第一話
ここから、書き下ろしになります。
「でさぁ、キャサリンは船に乗ったことがないから、今からはしゃいじゃってさ」
「次期皇太子妃として外遊予算も正式に組まれたので、私の仕事も増えました」
「キャサリンってすごく嬉しい時は、クシャーって顔で笑うんだよ! すごく可愛いんだ!」
「波が荒れると船酔いしますから、食事は控えめがいいらしいですよ」
「あの顔、きっと私にしか見せないんだ。婚約者である、皇太子の私にだけね」
「七日後の帰国から婚礼まで、別々での挨拶回りが詰まってます」
「……フィリップ。さっきから私の話を聞いていないだろう」
皇宮にある宰相室。調べ物をしているフィリップに、一方的に話し掛けていたウルリッヒは嫌な顔をした。
それに負けないぐらい嫌な顔をしたフィリップが、手を止めてウルリッヒを見た。
「殿下、ご婚約が嬉しいのはわかります。お披露目のために訪れる、隣国へのご公務が楽しみなのもわかります」
あの卒業パーティー後、ウルリッヒとキャサリンの婚約が一気に進んだ。それはそれはスムーズな運びで、まるで予め準備していたかのようだった。
パーティーの後、フィリップは叱られに叱られた。
父である現宰相はもちろん、祖父のフリッツにも小言を言われ、卒業パーティーで護衛を務めていた近衛隊長からは未だに睨まれる。
おかげで卒業から半年経った今も、宰相見習い以上の仕事を押し付けられている。執務室から出られない。事実上の謹慎処分であった。
そんなフィリップにはお構いなく、初恋の成就に浮かれたウルリッヒは毎日近況報告をしに現れた。
いよいよ、フィリップの堪忍袋の緒も限界に近かった。
「それなんだよ! キャサリンと旅行……いや、公務に行けると思ったら、夜しか寝れないよ」
ウルリッヒはだらしなく笑う。
「心配はご無用です。キャサリン様は、まだ婚約者。寝室は別で準備させています」
「な、何を言っているんだ、フィリップ君! し、寝室なんて考えたことなかったよ。うん、寝室は別か……別なのか?」
焦ったり落ち込んだり、暇な人だなとフィリップは呆れたが、すぐに仕事に戻る。これが完成すれば、半年の謹慎は解ける。皇宮から出られるのだ。
「……しかし、万が一、寝室に暗殺者なんかが現れたら大変だろう? キャサリンは寝室で私を守るために剣術を磨いていたらしいし」
「では、殿下の寝室の前に、近衛を二十人ほど配置しておきます」
「まあ、賑やか……」
何を期待していたのか、ウルリッヒはトボトボと宰相室を出て行った。フィリップは大きく息を吐くと、一気に憲法案の仕上げに入った。
卒業パーティーでウルリッヒが恥ずかしげもなく発表した憲法案、通称「キャサリン求婚法」は当たり前のように廃案となった。パーティーが終わるとフィリップは、そのまま上皇アンドレアスと前宰相で祖父のフリッツに呼び付けられた。
「お前には、うちのウルリッヒは止められなかったか……いや、責めてはいないぞ。あいつは仕方がない」
「はあ」
「上皇様とお話していたのだが、このままでは帝国内の婚約事情は不安定だ。約束が簡単に破られ過ぎている」
祖父の言葉に、フィリップは首を傾げた。
「真実の愛とか何とかで婚約破棄するのは、我が帝国のお家芸だと思っておりました」
フィリップの言葉に、アンドレアスとフリッツは居心地悪そうに俯いた。
「婚約制度は本来、法で管理するものではないのでしょう。しかし、こうなっては一定の決まりがあった方がいいかもしれないですね。恋愛が理性を上回るなんて、本当にどうかしている」
フィリップの本音に、アンドレアスは申し訳なくなった。ますます俯くアンドレアスに気を遣い、フリッツが慌てて口を挟んだ。
「そうなんだ! それで、次期宰相であるお前に憲法案を考えて欲しくてね」
そういうことか、フィリップは頷いた。宰相を務める父は、ウルリッヒの成婚準備に忙しいだろう。外遊にもついて行くと聞いた。体良く押し付けられた感はあるが、今回の騒動の責任はこれでチャラになるだろうし。
フィリップは引き受けることにしたのだった。
「できた……」
フィリップはできたばかりの憲法案を、何度も読み返した。
――帝国憲法第39条1項 『高位貴族は婚姻に際し、家格・身分・後継問題を十分に考慮すること』。
細かい揉め事も配慮して、万が一の婚約破棄の取り決めまで含めて、条項を8項まで考えた。
これで、やっと解放される。半年間お世話になった、硬い簡易ベッドともお別れだ……。
フィリップは急ぎ足で上皇アンドレアスの元へと急いだ。
アンドレアスがいる謁見の間には、意外な人物がいた。キャサリンだ。学生時代、一つに纏めていたハニーブラウンの髪は、今は綺麗に結い上げている。
そんなキャサリンから目が離せない。少し見ない間に大人びたその姿に、フィリップは少し惜しく感じた。
「おう、もう憲法案ができたのか」
アンドレアスが呑気な声を上げた。フィリップはハッとして、仕上げたばかりの法案をアンドレアスに渡した。
「ちょうど良かったわ、フィリップ」
キャサリンが柔らかく微笑みかける。なるほど、ウルリッヒの言う通り、キャサリンは少し表情が豊かになったのかもしれない。フィリップは益々惜しく感じた。
「私、もうじき隣国へ公務に行くでしょう? その間、代わりに孤児院へ通ってくださる方を探していて、それを上皇陛下に相談していたの」
キャサリンは少し困った顔で言った。
キャサリンは十歳の時から、リリーが管理している孤児院を支援している。金銭的な援助だけでなく、実際に足を運んで子どもたちの世話まで続けているらしい。
「孤児院のお世話って大変でね。金銭的な管理や募金活動よりも、子どもたちとの関わり合いが大切なの。だから、誰でもいい訳じゃなくて……。フィリップ、どなたか心当たりはないかしら?」
いつの間にか隣に来ていたキャサリンが、上目遣いでフィリップを見る。学生時代の凛々しいキャサリンしか知らないフィリップは、その姿にドキドキした。と、同時に罪悪感も覚えた。この人は、自分が仕えるウルリッヒ殿下の婚約者だ……。
その時、フィリップはアンドレアスの視線に気づいた。
じっとこちらを見つめるアンドレアスは、実際は何も考えていなかったのだろう。しかしフィリップは、邪な気持ちを見透かされたように感じて焦った。
そして反射的に、思いもよらない言葉が口から飛び出てしまった。
「その孤児院のお手伝い、私が行きます」
ウルリッヒからフィリップに、良からぬバトンが渡されました。
明日も二話投稿します。




