四十一幕
アナスタシアが祈るように組んでいた手を広げると、眩い光が溢れだした。光を浴びた患部からドス黒い色が抜けて薄まっていく。
おおっと見守っていた周囲から感嘆の声があがった。
光が収まると、アナスタシアは閉じていた瞳を開けて慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「さあ、これでもう大丈夫ですわ。毒は除去いたしました。お大事になさってくださいね」
「ご令嬢、ありがとうございます。
さあ、お疲れでしょう。粗茶でございますが、休憩のご用意がしてあります。どうぞ、お休みください」
治療院の院長が申し出てくるが、アナスタシアは首を横に振った。
「いいえ、わたくしの力など、治療師の皆様の補助にすぎませんわ。皆様のほうこそ、お疲れでしょう。
どうか、わたくしのことはお気になさらずに」
アナスタシアがにこりと整った微笑みを浮かべる。
なんて謙虚なんだ、と周囲から感動の声があがるが、アナスタシアの本心では『さっさと休ませなさいよ! でも、こんな貧民街に近いシケた治療院の歓待なんて期待できないわね』と冷めたものだ。
アナスタシアは侯爵に命じられて王都内の治療院巡りをしていた。毒で苦しむ患者から毒を除去する無料奉仕だ。
チャベス家の領地にはダンジョンがない。領地は嫡男夫妻がしっかりと経営しているから、実習でもアナスタシアが入り込む余地はなかった。
貴族の子供は六歳以降にお披露目が行われる。チャベス家の嫡子には二人の子供がいて、来年跡取りのお披露目を行う予定だ。嫡子の跡取りがお披露目されてから爵位の譲渡が行われるのが一般的で、チャベス家の世代交代は来年以降と思われていた。
侯爵は引退前にアナスタシアをカルロスの妃に決定させようと躍起になっていた。仮婚約者のエミリアナが領地での実習中に王都の貴族に根回し活動で必死だ。
アナスタシアの治療院巡りもその一環だった。
毒の浄化というパフォーマンスで民意を味方につける算段だ。そのため、アナスタシアは傲慢な振る舞いは潜めろと厳命されている。お付きの侍女から報告があがるので、外では聖女に相応しい慈悲深い行動を心がけていた。
要するに聖女の演技なのだが、淑女の微笑みで内心を押し隠していても十分慈悲深く見えるらしい。
おそらく、浄化スキルの影響でありがたく見えているのだろう。
アナスタシアは新学期の初日は欠席した。スタンピード発生でメラニアが吹聴していった『聖女様』に祭り上げられるのを恐れたからだ
本当に討伐隊に加わる要請がきたら、断るのは悪手だ。侯爵も名を売る好機だとして、両手をあげて討伐隊に放り込むと容易に想像がつく。
だが、すでにスタンピードは封じ込めに成功し、後は掃討戦だけだと知らせがきてホッとした。治癒魔法持ちが手持ち無沙汰で戻ってきたとの情報もあり、浄化スキルの出番もなさそうだ。
アナスタシアは成績ではエミリアナに敵わなかったので、レアスキルで名声を高めることになった。なんでも、侯爵が国王から密かにカルロスの婚約者候補について問われたらしい。『辞退する気があるならば受け入れるが、候補者から降りる気がないならば、実習で相応の成績を取るように』とのお達しだった。
エミリアナは騎士が好みのタイプだと公言しているし、跡取りのルイシーナもカルロスとの婚約に乗り気ではないのは学園内では有名な話だ。
ルイシーナがカルロスに話しかけられても素っ気なくしているのは妹との縁組を敬遠しているからだと周囲には思われていた。実際には何かとちょっかいをかけてくるカルロスが鬱陶しくて面倒くさいだけだが、ルイシーナは淑女の仮面装備で見事に誤魔化している。
ダンジョンのない領地での実習では好成績をだすのは難しく、王都で名を売るにはレアスキルを活かしたほうが手っ取り早かった。ついでにカルロスにアピールして好感度をあげようと、アナスタシアとチャベス侯爵は一石二鳥を狙っていた。
国王はすでにエミリアナを仮婚約者から外し、カルロスも臣籍降下させる予定だ。ただ、エミリアナの血筋確認ができていないため、全てを内密にしている状態で、カルロスの婚約者も内定できない。
候補者たちをいつまでも引き留めておくわけにはいかず、全ての候補者たちの親にチャベス侯爵と同じ質問をしていた。
アナスタシア以外の候補者は伯爵家で、相応の成績と言われて思い浮かべたのはエミリアナと同等かそれ以上の実績だった。学園でエミリアナに敵わなかったのに実習で巻き返せるとは思わなかった。
アナスタシア以外の候補者は辞退して、大急ぎで嫁ぎ先を見繕っていたが、チャベス侯爵は自分以外にも声をかけられたとは思っていなかった。
セルダ家が乗り気でないなら、まだチャンスはあると喜んでいたのである。
「アナスタシア嬢、見事な浄化だった。素晴らしいな」
「まあ、殿下。見ておられましたの?」
アナスタシアは驚いて見せたが、カルロスが現れることは想定内だ。カルロスは外回りの公務を任されていて、今日はこの辺りに視察に訪れると情報を得ていた。
「スキルの使用で疲れているだろうに、逆に治療院の者を労うとは、本当に聖女のような心構えだ」
「まあ、殿下。そのような呼称は大袈裟すぎますわ。わたくしは自分にできる最大限の努力をしているだけですもの」
アナスタシアは殊勝げに目を伏せるが、内心では『聖女様の称号を勝手に名乗って罰せられたらどうするのよ!』と怒り心頭だ。侯爵からも『聖女のように振る舞え。ただし、絶対に聖女だと名乗ってはいかん。神殿が正式に認めねば詐称になるからな』と厳命されている。
「そうか、アナスタシア嬢は淑女の鑑のようだな。奉仕活動に熱心に取り組み、領民でもない相手でも惜しげなくスキルを振る舞って助けている。
とても、素晴らしいぞ。私も分け隔てなく民と接する姿を見習わないといけないな」
「まあ、殿下。そのようなお言葉をくださるなんて、光栄ですわ。とても、嬉しゅうございます」
素直に感心するカルロスに、内心はともかくとしてアナスタシアが控えめに微笑む。
学園での礼儀作法の成績が振るわなかったので、改めて侯爵家で課せられた体罰込みの淑女教育の賜物だった。痛みと共に体に叩き込まれた作法のほうが学園の教えよりも身について、苦手だった感情の制御もできるようになったとは皮肉なことだ。
「アナスタシア嬢、この後の奉仕活動がないならば、私と昼食をとるのはどうだ?
私も視察が一段楽したところで、これから昼食なのだ」
「まあ、お誘いは大変嬉しゅうございますが、いきなりお邪魔してはお供の方のご負担になりませんか?」
「昼食場所は貸し切っていると聞いているし、多少人数が増えたところで大丈夫だろう」
カルロスが従者の反応を見てから返事をした。従者が顔をしかめたり、そっと首を横に振ったらダメだと兄から躾けられている。
「どうか、私めに麗しい貴女さまをエスコートする権利を与えてくださいませんか?」
カルロスが茶目っけたっぷりで手を差し伸べてくるから、アナスタシアは『やったあ!』と内心のガッツポーズを隠し通して上品に微笑んだ。
「ええ、よろしくてよ」
「では、参りましょうか」
カルロスの気分では聖女様をエスコートする聖騎士か英雄だ。二人は機嫌よく治療院を後にした。
カルロスは王家に残すには不適格とされたが、まだ知らされていなかった。兄のエルネストが最後の情けとして、実習中に王族に相応しい行動をとったら、せめて公爵位を授けてほしいと願ったからだ。
カルロスの従者たちにはアナスタシア以外の候補者は辞退したと伝えていたから、カルロスがアナスタシアと交流するのは歓迎されていた。
相変わらず、浄化スキルに魅せられているカルロスは飽くまで友人としてアナスタシアに接しているつもりだったが、周囲はそうは見ていなかった。
婚約者候補との微笑ましい交流とみなされていたのである。
「あら、チャベス様は王都で奉仕活動に精をだしているそうですよ」
「まあ、そうなの?」
「チャベス家の領地にはダンジョンがないからかな。でも、女主人の役割を学ぶなら、領政にも関わらないといけないんじゃなかったかい?」
ミランダからの手紙を読んだエミリアナの報告に姉と婚約者が顔を見合わせている。
エミリアナはまだホテル暮らしをしていて、セルダ邸に届いた手紙を姉が会うついでにと持ってきてくれた。
オクタビアは本邸で厳重に監視された療養生活なのだが、時折ルカスやエミリアナに向けた呪詛をこぼしては暴れるらしい。万が一を危惧して、エミリアナがセルダ邸に戻るのは禁じられた。
ずっと、ホテル暮らしも外聞が気になる。他の別邸に移るか、いっそのこと、ライネス領で平民暮らしを経験してもいいのではないかと相談していたところだ。
エミリアナが参考になるかと目を通したミランダからの手紙は王都の様子が書かれていた。ミランダの従妹が貴族学園に入学しているから、王都の噂が耳に入るそうだ。
「チャベス様は治療院を巡ってスキルを振る舞っているそうです。まるで、聖女様のようだと庶民の間で噂になっているのですって」
「へえ、討伐の要請に応じるつもりはないのに、聖女様を名乗るのかい?」
イラリオが皮肉げに口角をあげた。彼もお茶会での話は聞いているし、学園でアナスタシアがメラニアを避けまくっていたのを実際に目にしている。
エミリアナは最後まで手紙を読んでから首を傾げた。
「どうやら、ご自分では否定しているようですよ。『聖女様なんて恐れ多い』って。
でも、謙虚さから、余計に聖女様みたいだって言われるそうですわ」
「それじゃあ、我が領でも何かあった時にはお声がけさせてもらおうか」
「リオってば、そんな意地悪を言うものではないわよ。
本当にその気になられたら、困るじゃない。絶対に、足手纏いになるとわかるでしょう」
ルイシーナが呆れたように頭を振った。
討伐時には令嬢らしい扱いなんてされない。男女問わず、生死の瀬戸際でなりふり構わずだと聞く。
安全な王都の治療院で慣れたからと、いきなり討伐現場に放り込んでも碌にスキルなんて扱えないだろう。気絶しないだけマシなほうだと言われるはずだ。
今回の視察で討伐現場の実情を説明されてルイシーナは青くなったが、イラリオは護衛騎士から事前に情報を得ていたようでけろっとしていた。腹立たしいが、領主を目指すならば想像くらいはしておくべきだったと反省させられた出来事だ。
ルイシーナが気負っていたら、イラリオに宥められた。
「領主が討伐現場で実際に動く必要はないよ。領主は総責任者で指令をだす立場だからね。
過酷な現場を心得ておいて、必要な物資の手配や差配ができるようにするのが一番の仕事だ。
責任から目を逸らす真似だけはしちゃいけないんだ」
イラリオの言葉は母の所業を思うと、耳に痛い。母は領主夫人の仕事を放り出して、ただひたすら憎い庶子の排除に動いたのだ。
「夫人は侯爵とよく話し合うべきだったんだ。
夫人が正統な侯爵家の血筋なのだから、政略結婚させる子供が必要なら親族から養子をもらえばいい。親族からの心象がよくなって、侯爵への風当たりも収まっただろうに。
夫人だって侯爵を許せないなら離縁してもよかった。シーナが成人するまで親族から後見人をだせば問題はなかったはずだ。
それを侯爵も夫人もプライドの高さからお互いに歩み寄りせずにいたから歪みがでて、そのとばっちりをエミリアナ嬢が受けたのさ」
イラリオは嫌悪感でものすごく顔を歪めていた。
彼の両親は政略結婚で最初は愛情はなかったと言っていた。お互いに別に好きな相手がいたらしいが、貴族の義務と割り切っての婚姻だ。ビジネスパートナーとして接するうちに情を交わして夫婦になっていったと聞いている。
努力して信頼関係を築いた両親の姿を見ているから、ルカスとオクタビアの関係は怠惰で薄情なものとしか思えない。
ルイシーナも沈痛な面持ちになってしょげていたら、イラリオにそっと両手を取られた。
「シーナ、そんな顔をしないで。きついことを言って、ごめん。
君の両親だけど、侯爵夫妻の有り様は僕には受け入れがたくて、ついね。
僕はシーナとはなんでも相談できる夫婦になりたいと思っている。シーナも僕には甘えて欲しいのだけど、どうかな?」
「・・・わたくしは十分に甘えさせてもらっていると思っているわ。
我が家が子爵家止まりで済んだのはライネス家の尽力のおかげでしょう? 本来なら、魔獣の取引だなんてお家が潰されても文句は言えないのに」
「夫人が心神喪失状態だったのは確かだし、強く罪には問えないよ。
それに、カルロスには迷惑をかけられたからね。その精神的苦痛に対する慰謝料との相殺だと思えば、妥当な処置だったと思うよ」
イラリオはにこりと微笑んだ。
正確には慰謝料と言う名の脅しだった。ルイシーナに対する迷惑行為やエミリアナへの侮蔑発言などを公言されては王家だって困るのだ。臣籍降下させても末子に愛情がないわけではない。
今後、貴族社会でカルロスが真っ当にやっていくためには、円満な仮婚約解消にしなくてはならないのだ。姉妹そろって慰謝料を請求される事態は避けたかった。
にこにこ笑顔のイラリオに癒されて、ルイシーナはほおっと息をついた。イラリオといると、呼吸が楽になる気がする。
「信頼関係ならもう築けていると思うわ。わたくし、リオに隠し事はできないと思うもの」
「それは嬉しいなあ。僕もなるべく隠し事はしないようにするね」
「あら、なるべくなの?」
「うん。男同士の付き合いとかはあまりご婦人の耳に入れないほうがいいこともあるし。
あ、浮気だけは絶対にしないから安心してね。僕は自分が嫌なことは人にしてはダメだと思っているから」
「ふふっ、リオったら・・・」
ルイシーナはくすりと笑みを浮かべた。イラリオが不貞なんて不誠実な真似をするとは思わないが、言葉にして気遣ってくれるのが単純に嬉しい。
イラリオと微笑みあっていたルイシーナはふと周囲が静かなのに気づいた。
思わず、ぐるりと見渡すと、エミリアナは以前教えた通りにそおっと扇子を広げて見ないふりをしているし、テオドラやフィデルはミレイアを見習って気配を殺して壁と同化している。
ルイシーナは赤くなって、ごほんごほんと咳払いをした。イラリオはもう少しこのままでいたかったが、まあ帰りの馬車でミレイアに空気になってもらえばいいかと渋々と手を離した。
「話がずれてしまったわね、ごめんなさい。
ええっと、別邸の話をしていたのだったかしら?」
「そうですわね、警備について話してましたわ」
エミリアナがさり気なく復帰して会話に加わる。平民暮らしでも警備はつくが、別邸よりは手薄になると話していた。
姉たちと話を続けようとしたら、来訪者があった。闇商人の摘発後にアーロンの様子を見にいっていたダニエルが戻ってきたのだ。
掃討戦はもう終わっていて、素材や魔石の回収がメイン作業になっていた。召集された上級冒険者もそれぞれ戻ってきているのだが、アーロンはサラサール家の者だと面が割れている。以前、断ったのに、王家からお家再興の打診を猛アタックされて戻れないと連絡がきていた。
ダニエルは困った顔で頭を掻いた。
「アーロンは両親が遠征の時には領地に預けられていたんだって。顔見知りの住民もいて、このままにしておくのは忍びないらしい。かと言って、サラサール侯爵になるつもりはないしで、話し合いは難航していたよ。
まだ、戻れないって言われて、血筋確認にはレアンドラ嬢に協力してもらってはどうかって話なんだけどさ」
レアンドラはダニエルを送りに来た時に休暇を使ったから、すぐに休暇を取るのは難しいそうだ。
「まあ、それではお二人のどちらにお願いするにしても、まだ時間がかかりますのね」
「ああ、お嬢サマにはすまないって謝っておいてくれって、伝言を預かってるよ」
「いえ、事情が事情ですから、仕方がないことだと思います」
エミリアナはしばし考え込んだ。
ダニエルは膝の上に大きくなったきゅうちゃんを乗せてクッキーをあげている。
飛竜は好物をとるようになると成長が早いそうで、手のひらに乗るサイズだったきゅうちゃんももう両手で抱き上げるくらいの大きさになっていた。
きゅうちゃんは薄毛も抜けてしまってトカゲに似た地肌だ。テオドラが無の表情になって、クッキーを補充しているが、内心では苦手なトカゲ相手に無心を心掛けているのだろう。
「きゅうちゃんも大きくなりましたね。だいぶ、重くなったのではないかしら?」
「ふふふ、きゅうちゃんもそのうち飛ぶようになるよ。今のところはみんなの癒しのアイドルだけど」
ダニエルが誇らしげに胸を張った。冒険者仲間の中できゅうちゃんは可愛がられているのだ。
「冒険者活動にきゅうちゃんも連れて行ってるんですか? まだ、子供なのに、危なくないのですか?」
「うーん、でも、きゅうちゃんが離れないから置いて行けないし」
「きゅきゅきゅう?」
きゅうちゃんは自分の名前に反応して首を傾げている。可愛らしい仕草にルイシーナが触りたそうな目を向けるが、きゅうちゃんはクッキーに釘付けで動きそうにない。
「クッキーと一緒に置いていくとかは?」
「すぐに食べ終わって追いかけてくるだろうね」
ダニエルが苦笑してきゅうちゃんを撫でている。エミリアナはあっと思いついた。
「アーロンさんが動けないなら、わたくしたちが出向いて血筋確認をしてもらうのはどうでしょう?」
「でも、お嬢サマもサラサール一族だとわかって面倒なことになるんじゃないの?」
ダニエルの指摘にエミリアナはがっかりしたが、イラリオが待ったをかけた。
「いや、エミリアナ嬢は冒険者登録したって言ってたよね。新人冒険者のふりをすれば正体はバレないんじゃない?
今、現地では収納スキル持ちが募集されているのでしょう。収納の一種だと思われているエミリアナ嬢のスキルなら行けそうだよ」
カルサダ地方ではスタンピード後の素材や魔石回収で収納スキルが必要とされていた。確かに冒険者ギルドでは募集がかかっている。
「エミリアナ嬢の次の住まいが決まっていないことだし、試しみてもいいんじゃないかな」
イラリオの提案でエミリアナは従兄に会いに行くことになった。




