第十二話
「お前はまた、とんでもない法案を通そうとしたんだって?」
皇太子専用応接室。少し落ち込んだ様子のフィリップに、ウルリッヒが胡散臭そうに声を掛けていた。
結局、あの後の議会は結論が出ないまま閉会した。なんとか法案を通そうと動くフィリップに待ったを掛けたのは、意外にもキャサリンだった。
そのキャサリンは、向かいに座るフィリップを冷たく見つめる。
「『平民の身分のまま貴族と婚姻できる』法案ですって? そんな婚姻して、一番苦労するのは平民の方でしょうに」
そんなこともわからないの? とキャサリンはため息を吐いた。フィリップはまた少し小さくなる。
「例えばフィリップ。あなたに平民のままの妻がやってきたとするわ。その妻を待っているのは、社交界での洗礼よ」
フィリップが顔を上げた。キャサリンが続ける。
「ただでさえ、私たち貴族令嬢、ご婦人たちは、社交界でいつも戦っているの。嫉妬、優越感、同調圧力……それを笑顔で交わして涼しい顔で攻撃する。私たち貴族女性は、幼い頃からこの戦場で生き抜く方法を学んでいるのよ。貴族女性を舐めないでいただきたいわ」
学園時代、剣にしか興味を持っていなかったように見えたキャサリンから飛び出た意外な言葉に、フィリップはもちろん、ウルリッヒも驚きの表情を浮かべた。
「そこに武器のひとつも持たない平民女性が着飾って現れたら……あなたにも、わかるわよね?」
女性の世界のことはわからないフィリップだったが、それでもとても良くないことが起こることだけは想像できた。
「だから平民女性を貴族の元に嫁がせる場合は、まずどこかの養女となってマナーを学び、その家の後ろ盾で守ってあげるのよ」
そうだったのか……フィリップは自分の浅慮に落ち込んで、また深く項垂れた。
珍しく黙って落ち込んでいるフィリップに、ウルリッヒとキャサリンは困ったように顔を見合わせた。
「その平民……ラウラ嬢だったか? お前がそこまで急いで結婚したいのには、理由があるんだろう? まさか、子でも授かったのか!?」
質問しておいて、ウルリッヒは激しく動揺した。キャサリンも悲鳴が出そうになり、思わず両手で口を塞ぐ。
「まさか! 失礼なこと言わないでくださいよ。ラウラさんとは、手も繋いでいませんよ」
まだくるぶしも見てませんし……と拗ねたようにフィリップは呟く。ウルリッヒとキャサリンは、ほっと胸を撫で下ろした。
「良かったわ。リリー先生にはとてもお世話になっているの。先生が可愛がっているラウラさんに手を出したなんてことになったら、合わせる顔がないわ」
「そうだな。特に、キャサリンはラウラ嬢との付き合いは長いからな。そうなれば、キャサリンの代わりに狼を向かわせたようなものだ。まあ二人の将来だ。お互いの気持ちが通じているなら、大切に話し合え」
ウルリッヒは一息ついてから、ティーカップを口に運んだ。
「そもそも、ラウラさんにはまだ人材登用として妻になってもらう話をしていません。ラウラさんの気持ちもわかりませんし」
ウルリッヒとキャサリンが固まる。
「そんな状況で、よくあの法案を提案できたな」
「外堀は先に埋めておきたいですから」
それを聞いたキャサリンが、今までで一番冷たい声で言った。
「フィリップ。今すぐ、ラウラさんにあなたの考えを伝えて来なさい」
言われなくてもそうするつもりだったフィリップが頷くと、キャサリンはそんなフィリップを睨みつけた。
「まあ、上手くはいかないでしょうね。きっと断られるわ」
「断られる? 私が?」
フィリップは心外だというように驚いた。その様子にウルリッヒが驚いた。
「あなたの言う『優秀な人材の登用』のために、ラウラさんに妻になってもらうのでしょう? ラウラさんにとって得はあるの? 受け入れる理由があるかしら?」
なぜキャサリンがここまで否定するのか、フィリップは本当に分からなかった。
「貴族がわざわざ平民を妻にするのって、恋愛感情よね? あなたは恋愛なんて必要ないって言い張る」
「はい。恋愛ほど不毛なものはありません」
「でも、あなたにとって有益なシャーロット嬢との婚約は潰した」
「……」
「それは、なぜか。よく考えて、ラウラさんと話し合って来なさい」
そこまで言うと、キャサリンは珍しく有無を言わせぬ口調でフィリップに退室を命じた。不服そうなフィリップが応接室を出て行くのを見届けて、キャサリンはウルリッヒに体を預けるようにもたれ掛かった。
汗だろうか。甘えてくるキャサリンからほのかに良い香りがする。ウルリッヒがドキドキしていると、キャサリンは疲れた顔をウルリッヒに向けた。
「あなたたち、おかしいのよ。女性の気持ちをちっともわかっていないわ」
ウルリッヒは、卒業パーティーでの己の失態を思い出した。キャサリンにお膳立てされてやっと自分の気持ちを伝えることができた自分と、未だ頑なに自分の気持ちを認めようとしないフィリップ。確かに、本当におかしい。人として、男としてどうかしているのは認めざるを得ない。
「……申し訳ない。肩でも揉もうか?」
ウルリッヒはぐったりするキャサリンの背中をサワサワと摩り続けた。




