第五話
全く動かなくなったウルリッヒに、痺れを切らしたキャサリンはフィリップを見た。フィリップは頷き、いつの間にか持っていた剣を鞘ごとキャサリンに渡す。
練習用の模造の剣ではなく、ハーバー公爵家が現皇帝から賜った紋の入った真剣。
「いかん!」と、来賓席でキャサリンの祖父ロルフが立ち上がる。それを、祖母であるウェンディが止めた。
剣を持ったキャサリンは、呆然とするウルリッヒにゆっくりと近づきながら、スラリと鞘から剣を抜いた。
まさか斬るのか? と会場が騒めく中、ウルリッヒの目の前に立ったキャサリンはその剣をウルリッヒにしっかり握らせ、その手を自分の両手で包み込んだ。
「私は、この奇妙な憲法を認める訳にはいきません。今回、この異様な憲法が制定されても、殿下の気に入らないことがあればその一声で、どんどん奇怪な憲法が作られることでしょう。私のせいで、奇異な憲法が増えるぐらいなら……」
キャサリンはウルリッヒに握らせた剣に、自分の首筋を近付けた。周囲から声にならない悲鳴が上がる。
「お斬りあそばせ、殿下」
ウルリッヒがヒュッと息を呑む。
「何を望んで、あんな馬鹿な法案を作ったのですか? お答え頂けませんか? そうですか。なら、お斬り下さい」
また少し、キャサリンがウルリッヒの持つ剣に首筋を近づける。ウルリッヒは青くなり、震えるだけで動けない。
「ねぇ、あんな馬鹿な憲法を制定して、私をどうしたかったのですか? まだ答えられない? なら、斬って」
とうとう刃が、キャサリンの首筋に触れる。白磁のような首筋に張り付くハニーブラウンの髪が少し切れ、ハラリと床に落ちる。ウルリッヒの顔色はもはや、青を通り越して白くなっていた。
「さぁ、答えて。私に何を望んでいるの、ウルリッヒ! 」
キャサリンの迫力に周りの者は動けなかった。情けないことに、王族警護の為に配置されていた近衛でさえも。
しかし、ウルリッヒの側にいた近衛隊長がいち早く我に返る。そして、ウルリッヒが握る剣に飛びかかろうとした、その時……。
「キャサリンが好きなんだよおぉぉぉぉぉぉ!」
顔の色を失くし血が出るほど唇を噛み締め、ブルブル震えて立ち竦んでいたウルリッヒが、悲痛な悲鳴を上げた。そして、剣をその手から放り投げるとその場に泣き崩れた。
「キャサリンが……キャサリンが大好きで、こ、婚約したくて。でも断られるのが怖くて、言えなくて」
ウルリッヒは膝をつき泣きながら、とうとうキャサリンへの想いを告白した。
キャサリンは落とされた剣を拾い、傷が付いていないか丁寧に確認しながら言った。
「知ってましたよ、そんなこと」
「えっ?」
涙と鼻水でぐちょぐちょになった顔を上げ、ウルリッヒが情けない声を出す。
「幼い頃から、会う度に、舐めるようにじっとり見つめられていたんですよ?」
片目を瞑り剣に刃こぼれが無いか確認しながら、ウルリッヒの方を見ることもなくキャサリンが続ける。
「気づかない方がどうかしています」
真剣を一振りして最後の確認をする。剣には問題がなかったようで、満足したキャサリンは剣を鞘に戻しフィリップに渡す。
しれっと両手で受け取るフィリップを、冷や汗をかいた近衛隊長が睨みつけた。
キャサリンはしゃがんだままのウルリッヒの前に膝をつき、ハンカチで顔中を拭いてやる。
されるがままのウルリッヒの顔が綺麗になったところで、キャサリンはウルリッヒを真っ直ぐ見つめて言った。
「私はウルリッヒ殿下と帝国民を幸せにできますが、どうしましょう?」
キャサリンを見上げたウルリッヒの目に、再び涙が溢れる。
「し、幸せにして下さいっ! そして、二人で帝国民を幸せにしましょう!」
しばらく静まり返ったままの会場から、誰かの遠慮がちな拍手が聞こえる。パチパチと周りの者もつられて拍手をし出し、まばらだった拍手が、やがて割れんばかりの拍手となった。
来賓席にいたアンドレアスとロルフが、額の汗を拭って握手を交わす。フリッツは、孫息子フィリップにも早くしっかり者の婚約者を作らねばと強く思った。
マーガレーテとウェンディ、ナディアは、ふうと肩から力を抜き、笑みをこぼした。
「どうなるかと思いましたよ、うちのキャサリン」
「あら、さすがは平手打ちのウェンディのお孫さんね。切れがいいわ」
ウェンディとナディアは、ウフフと笑う。ふと、保護者席にいるリリーを見つけた三人は、リリーに手を振った。リリーも笑顔でそれに応えた。
「ウェンディの孫で女性騎士志望と聞いていたから、物理攻撃で決めるかと思ってたが……」
「まさかの精神攻撃だったか」
笑い合うフリッツとロルフ。間にいたアンドレアスが後ろを振り返り、妻のマーガレーテに話し掛けた。
「しかし我が孫ながら、あれが未来の皇帝でいいのだろうか」
その言葉に、かつての婚約者三人は顔を見合わせ吹き出した。
「ふふ、誰がどの口でおっしゃるのかしら」とマーガレーテがアンドレアスに言う。
「我が帝国の皇帝は、婚姻後ようやく賢帝になると言い伝えられていますからね。近い将来、また歴史が証明してくれるでしょう」
かつてのバカ三人組と聡明なその婚約者たちは、来賓席からウルリッヒとキャサリンを見守った。
まるで介護するかのようにウルリッヒの腕を組むキャサリンと、初めて腕を組まれて真っ赤になっているウルリッヒ。近衛隊長に睨まれながら、その隣にしれっと立つフィリップ。
この子たちの将来と帝国の未来に想いを馳せながら、六人は来賓席から静かに去った。
次の投稿は夜です。
まさか、あのフィリップが?! お楽しみに……




