった。
「……美味しいっす」
「本当?ちょっと薄味になっちゃったけど」
「十分っす。大尉の料理は、味より『温かさ』が大事っすから」
二人は軽く笑い合った。
しかし、その笑顔は長くは続かなかった。
司令室に緊急通信が入ったのは、朝の点呼が終わった直後だった。
「補給管理部より、緊急連絡です」
通信士の声が張りつめていた。
ミカはデスクの前に立ち、ホログラム画面を見つめていた。そこに映っていたのは、昨日のハワード・クレインだった。
「おはようございます、ミカ少佐。早速ですが、本日の補給物資についてご連絡があります」
ハワードの声は、相変わらず丁寧だった。
「昨夜お伝えした『特別予算』と追加物資についてですが……本部での審査がまだ完了していないため、今回は一部を保留とさせていただきます。フレンダ・ディーコン大尉の検査に関するご返答をいただければ、すぐに手続きを進められますが」
ミカの表情が、わずかに強張った。
「保留とは?具体的にどの程度っすか」
「今回の輸送コンボイのうち、食糧と部品の三分の一を一旦止めさせていただきます。残りは通常通り届けますが、検査のご協力が得られなければ、次回以降も同様の対応を取らざるを得ません」
ミカは歯を食いしばった。
「それは、明らかに恫喝っす」
「いいえ、事実をお伝えしているだけです。リトルベースの功績は認められています。だからこそ、早期の解決を望んでいるのです」
ハワードはそこで少し声を落とした。
「フレンダ大尉が検査を受けていただければ、補給は即座に通常以上に増えます。基地の兵士たちも、民間人の方々も、もっと豊かな食生活を送れるでしょう。少佐も、それを望んでいるはずです」
ミカは無言で通信を切った。
司令室に、冷たい沈黙が落ちた。
「……くそっす」
彼女は珍しく、声を荒げた。
その情報は、すぐに基地内に広がった。
午前中の補給物資の到着が遅れているという連絡を受け、整備班や兵站担当の兵士たちが慌ただしく動き始めた。食糧倉庫では、在庫の確認が行われていた。
フレンダは、厨房の入り口に立ってその様子を眺めていた。
「大尉……」
後ろから、リチャード整備班長が声をかけてきた。いつもの油まみれの作業服姿だった。
「どうやら、補給が一部止まってるらしいんですよ。食糧の到着が遅れてるって話です」
「……そうなんだ」
フレンダの声は、いつもより少しだけ沈んでいた。
彼女はゆっくりと食糧倉庫に向かった。そこには、昨夜まであったはずの大きな袋や缶が、明らかに減っていた。兵站担当の兵士が、在庫リストを見ながら頭を抱えていた。
「大尉……申し訳ない。今日は少し、食事の量を減らさないといけなくなります」
フレンダは小さく頷いた。
「わかった。できるだけ無駄なく使おう。残り物も全部活用するから」
彼女はそう言うと、すぐに厨房に戻り、今日の献立を考え始めた。
昨夜の大量のシチューとは違い、今日は野菜を細かく刻み、少ない肉で味を伸ばす方法を思いついた。
しかし、手を動かしながら、彼女の胸の奥では、静かに痛みが広がっていた。
(せっかく、みんなが笑ってご飯を食べられるようになったのに……また、こんなことになるなんて)
フレンダは鍋の底をじっと見つめた。
彼女が守りたかったのは、華やかな勝利でも、大きな功績でもなかった。
ただ、基地の兵士たちが「お腹いっぱい」になって、温かいものを食べられる日常だった。
それが、今、再び脅かされようとしている。
午後、ハワードとレイチェルが再びリトルベースを訪れた。
今回は、補給物資を積んだ輸送車を二台だけ連れてきていた。明らかに、昨日の半分以下の量だった。
格納庫の一角で、ミカと二人は向き合った。
「昨夜の連絡通り、今回はこれだけになります」
ハワードは穏やかに微笑みながら言った。
「フレンダ大尉の検査に関するご返答をいただければ、残りの物資もすぐに手配できます。どうか、賢明な判断を」
ミカは静かに、しかしはっきりと答えた。
「大尉本人の意思を尊重するっす。強制はできないっす」
「それは残念です。ですが、我々にも立場があります。補給を管理する以上、効率的に運用しなければなりません」
レイチェルが初めて口を開いた。彼女の声は冷たい。
「リトルベースは、最近目覚ましい活躍をしています。ですが、その活躍の裏には、常に本部の支援があったことを忘れないでください。支援がなければ、ブロッケードアイビーとの戦いも、あそこまで上手くはいかなかったでしょう」
ミカの瞳が、わずかに鋭くなった。
「それは、事実っすか?それとも、脅しっすか」
「事実です。少佐」
ハワードが穏やかに続けた。
「検査は、大尉のためでもあります。彼女の特殊な体質を正しく理解し、適切な環境で運用できれば、彼女自身もより安全に戦えるようになるでしょう。リトルベース全体の戦力向上にも繋がります」
フレンダは、少し離れた場所からそのやり取りを聞いていた。
彼女は無言で、輸送車から下ろされた少ない物資を見つめていた。
米の袋が二つ。保存食の缶がいくつか。野菜は昨日より明らかに少ない。
(これじゃ、みんなが満足にご飯を食べられない……)
フレンダの胸の奥で、何かがじわじわと熱を帯び始めた。
それは怒りではなかった。
ただの、寂しさと無力感に近いものだった。
夜、再び厨房でミカとフレンダは向き合った。
今日は、少人数で食べるための小さな鍋が一つだけだった。兵士たちには、残り物を分け与える形になった。
「ミカちゃん……ごめん」
フレンダが小さく呟いた。
「何がっすか、大尉?」
「私が検査を受ければ、みんなが普通にご飯を食べられるのに……って、思っちゃう」
ミカは静かに首を横に振った。
「大尉がそう思う気持ちは、わかるっす。でも、それは罠っす」
「罠?」
「深淵の連中は、大尉の体を『価値がある』って判断したっす。一度本部に連れて行かれたら、二度と戻ってこられない可能性が高いっす。彼らは金と権力のために動いてる。検査が終わった後も、『もっと詳しく調べる』って理由で、ずっと拘束するつもりっすよ」
フレンダは、鍋の中のスープを静かにかき混ぜた。
「……ミカちゃんは、私を守ってくれるの?」
「当然っす。大尉は、私の大事な戦友っす。誰が相手でも、渡すつもりはないっす」
フレンダは、ゆっくりと顔を上げた。
彼女の碧眼には、いつもの明るさとは少し違う、静かな決意が宿っていた。
「じゃあ、私も戦うよ。みんなが温かいご飯を食べられる世界を守るために」
ミカは無言で頷いた。
二人の前で、鍋からゆっくりと湯気が立ち上っていた。
その湯気は、いつものように温かかったが、今日だけはどこか儚く感じられた。
朝の光が、司令室の窓から差し込んでいた。
リトルベースは、昨日から明らかに空気が重くなっていた。
補給が一部保留された影響で、兵士たちの表情には疲れと不安が滲んでいる。厨房ではフレンダが、少ない材料でできるだけ多くの人に温かいものを届けようと、朝から動き回っていた。
しかし、彼女の笑顔は少しだけ影を落としていた。
「大尉、ちょっと話があるっす」
ミカが、厨房の入り口で静かに声をかけた。
フレンダは鍋から手を離し、ミカの顔を見上げた。
彼女の碧眼には、昨夜からずっと消えない翳りがあった。
「……うん。どこで話す?」
「メイも交えて、ルプス・インパルスのコックピットで。機密性の高い話になるから」
フレンダは小さく頷いた。
ルプス・インパルスは、格納庫の奥で静かに鎮座していた。
フレンダがシートに座ると、すぐにメイの声が響いた。
《おはようございます、フレンダ。ミカ少佐も》
「おはよう、メイ」
ミカはコックピットの入り口に寄りかかるようにして、腕を組んだ。
「大尉。昨日話したことの続きっす。……本当のことを、全部話すっす」
フレンダは静かに目を伏せた。
「私の体のこと、だよね」
「はい」
ミカは少し息を吸い、言葉を続けた。
「大尉は、元々『検体F』として作られたクローンっす。癌細胞の化け物と恐れられたフレデリカ・マーキュリーの体細胞を基に、白堊理研の研究で生み出された存在っす。普通の人間とは違う、極めて高い再生力とヘキサグラム耐性を持ってるっす」
フレンダは自分の両手を、じっと見つめた。
「……知ってるよ。昔から、なんとなく感じてた。傷がすぐに治ったり、疲れにくいってこと。ミカちゃんやメイが、必死に隠してくれてたのも、なんとなくわかってた」
メイの声が、優しく響いた。
《フレンダが傷つくのを、なるべく避けたかったのです。ですが、もう隠し通せない状況になりました》
ミカが続けた。
「今回のブロッケードアイビー戦で、大尉とルプス・インパルスが発揮した性能が、深淵の連中に目をつけられたっす。彼らは大尉の体を『軍事利用価値の高い生体サンプル』として欲しがってる。検査と言ってるけど、本当の目的は、大尉を拉致して研究材料にすることっすよ」
フレンダの肩が、わずかに震えた。
「私が……特別だから、みんなが狙われるんだね」
彼女の声は、いつもの明るさとは明らかに違っていた。
「私がここにいなければ、補給も普通に戻るかもしれない。みんなが、もっと安心してご飯を食べられるかもしれないのに……」
「大尉」
ミカの声が、珍しく低く、強く響いた。
「それは、違うっす」
フレンダが顔を上げると、ミカの瞳が真っ直ぐに彼女を捉えていた。
「大尉が特別なのは事実っす。でも、それは『負担』じゃないっす。大尉がいるからこそ、リトルベースはここまで戦えてきたっす。ブロッケードアイビーを倒せたのも、ルプス・インパルスがあそこまで強くなれたのも、大尉とメイが一緒に戦ったからっす」
ミカは一歩踏み出し、フレンダの肩に手を置いた。
「大尉が『自分が特別だからみんなが危険になる』って思う気持ちは、痛いほどわかるっす。でもそれは、逆っす。大尉がここにいてくれるから、みんなが笑ってご飯を食べられる。温かいシチューを分け合える。戦いの後で、安心して眠れる」
フレンダの瞳に、ゆっくりと涙が浮かんだ。
「ミカちゃん……」
「大尉を、ただの『検体』として扱わせるつもりはないっす。誰が相手でも、絶対に守るっす。それが、私の司令官としての仕事であり、戦友としての約束っす」
メイの声が、静かに重なった。
《私も同じです、フレンダ。ロード・インパルスで一度、フレンダを守るために自分のコアを移したように、今度も全力で守ります。フレンダが『特別』だからこそ、守る価値があるのです》
フレンダは、両手で顔を覆った。
「……ごめん。弱いこと言っちゃって」
「弱くないっす。大尉が自分を責める気持ちも、ちゃんと理解してるっす。でも、大尉は一人じゃないっす。私とメイがいる。リトルベースのみんながいる」
ミカは少し声を柔らかくした。
「大尉が守りたいと思ってる『温かいご飯を食べられる日常』は、大尉がここにいるからこそ、守れるものっす。もし大尉が自分を犠牲にしたら、みんなが本当に悲しむっすよ」
フレンダはゆっくりと顔を上げ、涙を拭った。
彼女の碧眼には、さっきまでの翳りとは違う、光が戻りつつあった。
「……うん。わかった」
彼女は深く息を吸い、はっきりと口を開いた。
「私は、戦うよ。みんなと一緒に。ミカちゃんやメイが守ってくれるなら、私もみんなを守る側に立つ。私の体が特別なら、それを武器にして、みんなが安心してご飯を食べられる世界を守る」
ミカが、わずかに目を細めた。
「本気っすか、大尉」
「本気だよ。逃げて、自分を責めてるだけじゃ、何も守れないもん」
フレンダはコックピットの操縦桿に手を置いた。
「ルプス・インパルスも、メイも、私の大事な相棒だよ。一緒に戦おう」
《はい、フレンダ。いつでも準備はできています》
メイの声に、わずかな喜びが混じっていた。
ミカは、ゆっくりと頷いた。
「わかったっす。なら、私も全力で支えるっす。大尉が戦うと決めたなら、司令官として、できる限りの環境を整えるっす」
フレンダは、ミカに向かって小さく微笑んだ。
「ありがとう、ミカちゃん。……ご飯、作るの手伝ってくれる?今日も、みんなに少しでも温かいものを届けたいんだ」
「もちろんっす。大尉の隣で、皮むきくらいはやるっす」
二人は小さく笑い合った。
コックピットの中に、静かだが確かな温もりが満ちていた。




