第十話
「結婚?!」
やっとハンスに顔を向けたフィリップはしばらく呆然としていたが、やがて苦しそうに、喉の奥から声を絞り出した。
「……おめでとうございます。ラウラさんとお幸せに」
フィリップはそれだけ言うと、またハンスから顔を背けた。今度はハンスが慌てる。
「ちょっと待ってください! どうしてラウラが出てくるんですか」
「だって、ラウラさんとあなたは、ずっと一緒に過ごしてきたのでしょう」
ハンスとは目を合わさず、フィリップは早口で答えた。それを聞いてハンスが目を剥いた。
「一緒って……。そりゃあ、家族ですから」
ラウラは妹みたいなものですし、とハンスは困った顔をした。
「そんなこと言ったら、俺とラウラも結婚できるじゃん」
呆れた口調でマックスが口を挟む。マックスにまで当然のように言われ、フィリップは顔をしかめた。
「じゃあ、一体誰と結婚するんですか」
フィリップがハンスを見る。しかし、ハンスは少し照れた様子で黒い髪を掻きながら答えた。
「リリー先生の……リリー先生がお世話している、別の孤児院出身の女性です」
ハンスの頬が赤く染まる。フィリップは驚いた。相手がラウラではなかったことはもちろん、ハンスがそんなことで照れるような男だと思わなかったからだ。
その女性はレベッカといい、二十歳のハンスより二つ年上。二人は収穫の手伝いを通して、一年前に知り合ったそうだ。
「よかったな、フィリップ」
「フィリップ様な……。別に良くも悪くもないが、すごく、すごくおめでとう! ハンスさん」
フィリップの機嫌が明らかに良くなる。ハンスとマックスは、顔を見合わせて笑った。
「もうすぐ結婚といえば、うちのウルリッヒ殿下と同じ時期か」
そう呟いたフィリップは、あることを思い出した。そして、ハンスに近づくように手招きする。不思議そうに近づくハンスの後ろから、マックスもこっそりと付いてきていた。
「では、もう見たんですか?」
「 何を?」
「レベッカさんの」
「レベッカの?」
「くるぶし」
「く、くるぶしっ?!」
ハンスが素っ頓狂な声を上げた。その顔は頬どころか、額まで一気に赤く染まる。
「何をいきなり破廉恥なことを!」
やはり、ウルリッヒだけが特殊なんだな……とフィリップはハンスの反応を見て確信した。そんなフィリップを、マックスは気味悪そうに見た。
「偉そうに見えて、貴族って破廉恥なんだな」
「私は違うぞ」
「違わないだろ」
フィリップが胸を張る。ハンスは、ギャーギャーと言い合うフィリップとマックスを見ながら何やら考えていたが、思い出したように口を開いた。
「くるぶしはありませんが、二の腕は見ました」
言い争いをやめたフィリップとマックスが、きゅっと抱き合う。二人は恐ろしいものを見るような目でハンスを見た。
「平民だって、破廉恥ではないか!」
「見損なったぞ、破廉恥先生!」
さすがにハンスもムッとしたようだ。マックスをフィリップから引き剥がしながら、言い捨てた。
「あなたも、ラウラのくるぶしでも見たらいいじゃないですか」
「なんてことを! 犯罪だぞ! それに、私はラウラさんのことをそんな目で見ていない!」
顔を真っ赤にしてそう怒鳴ったフィリップは、マックスが肩を震わせて笑いを堪えているのに気づいた。
「マックスは、一体何を笑っているんだ?」
マックスは少し言い澱んだが、ちらっとハンスを見てからこう答えた。
「あれだけ、寝言でラウラ、ラウラって言ってたらさ……」
フィリップの赤かった顔が、一気に青くなる。そんなはずはないが、寝ている間のことなので否定しきれない。ハンスを見ると、ハンスは気まずそうに目を逸らした。その行動で、フィリップはマックスの言葉が事実だと悟った。
「あの……どれぐらい言っていたんだ?」
「歯軋りしていない時は、大体言ってた」
――詰んだ。
自分が歯軋りしていたことはショックだった。それ以上に、尋常じゃないほどラウラの名前を呼んでいたことに衝撃を受けた。いや、衝撃どころではなかった。
「あの……。ラ、ラウラさんは」
「真っ赤な顔をして、黙って聞いていましたよ」
フィリップは目の前が真っ暗になった。ラウラにどんな顔をして会えばいいのかわからない。いや、もう会えない……。
急に黙り込んだフィリップをよそに、ハンスは楽しそうに言った。
「あんなに照れて、嬉しそうにしているラウラを見たのも初めてでしたよ」




