【温かいシチュー】
朝の食堂は、少しだけ明るい空気に包まれていた。
数日前までとは明らかに違う。補給路が一部回復した影響で、物資の入りが良くなったのだ。兵士たちの表情にも、少しずつ余裕が見えるようになった。以前はどこか緊張を帯びていた顔が、今朝は普通に笑いながら食事をしている。
フレンダはいつもの席に座り、大きな丼を前にしていた。リチャード整備班長が厨房から顔を出して、にやりと笑う。
「大尉、今日も少し多めに入れときましたよ。戦いの後なんだからちゃんと栄養取ってくださいね?」
「……ありがとう、リチャードさん」
スプーンを手に取り、温かいシチューを一口すくった。熱い。肉の旨味がしっかり染み込んだ、優しい味だ。数日ぶりに、ゆっくりと味わえるご飯だった。
《フレンダ、カロリー摂取量が本日の基準値を既に超過しています。》
メイの声が、ナイトアーマーのインカムを通じて響いた。いつもの冷静で、少しだけ呆れたような調子だ。
「知ってるよ、メイ。でも今日は特別だもん」
《特別、ですか》
「うん。みんなが少しは安心して、ご飯を食べられるようになったんだよ。それって、すごく嬉しいことだと思わない?」
メイは少しの間、沈黙した。
《……はい、フレンダの言う通りです》
フレンダは小さく笑って、もう一口シチューを口に運んだ。
周囲を見渡すと、第一小隊の面々も何人か食堂に残っていた。ガルム中尉が部下たちと軽く談笑している。以前に比べると、笑顔の数が明らかに増えている。
「やっぱり、温かいご飯を食べられるって、こんなに大事なことだったんだね……」
フレンダはスプーンを動かしながら、静かに思った。
ブロッケードアイビーとの戦いが熾烈を極めていた頃は、毎日が戦闘と準備で埋め尽くされていた。補給が滞り、部隊員の表情が暗くなっていくのを目の当たりにしていた。
あの頃に比べれば、今は本当に少しだけ、普通の日常が戻ってきている。
でも、フレンダはまだ完全に安心してはいなかった。
午前中は比較的軽めの教導任務だった。
第一小隊の若手たちに、ルプス・インパルスでの戦闘経験を軽く共有する程度の内容だ。実際に戦った内容を詳しく話すわけではなく、距離を取られた時の対応や相手の射撃パターンを読むことの大切さを、簡単に伝える。
「前みたいに突っ走るだけじゃ相手にやられるだけだ。ちゃんと状況を見て、動くタイミングを考えること。それが大事だよ」
フレンダは部下たちを見渡しながら、静かに言った。
「分かった?」
「「はい!」」
若手たちが揃って返事をする。その声に少しだけ自信が混じっているのが分かった。
フレンダは小さく頷いた。
ブロッケードアイビーとの戦いで、フレンダは自分が以前より少しだけ、戦い方を変えられていることに気づいていた。以前のフレンダは、どちらかと言えば突っ込んでどうにかするタイプだった。けれど今は、少しずつ守るために、どう戦うかを考えるようになっている。
それは、きっとルプス・インパルスと一緒に戦ってきたからだろう。
そして、何より守りたいものがはっきりしているからだ。
「みんなが、ちゃんと温かいご飯を食べられるように」
フレンダは部下たちに軽く手を振って、教導を終えた。
午後、フレンダはミカのところへ報告に向かった。
司令室に入ると、ミカはすでにデスクの前に座って、ホログラムに映るデータを確認していた。彼女はフレンダの姿を見つけると、軽く頷いた。
「大尉、朝の教導はどうだったっすか?」
「まあまあ、かな。みんなだいぶ落ち着いてきたみたいだよ」
フレンダはミカの隣に並んで、椅子に腰を下ろした。
「それより、ブロッケードアイビーの方だけど……何か新しい動きはあった?」
ミカが小さく息を吐いた。
「偵察部隊からの報告では、目立った攻撃はないっす。ただ、完全に姿を消したわけでもない。時折、遠距離から反応を拾う程度で、監視しているような動きは続いているみたいっすね」
「……そっか」
フレンダは静かに頷いた。
完全に撤退したわけではない。まだどこかで、自分たちを見ている。
「当面は様子見で問題ないと思うっすけど……大尉はどう思うっすか?」
ミカがこちらを見て、静かに尋ねてきた。
フレンダは少し考えてから、素直に答えた。
「向こうが動かないのをいいことに、こっちも何もしないのは危ない気がする。完全に油断させるのは良くないと思う」
「そうっすね……」
ミカが小さく眉を寄せた。
「ただ、無闇に刺激するのも良くないっす。ブロッケードアイビーは長距離砲撃が得意だから、こちらが不用意に近づけばまた消耗戦になる可能性が高い」
「分かってる。でも、待ってるだけじゃ何も変わらないよ」
フレンダは窓の外を見ながら、静かに続けた。
「少しずつでも、圧をかけておいた方がいい。相手の出方を探る意味でも」
ミカはしばらく黙っていた。
やがて、彼女は小さく息を吐いて、頷いた。
「……分かったっす。大尉の言う通りっす。では、もう少し本格的に動く方向で考えるっす」
フレンダはミカを見て、軽く微笑んだ。
「ありがとう、ミカちゃん」
「礼を言われる筋合いないっすよ、大尉」
ミカが珍しく、少しだけ照れたように目を逸らした。
その後、二人はしばらく補給状況の確認や、今後の対応について軽く話し合った。レイブレード搭載機に関する話は、相変わらず出てこなかった。
夜。
フレンダは一人で、ルプス・インパルスの格納庫を訪れていた。
照明を落とした格納庫の中、紫と水色の装甲をした機体が静かに佇んでいる。昼間とは違い、夜の格納庫はどこか落ち着いた空気に包まれていた。
フレンダは機体の前で立ち止まり、しばらく見上げていた。
「……お疲れ」
フレンダは小さく呟いた。
ルプス・インパルスは、相変わらず無言だった。もちろん返事をするはずもない。けれど、私はこの機体と話していると、不思議と気持ちが落ち着くようになった。
《フレンダ》
メイの声が静かに響いた。
「ん?」
《今日も、お疲れ様でした》
フレンダは小さく笑った。
「ありがとう、メイ。今日は戦わなくて済んだから、ちょっとだけ楽だったよ」
《はい。フレンダの体調も安定しています》
フレンダは機体に近づき、装甲に軽く触れた。冷たい金属の感触が、手のひらに伝わってくる。
「アイツとの戦いで、少しは冷静に動けるようになった気がする」
《はい。前回の戦闘データを基に、フレンダの動きも最適化されつつあります》
「そっか……」
フレンダは静かに息を吐いた。
「前は、ただ突っ込んでどうにかしようとしてたけど……今は、ちゃんと守るために戦おうと思えるようになった」
メイは少しの間、沈黙した。
《フレンダが変わった、ということでしょうか?》
「うん。少しは、ね」
機体から手を離し、後ろに下がる。
「まだ、ブロッケードアイビーはどこかで私たちを見てる。完全に安心はできない。でも……今は、みんなが温かいご飯を食べられてる。それだけで、少しは前よりマシだよね」
《はい》
メイの声は、いつものように冷静だったが、どこか優しい響きが混じっていた。
フレンダは格納庫の出口に向かいながら、最後に一言だけ呟いた。
「次は、もう少し上手くやるよ」
司令室から通信が入ったのは、格納庫から戻った後だった。
フレンダが自室で軽く体を休めていたところに、ミカの声がインカムを通じて聞こえてくる。
《大尉、起きてるっすか?》
「うん、起きてるよ。どうしたの?」
《少し、話したいことがあって》
ミカの声は、いつものように真剣だった。
フレンダはベッドから体を起こし、通信を切り替えた。
「何?」
《ブロッケードアイビーのことっすけど……もう少し、本格的に動いた方がいいと思うっす》
フレンダは静かに聞き入った。
《今は様子見で済ませているけど、このまま放置すると、また補給路を完全に塞がれる可能性がある。向こうが完全に動きを止めているわけじゃない以上、こちらもただ待ってるだけじゃ危ないっす》
「……うん」
《だから、もう少し積極的に相手の動きを調べてほしいっす。単独での偵察任務を、頼めるっすか?》
フレンダは少し考えてから、頷いた。
「分かった、いつ出ればいい?」
《可能なら、数日以内に出てほしいっす。詳細は明日、改めて話すっす》
「了解」
ミカは少しの間、沈黙した。
《……無理はしないでっすよ、大尉》
「分かってるよ」
フレンダは小さく笑った。
「私、ちゃんと自分の身は守るから」
《……そうっすね》
ミカが小さく息を吐くのが聞こえた。
《では、明日また話すっす。おやすみっす、大尉》
「うん、おやすみ」
ミカとの通信が切れた。
フレンダはベッドに体を預け、天井を見上げる。
「また、戦うんだよね……」
静かに呟いた。
ブロッケードアイビーとの戦いは、まだ終わっていない。むしろ、これからが本番かもしれない。
けれど、それほど怖くはなかった。
「守るべきものがあるから」
フレンダは目を閉じながら、静かに思った。
「次は、もっとちゃんと戦おう。みんなが、安心して温かいご飯を食べられるように」
夜の風が、わずかに窓を揺らしていた。
フレンダはゆっくりと息を吐き、眠りについた。




