第二話
言ってしまった。
孤児院での子どもの世話なんて、本当に興味がない。キャサリンにいい顔をしたかっただけなのに……。
あれから数日後。孤児院に向かう馬車の中で、フィリップは盛大にため息を吐いた。
謹慎とも言える激務から解放されたのに、キャサリンの代わりに孤児院に通うと立候補したフィリップは、それはそれは褒め称えられた。
「お前にも、人の心があったんだな」
フィリップは、涙ぐむ父に対して「やっぱり、ナシで」とはとても言えなかった。
何度もため息を吐いているうちに、馬車はリリーが管理する孤児院に到着した。
「皇宮の方から参りました……」
フィリップはそう声を掛け、やや投げやりに扉を開いた。
「うわー! お外、お外ー!」
「ずるいぞ、俺も行く!」
清潔だが質素な服を身につけた子どもたちが二人、開いた扉に向かって走ってきた。どうしていいか分からず、おろおろするフィリップに女性の怒鳴り声が飛んでくる。
「早く閉めてっ!」
フィリップは弾かれたように、慌てて扉を閉める。間一髪、脱走を試みた子どもたちは扉の前で止まった。
「あんた、誰?」
十歳ぐらいの飴色の髪の男の子がフィリップを見る。その目はまるで不審者を見るような目つきだ。
礼儀を欠いた態度と言葉を、それも平民の子どもから投げかけられたフィリップは、大人気なくもムッとした。平民の子どもに説明をするの面倒だ。フィリップは吐き捨てるように言った。
「キャサリンです」
男の子の後ろにいた、同じ髪色の女の子が大声で泣き出す。
「キャサリン先生が可愛くなくなっちゃったー! 先生! ラウラ先生!」
ギャーギャー騒ぐ子どもたちを横目に、フィリップは早くも帰りたくなった。その時、長い廊下の向こう側から、パタパタという足音と共に一人の女性がやって来た。背はフィリップの肩ほどもない、小柄な女性だった。
「あんたたち、また脱走しようとしてたでしょう!? お外は怖い人もいるから、勝手に出ちゃだめって何度も……」
そこで女性は、突っ立っているフィリップに気がついたようだ。
「失礼ですが、どなたでしょうか?」
丁寧な言葉遣いとは裏腹に、女性からは警戒心が溢れている。フィリップは笑顔を浮かべて言った。
「……失礼。フィリップ・ブラウンです。キャサリン様の代わりに参りました」
「ああ、あなたが! 大変失礼しました。私、この孤児院で働いているラウラと言います」
話はキャサリンから通してあったのだろう、ラウラと名乗る女性はパッと笑顔になった。笑顔になると、目がなくなる。貴族にはそんな笑い方をする人はいない。フィリップはラウラを不思議な人だと思った。
ラウラに連れられたフィリップは、居室に入る。そこには、三人の子どもが絵を描いて遊んでいた。居心地悪くフィリップが佇んでいると、先ほどの子どもが話し掛けてきた。
「キャサリン先生の知り合いかよ、びっくりした。俺はマックス。こいつは妹のモニー」
モニーと紹介された女の子は、恥ずかしそうにマックスの後ろに隠れた。ラウラの姿は、もう見えない。
「あの、ラウラさんは?」
「ラウラ先生は洗濯物を取り込みに行ったと思う。畳むのはみんなでするんだぜ」
マックスが人懐っこく話し掛けてくれていると、ラウラがカゴいっぱいの洗濯物を持ってやって来た。
「すみません。ここは人手が足りないんです。お話は、これを畳みながらお願いします」
有無も言わさず、ラウラは洗濯物をテーブルの上に広げた。マックスとモニーが慣れた手つきで洗濯物を畳み始める。フィリップも仕方なく、見よう見まねで洗濯物を畳んだ。
「キャサリン様は週に二日ほど、ここにお手伝いに来てくださるんです。私もここで育ったので、お姉さんができたようで嬉しくて……あ、フィリップさん、それやり直しです」
「すみません……。申請関係を確認しました。今は八人の孤児を預かっているのですね。孤児院から必要な書類が出ていませんので、申請通りの助成金は無理かと。寄付で何とかなりませんか?」
洗濯物からは太陽の香りがする。そんなのどかな昼下がりに似つかわしくない会話は続いた。
「申請申請っておっしゃいますが、今ここにいる者で字を書ける者は一人しかいません……フィリップさん、それ、裏返し」
洗濯物に手こずっていたフィリップは、目の前のラウラが字を書けない事実に驚いた。最近は平民の識字率も上がったと聞いていたからだ。
「キャサリン様に教わったりしなかったのですか?」
「……忙しくて」
ラウラは少し俯きながら言った。
「忙しいなんて言い訳でしょう。孤児院には絵本もたくさん寄付している。時間なんて作れば何とでもなるのでは?」
フィリップは何の悪気もなかった。しかし、ラウラの表情は曇り始める。そして、一言だけ言った。
「綺麗事だけでは、日々の生活は回りません」
フィリップは反論しようとして、言葉に詰まった。自分は宰相になるために、とても忙しく働いている。休日は勉強に充てている。この孤児院に来るのだって、無理をして時間を作った。
それに比べて、ラウラの言う忙しいなんて知れているだろう。
「わかりました。私も忙しいですが、すぐに言い訳できないぐらいの制度を作りましょう」
ニッコリと口元だけ笑うフィリップに、ラウラは何も言わずに手だけを動かしていた。




