第三話
「また来たの?」
「貴族って暇なんだな」
三日後、再び孤児院を訪れたフィリップに、モニーとマックスがまとわりついた。
「あーあー、君たちはさっきまで土いじりをしていただろう。手を洗ってから私にぶら下がりたまえ」
両手にぶら下がる兄妹に嫌な顔をするフィリップを、ラウラが出迎えた。
「王太子殿下とキャサリン様のお見送りがあったため、少し遅くなりました」
浮かれてニヤける顔を隠せないウルリッヒとキャサリンを見送る直前、フィリップはウルリッヒに同行する父とこんな話をしていた。
「貴族からの寄付を法で決める訳にはいかん。寄付はあくまで善意だからだ」
「では、制度を法で作りましょう。お父様の宰相としての権限があれば、すぐに作れるでしょう」
「それでは、孤児院の運営は国が行うことになる。もちろん予算もだ。孤児院は我が国にどれだけあると思う? 貴族議会が、少なくない孤児たちに金を出すとは思えん。孤児院は真っ先に潰されるだろうな」
黙り込むフィリップの肩を、父はポンと叩いて続けた。
「今の皇帝陛下は、同じ要請を何十年も議会に提案している。ウルリッヒ殿下が皇帝になられた時、議会をひっくり返せるようにお前たちが偉くなれ」
悔しい気持ちを思い出しながら、フィリップはラウラについて行く。行き着いた先は、どうやら厨房のようだ。
「孤児院の運営を安定させるために、いくつか現状を聞きたくて来たのですが……」
ラウラはニッコリと頷いて、フィリップに野菜が入った大きなカゴを手渡した。
「すみません。それ、洗ってもらえますか? 話は夕食の準備をしながらでしたら、いくらでも」
言い終える前にラウラは白いエプロンを着け終えた。マックスとモニーも手伝うようで、踏み台を持ってついてきた。
フィリップはカゴを覗き込んだ。
「汚れている……のか?」
「フィリップ、早く洗ってよ。俺、皮剥くんだからさ」
「……フィリップ様な。お前がナイフを使うのか?」
「そうだよ。俺より年上の三人は、毎日ハンス先生と地区のお手伝いに行くんだ。俺とモニーはラウラ先生のお手伝いと、下の子の面倒を見てるんだぜ」
マックスが得意気に言った。マックスはまだ十歳のはずだ……フィリップは素直に驚いた。
「あなたたちが手伝ってくれるから、本当に助かるわ。もうすぐおチビちゃんたちのお昼寝が終わるから、モニーは一緒に遊んであげてくれる?」
ラウラが言うと、はーいと笑顔で返事をしたモニーが走って行く。
「さ、ここからは時間との勝負よ! 急ぎましょう。フィリップさんは野菜を洗いながら、質問をどうぞ」
大きな鍋に水を入れながらラウラが言う。野菜なんて洗ったことのないフィリップが固まっていると、マックスが隣に来た。
「フィリップさー、野菜も洗えないの? 一体、何歳よ?」
「フィリップ様な。十八だ」
慣れた様子で野菜を洗ってみせるマックスは、一瞬目を丸くした。
「十八って、ラウラ先生のひとつ年上!? 野菜も洗えないのに?」
「野菜は洗ったことはないが、憲法案は作れる」
大人気なく言い返すフィリップも、見様見真似で野菜を洗う。思ったより水が冷たいし、爪に土が入るのが不快だった。しかし、ここで愚痴をこぼすとマックスに負けたような気がする。フィリップは歯を食いしばって野菜を洗い続けた。
「フィリップさ、何しに来たんだっけ?」
「だから、フィリップ様な……そうだ! 孤児院の現状を聞き取りに来たんだった」
当初の目的を思い出したフィリップは、この孤児院についての質問を始めた。
「元々はハイネ男爵が建てて下さった孤児院なんです。数年前にお亡くなりになった時、私財がだいぶ減ってしまっていたようで……あ、もう少し丁寧に洗って下さい」
ハイネ男爵は無理をして孤児院の運営をしていたようだ。
それからの援助額は足りず、もう一人の先生と呼ばれる男性が年長の孤児を連れて街のお手伝いをし、日銭を稼いで凌いでいるらしい。
一時の援助だけでなく、安定した継続的な寄付を募るのが先か……フィリップは考えた。
モニーが困った様子でやってきた。どうやら、粗相をした子がいたらしい。マックスがモニーと共に厨房を出る。その後ろ姿を黙って見送っていたラウラが、フィリップをまっすぐに見つめて言った。
「何年か前の疫病のせいで、孤児が増えたのです。マックスとモニーの両親もその時に亡くなりました」
フィリップは何も言えなかった。疫病が流行ったのは知っている。が、周りに命を落とすまでになった者はいなかった。しかし、医者にかかれず命を落とした人は少なくなかったのだろう。フィリップは福祉だけでなく、医療にすら十分な予算を設けていない議会に腹が立った。それを知らずに、のうのうと過ごしていた自分にも。
そうしているうちに日が暮れた。夕食だというスープも完成した。野菜を洗うのは楽しくなかったが、有意義な話が聞けた。宰相になった時の課題も見つけた。ここに来ることはもうないだろうが、近いうちにラウラたちが自分に感謝する未来がくるはずだ。
フィリップが満足そうに孤児院を後にしようと玄関に向かった時、外からガヤガヤと賑やかな声が近づいてきた。
「ハンス先生だっ!」
誰かが叫ぶ。小さな子どもはもちろん、マックスもモニーもフィリップを通り越して玄関まで走る。
「ただいま。いい子にしてたかい」
足元に駆けつけたちびっこ二人を抱き上げて、ハンスと呼ばれた青年が白い歯をニカっと見せて笑った。みんなハンスの足元から離れない。ハンスの後ろにいた少年たちも、真っ黒に汚れた顔を綻ばせてその様子を見ている。
「お帰りなさい。あら、みんな素敵な顔になってるじゃない?」
いつの間にかフィリップの隣まで来ていたラウラが笑顔で出迎える。ハンスは抱いていた子どもを下ろして、ラウラの頭をポンと撫でた。
「今日は煙突掃除を頼まれてね。お礼にってパンを持たせてくれたんだ」
少年の一人が、大切そうに持っていた紙袋をラウラに渡す。
「ごちそうだね!」
「ラウラのスープだけでも十分にご馳走だぞ」
微笑ましいはずの様子に、フィリップだけは居心地が悪かった。正直、野菜だけのスープとパンがご馳走だとは思えない。しかし、そう思う自分が場違いに思えた。
「本日は貴重な意見をありがとうございました。それでは、これで」
その場から離れようとしたフィリップのことを、ラウラがハンスに説明をした。
「あなたがキャサリン様の代わりの。どうも、ありがとうございました」
フィリップよりガタイのいいハンスが、そばかすだらけの顔でニカっと笑った。「代わりって失礼」とラウラがフィリップの胸板を軽く叩く。ごめんごめんと謝るハンスと、呆れたように唇を尖らせるラウラ……。理由はわからないが、フィリップは味わったことのない胸のムカつきを感じた。
――その顔、なぜ私に見せない
次の瞬間、フィリップはラウラに叫んでいた。
「明日も来ます!」
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