第十一話
「あんなに照れて、嬉しそうにしているラウラを見たのも初めてでしたよ」
ガバッ。
ハンスの言葉を聞いた途端、フィリップはベッドから飛び降りた。驚くハンスとマックスに、フィリップは鋭く言葉を放った。
「着替えを」
慌ててハンスがフィリップの着ていたシャツを渡す。シャツはラウラが綺麗に干していてくれたのだろう、皺ひとつ無く乾いている。フィリップは先ほどと別人のように、テキパキと身支度を始めた。その手際の良さにマックスの目は釘付けになった。
着替え終えたフィリップは二人に深く礼をすると、カツカツと足音を立てて足早に玄関へと向かう。
「フィリップ様?」
途中、ラウラに会う。フィリップは顔色ひとつ変えずラウラに一礼すると、
「世話を掛けました。私は急用ができたので戻ります。礼は、かならず後日」
とだけ言うと、ポカンとするラウラに背を向け、孤児院を後にした。
明け方、仮眠を取るようにとフィリップの側から離されたラウラは、結局一睡もできなかった。
「思ったよりも少しだけ良い人」。そんな印象だったフィリップが、小雨の夜、汗を拭うことも忘れてモニーを抱いて走る……瞼を閉じると、その光景が浮かんだのだ。
しかも、何度もうわごとのように自分の名前を呼んだ。ラウラは、その意味が気になって仕方がなかった。
フィリップが目覚めたら聞いてみよう……そう思い、今か今かとフィリップが目覚めるのを待っていたラウラは、あっさりと立ち去ったフィリップに、戸惑った。
後ろ姿を唖然と見送るラウラの隣に、慌ててフィリップの後を追ってきたハンスとマックスが立った。
「一体、何があったの?」
問いかけるラウラに、二人は首を傾げるしかできなかった。
貴族議会が開かれている議会場では、貴族議員たちとフィリップが対峙していた。
「君の発案は、平民がその身分のまま貴族と婚姻できるようにする……言わば、貴族の身分制度にかかわる重大な事案だ。そもそも、平民の女性は妻にせずに囲っておくのが常識だ」
太った伯爵が疑問を投げかける。議員席からは賛同の声が上がる。
「この度、すべての孤児院が帝国の管理になる法が成立しました。ついでに、この発案も法制化していただきたい。そして私は、一人の平民女性を妻に迎えて力になってもらう……」
ざわついていた議員たちからは、戸惑いが見てとれた。フィリップは、ぐるりと議会場を見渡してから、はっきりと言い切った。
「これは恋愛感情などではない。これは、優秀な人材の登用です!」
議会が静まり返った。最近爵位を継いだばかりの若手議員が、恐る恐る手を挙げた。
「ならば、雇用という形でいいのでは? わざわざ制度を変えてまで婚姻する意味がわからない」
フィリップは、やれやれと言いたそうに首を振った。
「それは、常に隣に置いておきたいからですよ」
議会がざわりとした。流れ出した妙な空気を気にする様子もなく、フィリップは自信満々に頷いた。
「ありゃあ酷いな」
中二階にある人気のない傍聴席では、呆れた顔をしたアンドレアスとロルフ、そして呆れを通り越したフリッツが議会の様子を見ていた。
「おうおう、辺境伯のあの顔。あやつは平民の愛人をたくさん囲っておるからな」
「『囲われる平民にも身分保証は必要だ』とか言い出しそうですな」
ロルフがアンドレアスに囁いた瞬間、議会にフィリップの声が響き渡った。
「囲った平民女性は、飽きたら捨てるだけ……こんな常識はおかしい。ましてや子を産ませて捨て、その子が孤児院に預けられるケースも多い。不幸な子どもを増やさないためにも、平民を身近におく場合の身分保証は必要です!」
心当たりがあるのだろうか、数人の議員はフィリップから目を逸らした。フィリップは目を逸らした人物に、一人ひとりと視線を合わせていく。そして、最後に先ほど質問をした若手議員を見た。
「もちろん、平民を雇用することも歓迎です。が、中には優秀なのに読み書きすらできない人もいる。身分関係なく、すべての帝国民が教育を受けられたら、それだけ国力も上がる……」
「君個人のことだろう。勝手に家庭教師でもつけてやれば良いではないのか、その気に入った平民とやらに」
フィリップの発言を遮った古参の議員が、太った体を揺らしながら意地悪く笑う。周りの議員数人も同意して、乾いた笑い声を上げた。しかし、多くの議員は黙って考え込んでいた。
「全帝国民に教育を受ける権利を与える法案、及び予算。アンドレアス上皇陛下の時代から、ずっと議論に上がっていました」
フィリップは太った議員に鋭い視線を向けた。
「あなたの侯爵家を中心とした派閥が代々、孤児への予算案を反対されていましたよね。そのくせ、自分たちの視察予算の増額案は通してきた」
フィリップは数枚の資料を掲げた。
「これは、ここにいる全議員の視察費の使い道を記録したものです。なかなか、面白いことになっている」
議会中に再び沈黙が流れた。全員ではないだろうが、予算の不正使用をしている者も少なくないのだろう。
「やり口がえげつないですな」
「お前の息子の宰相。さっきから周りの視線が痛いのか、目を一度も開かんぞ」
ロルフとアンドレアスがフリッツを見る。
「やり方は半ば脅しですが、孤児と教育制度という、言わば我々の悲願が叶いそうではないですか」
フリッツはなんとか、孫の味方になってやろうと弁明した。
「わかりました。私も常々、領地の子どもたちへの教育問題を考えていました。法案の成立に向けて、お手伝いしましょう」
先の若手議員が立ち上がる。
「うちの領地では、文字も読めないのに契約書にサインさせられたという被害が報告されている。私も協力しよう」
次々と議員たちが立ち上がる。不正を指摘された議員たちも、名誉挽回のためか我先にと賛同し出した。
フィリップが、議員席に向かって深々と頭を下げる。今まで黙っていた宰相が、硬い表情で口を開いた。
「お前が言っていた、平民と貴族の婚姻。今まで通り、一度どこかの貴族の養子にしてからでは遅いのか? お前が言うぐらいだ。時間がかかると不利益があるのだろう。その説明が聞きたい」
短期間で数々の法制度を変えたフィリップのことだ。何か考えがあるのだろう……議員たちの好奇の目がフィリップに集まる。
フィリップはニヤリと笑ってこう言った。
「私は彼女を一日も早く側に置いて、手取り足取り、付きっきりで教育したいだけですよ」
一瞬、息を呑んだ議員たちから、一斉に怒号が飛び出した。
「それを恋愛と言うのではないのか!」
フィリップも負けじと言い返した。
「まったく違うじゃないですか。そんな邪なことばかり考えているから、貴族は破廉恥だと言われるのです。私は彼女のくるぶしや二の腕を観察したいだけです。これは、優秀な人材の登用です!」
「普通に良案を出すだけに、フィリップのヤバさが引き立つな」
「まるで、山の頂上から谷底までの落差。彼は多彩な考えをお持ちのようだ」
アンドレアスとロルフが傍聴席を立つ。
「あいつも結婚さえすれば、少しはまともになるのだろうか」
最後に席を立ったフリッツが、ため息まじりに呟いた。
三人が退席しても、議員席ではいつまでも、賑やかな議論が続けられていた。




