第四話
もうすぐ春だというのに、前日から雪が降り続くある日の午後。
学園の敷地内にある会場では、恒例の卒業パーティーが行われていた。
謝恩会も兼ねるこのパーティーは、今年も卒業生とOB、OGである保護者によって賑わっている。
今年は一階の会場の保護者席も、二階の来賓席も満席だった。
パーティーも終盤となり、残すは卒業生代表であるウルリッヒの挨拶だけとなった。
ウルリッヒが司会の教師に案内されて壇上に立つ。皆、姿勢を正し、ウルリッヒの言葉を待った。
「この場を借りて私から、皆に新しい憲法を提案したい」
意外な言葉に会場が一瞬騒めいたが、国を良くするための法案だろうと、皆期待を込めてウルリッヒの言葉を待つ。
ウルリッヒは、大きく息を吸った。
「憲法39条1項、皇族の婚約者候補は、異性の友人を全て報告し許可を得る。
憲法39条2項、婚約者候補、特に公爵家の者が他国に渡るのは禁止とする。
憲法39条3項、婚約者候補である公爵家の者が、他国の者と婚約を結ぶのは禁止とする。
憲法39条4項、公爵家のキャサリンは、他国にも行かせないし他の男性と婚約させない。
憲法39条5項…………」
ウルリッヒが声高らかに読み上げる法案に、会場には何とも言えない空気が漂い出す。
まさかの私情? 二年連続で私情でしかない憲法の制定? あちらこちらから、ヒソヒソと話す声が聞こえる。
名前を出されたキャサリンに周囲の視線が集まった。キャサリンは、あの特待生の男子学生と、その祖父母と思われる夫婦と立っていた。
「んんー? あれは……」
来賓席にいたアンドレアス、ロルフ、フリッツが身を乗り出して特待生の身内らしき夫婦、特に女性の方を凝視した。
「あら、リリーですわ。あなた方が卒業パーティーで取り合った、元男爵令嬢の……」
扇子で口元を隠したマーガレーテ上皇后が、後ろからアンドレアスに耳打ちする。それを聞いたアンドレアスだけでなく、ロルフとフリッツも固まる。ロルフとフリッツは自分の後頭部に、後ろの席に着いている妻の視線をひしひしと感じていた。
リリーと呼ばれたトムの祖母は元々、慈善活動をしているハイネ男爵家の養女だった。孤児院出身のリリーは男爵家で福祉について学んだあと、同じ孤児院出身のダンと結婚して平民に降り、夫婦で孤児院を運営している。
優秀な成績で特待生として学園に入学したトムは、在校生代表として卒業パーティーに出席することとなった。
その孤児院に支援をしているキャサリンが、同窓生としてトムの祖父母をパーティーに呼んでいたのだ。
「キャサリンが慈善活動をしたいと言い出した十歳の頃から、リリーに相談して孤児院での活動をお手伝いさせてもらっていたのよ」
ロルフの耳元でウェンディが囁く。
「ウフフ。フィリップがトムのことをコソコソ調べているから、あなた方がまたリリーにちょっかいを掛けているのかと思ったわ」
フリッツの左肩を後ろから扇子で鋭く突きながら、楽しそうにナディアが言う。
来賓席でそんなやりとりが行われているとは知らず、ウルリッヒは、キャサリンとトムから目が離せず固まってしまった。
キャサリンはひとり、来場者の合間を縫ってウルリッヒの元へと歩み寄る。
キャサリンの表情は明らかに怒りを含んでいたが、キャサリンがトムより自分の方に来てくれたことに嬉しくなったウルリッヒは、気を取り直して自信満々に続けた。
「憲法39条8項、配偶者キャサリンとは、可愛い子どもを……」
「殿下、シーッ」
「憲法39条8項、配偶者キャサリンとは、可愛い……」
「殿下、お口にチャック」
「憲法39条8項、配偶者キャサ……」
「殿下、黙って」
「憲法39条8……」
「おい、黙れ」
ウルリッヒにとって最も大事な条項を言い切る前に、キャサリンが口を挟む。もう一度言い直すが、また阻まれる……。
それをくり返す毎にキャサリンの口調が厳しくなり、キャサリンが纏う空気が冷えていく。さすがのウルリッヒもチラリとキャサリンの顔を覗った。そこでようやく、キャサリンの表情の険しさに気がついた。
キャサリンはやっと黙ったウルリッヒと目を合わせて、ゆっくりと言い聞かせるように話し出した。
「私も貴族に生まれたからには、家のためになる結婚をするつもりで生きてきました。公爵家なので、国益になるなら何処へでも喜んで嫁ぐ所存です」
キャサリンはしばらくウルリッヒを見つめていたが、ゆっくりと続けた。
「婚約者が私でご不満だったのは、ウルリッヒ殿下、あなたでは?」
キャサリンの言った言葉の意味が理解できない。ウルリッヒは首を傾げた。キャサリンが私の婚約者? それを、私が嫌がっていた? ウルリッヒは振り返り、後ろにいるフィリップに説明を求める。フィリップがコクコク頷きながら説明する。
「色んな人が、何度も何度も殿下に婚約者のことをお知らせしようとしました。殿下は頑なに聞いて下さらず、この有様です」
心当たりしかないウルリッヒは頭を抱えた。
「そうだった。そうだったが……それでも少なくとも君は、強く伝えるべきだっただろう、フィリップ!」
完全な逆ギレをして、ウルリッヒがフィリップを怒鳴りつける。フィリップは首を竦めたが、すぐに背筋を伸ばしてまっすぐにウルリッヒを見据えた。
その堂々とした態度に、今度はウルリッヒが怯んだ。
「いいえ、殿下が乗り気じゃないのなら、私は無理に婚約を勧めません。なぜなら、キャサリン嬢は我がブラウン侯爵家にお迎えしたいほどのご令嬢ですので。もちろん、私はキャサリン嬢のことを誰よりも大切にしますよ」
突然のフィリップのプロポーズとも取れる横槍に、ウルリッヒは驚いて目を見開いた。口はぱくぱくするだけで、言葉が出ない。
来賓席では、アンドレアスとロルフが「そうなの?」とフリッツを見る。フリッツはニヤリとほくそ笑む。
ウルリッヒは突然の色々なことに、思考が停止してしまっていた。
来場者もそんなウルリッヒを見ていられず、気まずそうにウルリッヒから目を逸らした。
フィリップは、キャサリンには殿下の瞳の色より、自分の瞳の色の宝石が似合いそうだなと考えていた。
我が孫が、これ以上の失態を晒し続けるのを心苦しく思ったアンドレアスが、場を収めようと椅子から立った時……。
「五歳のお茶会の時に」
キャサリンが静かに話し出す。
「ウルリッヒ殿下は剣が嫌いだ、と泣いていらっしゃいました。本をたくさん読んで立派な皇帝になるから、剣には触りたくないと」
そんなこと言ってない……いや、言ってたかもと考えるウルリッヒ。泣いてたわ、この腰抜けと思い出すフィリップ。
「その時、殿下に代わって私が剣術を磨こうと決心しました」
静かな告白に、ウルリッヒはもちろん、フィリップも会場の誰もがキャサリンを見た。
「人には得手不得手があって当然。殿下が剣が得意でないのなら、私が殿下のお側で剣となりお守りすれば良いだけのこと。夫婦になるのであれば、寝室でもお守りできます」
「しっ……?! し、寝室っ?!」
赤くなり興奮するウルリッヒの脇腹を、フィリップが遠慮なく突いて黙らせた。
「帝国の公爵家で、殿下と釣り合う年齢の令嬢を持つのは我がハーバー公爵家のみ。私が婚約者候補として密かに妃教育を受けていたのは、公然の秘密かと。まあ、これは殿下の積極性に期待した大人たちがわざと言わなかったのが問題だと思うのですが……」
キャサリンがチラリと来賓席を見上げる。目が合ったロルフ、アンドレアス、フリッツの心がヒュンと冷える。
「公然の秘密……?」
ウルリッヒが周りを見渡すと、卒業生どころか保護者達も皆頷いている。
逆になぜ気付かなかったのだろうこのポンコツは、とフィリップは残念に思った。
「それで、いつまでも婚約者にしない私を法で雁字搦めにする。殿下は一体、私にどうしろと仰るのでしょう」
どうしろ? 私はキャサリンに何を望んでいるのだろう。ウルリッヒは自問する。
キャサリンが側にいて、私にもあの笑顔を向けて欲しいだけ。私だけに、微笑んで欲しい。それだけだった。
――どうしたら伝わる? 一体どうしたらキャサリンが側にいて、私だけを見てくれるのだろう……ウルリッヒは拳を握り締め、黙って立ち竦んだ。
少し離れたところで見ていた、留学帰りのキャサリンの従兄弟がボソッと呟く。
「……好きって言えばいいのでは?」
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明日は、朝と夜の2話投稿します。
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