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【連載版】第24条1項『婚約解消は、両性の合意のみに基づいて成立し、決して真実の愛などによる一方的なものであってはならない』  作者: ミズアサギ
第39条1項

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第八話

 

 小雨が降る下町。フィリップは自分の上着を抱きしめたモニーに掛け、ラウラの案内で暗い街道を小走りで進んだ。

 モニーの熱がまた上がったようだ。シャツの胸元を握るモニーの手が汗ばんでいる。フィリップはシャツに皺が出来るのにも構わず、しっかりとモニーを抱いて走り続けた。


 貴族が通うような立派な医院とはまるで違う、長屋の一角にある小さな診療所。その粗末な玄関を、ラウラは必死に叩いた。中からは灯りが見えるものの、一向に人が出て来る様子はない。泣きそうな顔で、ラウラがフィリップを見あげた。フィリップは、そのドアを力一杯蹴り上げて叫んだ。


「開けろ、ブラウン侯爵家だ! 私は次期宰相のフィリップ・ブラウンだ!」


 中でバタバタ音がしたと思ったら、すぐにドアが開いた。フィリップはモニーを抱いたまま、ドアの中に雪崩れ込んだ。



 フィリップの存在に驚いた年老いた医者は早く床についていただけで、丁寧にモニーを診察してくれた。

 モニーは、初めて口にする「薬」を嫌がって泣いたが、ラウラの説得と医者の口車に乗せられて、その苦い薬を口にした。

 フィリップは、後日費用を払うと約束し、懐中時計とカフスボタンを医者に渡した。受け取った医者の驚いた顔が面白かったのか、モニーにもようやく笑顔が戻った。



 すっかり雨が上がった帰り道。フィリップのシャツは、汗と雨でくたくたに乱れている。それに気づかない様子のフィリップの背中では、薬が効いたのか、モニーがスースーと寝息を立てている。


 そこでようやく、フィリップはラウラの表情を見た。ラウラは泣いていたのか、その目尻は赤い。

 孤児院に行くとラウラしか見ていなかったフィリップは、ラウラの泣き顔を見逃すほど、自分が焦っていたことに気がついた。



 さっきは、マックスに重すぎる役目を押し付けたことに胸が痛んだ。しかし、隣を歩くラウラだって、まだ十七歳の少女に過ぎないのだ。自分も孤児でありながら、孤児院を守る重圧は、フィリップには計り知れない。

 かつてフィリップは、字を書く時間すら作らないラウラを責めた。そんな自分を、フィリップはより責めていた。



 何か話さないと……。しかし、沈黙も心地よい。日常ではあり得ない状況に、フィリップは自分がなぜここにいるのかも忘れそうになる。

 ただ、この時間が続けばいいなとだけ思う。モニーを背負ったフィリップとラウラは、ひと一人歩いていない夜道を孤児院に向かってゆっくりと歩き続けた。



「すっかり遅くなりましたね。みんな帰って来れたでしょうか」


 夜空を見上げながら呟いたラウラの声で、フィリップは我に返る。フィリップが心地良いと感じていた時間、ラウラは、橋の修復に行っているハンスたちの心配をしていたのだ。フィリップは一気に現実に戻った。


「ラウラさんは、ハンス先生といい仲なのか?」


 不機嫌を含んだフィリップの声で、穏やかだった空気が微妙に崩れた。


「えっ?」


「はっ?」


 目を見開いてフィリップを見るラウラに負けず劣らず、フィリップも目を見開いた。

 自分が発した言葉が、信じられなかったのだ。


「『は?』と仰ったのはフィリップ様でしょう? 私こそ『は?』ですよ」


 少し怒った口調でラウラが言う。その膨らんだ頬が可愛くて、フィリップは微笑んだ。


「いやいや。私は、なぜ二人があの孤児院を運営しているのか知らない。通常は、夫婦で運営するものなんだろう?」


 穏やかに笑うフィリップに、ラウラからも毒が抜けた。


「確かにそうですね。私とハンスは、物心ついた頃からあの孤児院にいたんです」


 そう言えば、ラウラの過去を聞くのは初めてだった。フィリップは口を挟まず、黙ってラウラの話を聞いた。


「孤児院の子は、ある程度大きくなると働き口を探して出て行くんです。稀に、孤児院を作ったリリー様のように、貴族の養子に入る人も」



 リリー……フィリップは記憶を辿る。確か、祖父たちが取り合った男爵令嬢だ。その後、孤児院で一緒だった男性と結婚して平民に降ったと聞いた。


「ハンスは右足が悪いので、職を得ることが出来なかったのです」


 がたいのいいハンスにそんなハンデがあったと知らないフィリップは、息を呑んだ。


「私も来年には十八歳。孤児院を出る年齢なんですが、リリー様のご配慮でお世話係として置いてもらっています」


 そうか。孤児院は十八歳になれば居られなくなるのか……フィリップは考えた。ならば、なおさら孤児院にいる間に、読み書きを教えなければならない。

 ひとり難しい顔をするフィリップを見て、ラウラが笑った。


「フィリップ様って、本当に子どもたちのために一生懸命なんですね。最初と印象が変わりました」


 まっすぐに褒められたフィリップは、恥ずかさを隠すために少しおどけて見せた。


「何を言っているんだ。私は、次期宰相だぞ」


 ラウラは声を上げて笑う。今までの不安をかき消すような笑い声に、フィリップは胸が苦しくなった。


「本当に、今夜はフィリップ様がいてくれて良かった!」


 スキップしそうな勢いでラウラが歩く。



「……ハンスよりも?」




 ラウラには、フィリップが呟いた言葉は聞こえなかった。

お読みいただきありがとうございます。

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