第一話
「この憲法はウェンディ・ハーバー前公爵夫人――つまり君のお祖母様が発端で作られたそうなんだよ。キャサリン嬢」
あれから四十五年ほど経った帝国立学園。
ところどころ修繕はされているものの、重厚な歴史ある建物は当時の面影を存分に残している。
手入れされた中庭では、キャサリン・ハーバー公爵令嬢が放課後にもかかわらず、一心不乱に剣を素振りしていた。
そのすぐ近くのベンチに座り法律書を広げ説明しているのは、皇太子のウルリッヒ・フォン・ベルクマンである。
女性用の騎士服を着て、ハニーブラウンの髪を一つに纏める彼女はとても美しい。そして、キラキラと汗を飛ばしながら剣を振る姿は、とても凛々しい。
気を抜くと、ついぼうっと見惚れてしまう。ウルリッヒは慌てて法律書に目を落とした。
キャサリンは特に返事もせず、淡々と素振りに励む。
側から見れば、皇太子に話しかけられても無視する態度は不敬そのもの。
しかし、中庭で一人素振りをしているキャサリンに毎日近づいては、読書をしたり、たまに話しかけてくるこの同級生を、キャサリンは気にしないことにした。
「殿下。またキャサリン嬢の邪魔をしてるんですか?」
ウルリッヒの側近候補で幼馴染のフィリップ・ブラウン侯爵令息が後ろから声を掛けた。
三人とも春からこの学園に入学し、皆同じクラスである。
「じゃ、邪魔なんてしてない! 私は二人の時間を……」
「フィリップ様、ご機嫌よう。ここは人が少ないので、一人での訓練はとても集中できますわ」
二人の時間を楽しんでいると思っているウルリッヒと、一人で鍛錬していると思っているキャサリン。
噛み合わない二人の返答に、フィリップは苦笑いする。
伝説のバカ三人と聡明な婚約者たちの孫が、キャサリン、ウルリッヒ、フィリップなのである。
「昨日、お祖父様……上皇陛下と食事をした時に、法科の授業が難しいと漏らしてしまったんだ。そうしたら、上皇陛下と上皇后陛下がクスクスお笑いになってね。その時に、帝国憲法第24条1項のことを聞いてびっくりしたんだ」
興奮気味に話すウルリッヒに、フィリップは頷いた。
フィリップの祖父と祖母も当事者であり、さらに宰相一家の孫として教育されているフィリップは、とっくにこの話を知っていた。
「確かに、早い時期の婚約は減りましたね」
「ええ。お祖父様たちの失敗のせいらしいですわ」
「失敗っていうなよ……」
フィリップが加わって、ようやく会話が成立した。
「婚約者か……」と何度も呟くウルリッヒを横目に、フィリップはキャサリンに視線を移す。
宰相になる予定のフィリップからすると、公爵家のキャサリンを妻に迎えることは十分に考えられる。加えてあの美貌だ。
他家と縁を結ばれる前に婚約を申し込もうと考えた時、一番近くで支えなければならないこの男が、キャサリンを湿度の高い目で見ているのに気がついた。
皇太子妃になるのに、公爵家令嬢はこれ以上ない縁談である。
しかもマーガレーテ上皇后陛下と、ウェンディ前公爵夫人は学生時代からの親友である。後ろ盾が強い。
ならば、ウルリッヒの恋を応援するかと観察していたが、ウルリッヒは積極的にキャサリンに近づくものの、挙動不審と言わざるを得ないアプローチしかできないでいる。
読書好きのインドア皇太子と、できれば騎士になりたい公爵令嬢。正直、相性がいいとは思えない。
フィリップが考えていると、キャサリンが模造刀を置きハンカチで汗を拭いた。休憩を取るようだ。
「キャサリン嬢は、婚約相手などは考えておられないのですか?」
フィリップの問いに、隣にいるウルリッヒの肩がビクッと上がる。
そもそも皇太子であるウルリッヒと、上皇后殿下の覚えのめでたい公爵令嬢キャサリンの婚約話が一度も出ない方がおかしい。
きっと祖父祖母世代で、結ばせたい孫たちが自然に近づくのを見守っているのだろう。
「そうですねぇ。どうせ公爵家を出される身ですので、他家に嫁ぐよりも騎士として騎士爵を賜るのも手ですわね」
ふふふと微笑むキャサリンに、この人なら本当にするなとフィリップは納得する。
卒業まで二年半。ウルリッヒは、キャサリンが剣よりも興味を持てる程の男になれるのだろうか……。
隣に目をやる。ウルリッヒが耳を赤らめ、キャサリンの笑顔に釘付けになっている。退屈な日々が楽しくなりそうだな、とフィリップは思った。
そんな穏やかな日々が続くと思われていた。
しかし、一年後。
新しい帝国憲法が異例の速さで公布された。
帝国憲法第36条6項『皇族の婚約者は、騎士爵以上であれば身分を問わない。また、皇族の配偶者は公務に支障が無い限り、騎士団に所属しても構わない』
帝国貴族たちに動揺が走る。もちろん、学園の中でも物議を醸した。
「……誰得なんだよ、この法」
「どうせ、皇太子殿下じゃありませんか?」
「上皇后陛下にランチを賭けるよ」
「貴族議会が通したんだ。宰相家も噛んでるだろ」
そんな声が、学園のあちらこちらで上がったが、あまり実用性のないこの条項は忘れられるのも早かった。
まるで忘れる気がない、立案者一人を除いては……。




