第十三話
その日の夕方。
見慣れた孤児院の扉をノックするフィリップを迎えたラウラは、フィリップが差し出した大きな花束に驚いた。
「フィリップ様?! どうしたのですか、このお花」
両手で抱えるのがやっとなほどの花束など初めて見たラウラは、フィリップの行動に胸を高鳴らせた。
ラウラもラウラで、フィリップが急に帰った後、ハンスとマックスに焚き付けられていたのだ。
「歯軋りの合間にラウラ先生の名前を呼んだのか、名前を呼ぶ合間に歯軋りしてたのか」
首を傾げて考えていたマックスは、困惑するラウラを見てニタっと笑った。
「どっちにしろ、絶対フィリップはラウラ先生のことが好きなんだぜ」
「そ、そんなことないわよ!」
いつもは子どもたちに対して穏やかなラウラが、真っ赤な顔をしてマックスに言い返した。マックスはニヤついたまま、大袈裟にハンスの後ろに隠れた。
「好きかどうかはともかく、ラウラに会いに通っているのは事実だな」
ハンスもからかうようにラウラの顔を覗き込む。ラウラは反論しようとするが、思い起こせば、フィリップは一体何のために来ているのかという日が多いのも事実だ。
婚約者だと思っていたシャーロットもいつの間にか見なくなり、それを問うとフィリップの機嫌が悪くなる。
恋をする暇などなかったラウラでさえ、フィリップの視線が気になる時もあった。観察されているとは思っていたが、それが自分に向けられた好意とは考えもしなかった。
しかし、マックスとハンスにからかわれてから、ラウラの頭の片隅にフィリップが居座るようになった。
フィリップが自分をどう思っているのかはわからない。
聞いてみたい気もするが、聞くのは怖い。
そもそも、自分がフィリップをどう思っているのかさえはっきりしないし、はっきりさせるのも怖い。
フィリップが顔を見せないうちに、ラウラの頭の中では答えの出ない問答が延々と繰り広げられた。
そして考えれば考えるほど、頭の片隅にいたはずのフィリップの存在が大きなものへと変わっていった。
そんな中、急にフィリップが現れたのだ。とても大きな花束を抱えて。
ラウラはほんの少し、何かを期待してしまった。
「うちの庭で一番綺麗に咲いていたものを集めさせました。なぜか、花を持っていかなければいけない気がして」
フィリップ自身も首を傾げながら、それでも大きな花束をラウラに押し付けた。受け取ったラウラも、花束を渡される意味がわからない。二人はしばらく、黙ったまま玄関に立ち尽くしていた。
「ラウラ、夕食の世話は俺がするよ。フィリップ様は何かお話があるようだし、奥で話しておいで」
いつの間にか様子を見に来ていたハンスが声を掛ける。フィリップとラウラはハッとして顔を合わせた。
「ど、どうぞ。奥に……」
「ああ。失礼する」
普段は滅多に使わない応接室に、ラウラはフィリップを案内した。
この応接室は子どもが預けられる時、責任者のリリーと面談をする部屋だ。連れて来られた子どもの悲痛な泣き声が漏れ聞こえるこの部屋を、ラウラは好きではなかった。ラウラは殺風景な応接室に、渡された花束を飾っていく。
掃除以外では足を踏み入れない部屋だが、花を飾るだけでだいぶ雰囲気が変わる。次にこの部屋に入る子どものために、ラウラはこれからも庭に咲く小さな花でも飾ろうと思った。
そんなラウラの後ろ姿から、フィリップは目が離せないでいた。
キャサリンに言われて来たものの、なぜか前回見たラウラより、目の前にいるラウラが眩しく見えたからだ。
やがて、花を飾り終えたラウラとフィリップは向かい合って座った。
「あの、今日はどのようなご用件で?」
ラウラがちらりとフィリップを見る。思わず悲鳴を上げたくなるほどに、フィリップはラウラをまるで射るように見ていた。
「今日は、あなたにお話があって参りました」
フィリップがラウラを見つめたままで話し出す。ラウラの心臓がドキンと大きく鳴った。スカートをキュッと握るラウラの様子など気づかないフィリップは、淡々と話し出した。
「孤児院の運営を国が行うことになりました」
「は、はい」
「そこで、孤児院の実情に詳しくて有能な人物を、宰相補佐として我が侯爵家に招くことを決めました」
「はぁ……」
「それがラウラさん、あなたです」
「……え?」
ラウラはフィリップの言っていることが、すぐには理解できないでいた。
「国が行う孤児院の運営のお手伝いに、私が抜擢されたということですね?」
「その通りです」
「そのためにフィリップ様の侯爵家に、養女として入るということですか?」
「養女とは少し違いますが、寝食を共にするという意味では同じです」
「……」
ラウラは思わず俯いた。フィリップは仕事の話をしに来たのだ。
常識で考えれば平民で孤児のラウラが、フィリップに好きになってもらえるなんてあり得ない話。この数日間、まんまとマックスに乗せられて浮かれていた自分が、ラウラは恥ずかしくてたまらなかった。
フィリップは大変満足していた。
やっとラウラに自分の思いを伝えることができた。自分には珍しく、女性に花を贈るという気の利いたことすら思いついたのだ。殺風景な応接室に飾られた花は、まるで自分の中にいるラウラのようだ。
上機嫌に花を眺めるフィリップは、スカートを握り締め、目にうっすら涙を浮かべたラウラの姿が見えていなかった。
「フィリップ様」
少し硬い口調でラウラが呼ぶ。視線を花からラウラに戻したフィリップは、そこで初めてラウラの異変に気がついた。
暗い表情で唇を噛むラウラに、フィリップは目を見開いた。そんなフィリップにゆっくりと視線を合わせて、ラウラはきっぱりと言い切った。
「お断りします」




