三十八幕
フィデルが剣を振ると、氷の刃が飛び出した。
黒い魔獣が飛び退くが、その行動を読んでいたフィデルが追撃をかける。勢いよく剣が水平に振られ、真っ二つになったかと思いきや、魔獣は鋭い牙で剣を咥えていた。パキンと砕ける音がして、剣が折られてしまう。
勝ち誇ったように咆哮をあげる魔獣が得物を失ったフィデルに迫った。
「フィデル!」
エミリアナは自分の悲鳴で目が覚めた。瞬きを繰り返す深緑の瞳を心配そうにテオドラが覗き込んでいた。
「エミリアナ、目が覚めたの? うなされてたけど、気分は大丈夫?」
「テオドラ・・・、あれ、わたし・・・、気絶したんだっけ?」
「ええ、あいつなら無事だから、心配することは何もないわよお。ついでに助っ人のA級冒険者さんもすっごく元気だったわ」
テオドラがげんなりと死んだ魚の目になった。搾った濡れタオルでエミリアナの額を拭いてくれて、冷や汗が浮かんでいたエミリアナは気持ちよさそうに目を細めた。
「頭にたんこぶができたから冷やしたのだけど、痛みはどう?」
「んっとね、ちょっとズキズキするくらいかな」
エミリアナは慎重に起き上がって頭に手をやった。ぐるっと周囲を見渡すと、クリーム色の壁に薄いピンク色の絨毯が敷かれている部屋で、隠れ家内のテオドラの私室だった。
「ここ、テオドラの部屋だよね。わたし、テオドラのベッドで寝てたの?」
テオドラの要望で室内はパステルカラーのファブリックで統一されている。
エミリアナはオレンジ色のベットカバーをめくって床に足をつけた。立ちくらみを起こすことはなく、ちょこっとだけたんこぶが痛むが、体の不調はない。
「ここは郊外と言うよりも、もう領都の外の街道らしいわ。今夜の月明かりは細々としているし、暗闇の中を移動するのは却って危険だからって、ここで夜明かしをすることにしたのよ。
倒れた馬車内で過ごすよりも【裏口】を使ってあんたの隠れ家で過ごしたほうが快適で安全でしょ?
あの二人はフィデルの部屋で、あたしたちはあたしの部屋にしたのよ」
隠れ家の各部屋の鍵は指紋認証で部屋の主が登録している。エミリアナの部屋はエミリアナの指紋でないと開かないから、テオドラの部屋を使うことにしたのだ。
「あんたが目覚めたら知らせろって、フィデルにうるさく言われてるのよお。知らせてきてもいいかしら?」
テオドラがエミリアナの身支度を整えて提案してくるが、エミリアナはテオドラが動く度にお腹の辺りでモゾモゾしている物体に目が釘付けだ。
「ねえ、テオドラ。お腹のところにいるのは何? トカゲみたいだけど、うっすらと毛があるし、羽も生えてるから違うかな?
テオドラはカエルとかトカゲは苦手だったよね」
「・・・こいつ、離れないのよおおおお。ひっぺがすとうるさく鳴くし」
テオドラがどよよよんと暗い顔でお腹を見下ろした。きゅっと鳴き声がして、エミリアナは目を丸くする。
「え、鳴いてる。トカゲは鳴かないよね。やっぱり、別の生き物かな?」
きゅきゅっと鳴いている生物はがっしりとテオドラの服にしがみついている。パタパタと小さな羽を動かしていて、見た目はぬいぐるみのようで可愛いらしい。
「・・・生まれたての飛竜らしいわよお。A級さんのペット、今回のスタンピードの戦利品ですって」
「戦利品?」
エミリアナは首を傾げた。
通常、スタンピード時はひたすら魔獣を殲滅して駆逐するのみだ。普段の冒険者活動のように解体して牙や爪、毛皮など素材を収集する暇などない。魔獣の心臓である魔石だって、後から無事だったものを回収できればいいほうだ。
戦利品を得る余裕などないはずだった。
「まあ、今回は通常とは勝手が違ったでしょうからねえ」
テオドラが遠くを見る目になった。
魔獣をカルサダ地方に封じ込めるのに成功した後は掃討戦になった。冒険者や猛者たちに余力があって、生け取りにできた魔獣もいた。飛竜は北の小国の飛竜部隊が捕まえたという。
北の小国では飛竜を飼い慣らして移動手段にしている。深い谷間や渓谷の多い地形で馬車での移動は遠回りで時間がかかるからだ。今回のスタンピードは小国との国境近くで起こったから小国にも被害が及ぶ可能性があって、小国から飛竜部隊が討伐に参加していた。
もし、運よく新たな飛竜を捕まえたら、繁殖に利用するつもりでいたとか。
飛竜部隊によると飛竜は魔力の相性がよい相手を主人と認識するそうだ。成竜よりも幼体のほうが警戒心が薄く懐きやすかった。
飛竜部隊が捕えた飛竜は生まれたばかりの我が子を両手と口に咥えていた。スタンピードに加わっていたと言うよりも、巻き込まれて右往左往している感じだったという。
ダニエルは幼体を傷つけないよう慎重に捕獲するために協力を頼まれた。その対価は金子だったのだが、子供の一匹がダニエルの後を追いかけ回して離れなかった。どうやら、彼の魔力を気に入ったようで、対価の代わりに飛竜の子供をもらったそうだ。
「こいつ、馬車に転がってたバスケットからクッキーをつまみ食いして気に入ったようなのよお〜」
テオドラが深々とため息をついた。
テオドラ特製のクッキーは木の実入りで庶民がよく口にする素朴なものだ。侯爵令嬢のエミリアナの口に入れるようなものではないのだが、時折エミリアナが食べたがるから、離れの厨房でこっそりと作っていた。
昨日、木の実が手に入ったから生地を寝かせておいて、出かける前に焼いてバスケットに詰めてきた。テオドラの私服にクッキーの匂いがついていたのか、飛竜の子供は鼻をすんすんと鳴らしてテオドラのお腹の辺りにひっついてしまったのだ。
「飛竜って雑食らしいのだけど、個体差があるんですって。
生肉しか食べなかったり、果実ばかり食べるとか。こいつは何を好むのか分からなかったらしいわ」
何をあげても見向きもしなくて、ダニエルの魔力を込めた水しか飲まなかったらしい。さすがにこのままずっとでは子竜が弱ってしまうと頭を悩ませていたそうだ。
ダニエルが土下座せんかの勢いで子竜の好きにさせてやってくれと頼み込んできたから、テオドラは仕方なく子竜を預かったのだという。
「それじゃあ、この子はクッキーが好きなのかな? それとも、木の実のほうかな?」
「さあ? どっちでもいいから、さっさと離れてほしいわあ〜。
もふもふできるなら我慢できるけど、こいつ、成長したらつるっぱげになるらしいし」
テオドラがふふふっと目だけは笑っていない笑みを浮かべている。
生まれたての飛竜は体温保持のために毛が生えているが、外気に体が慣れてくると毛が抜けるそうだ。
トカゲが苦手なテオドラはまだうっすらと毛が生えているから、子竜がくっつくのを我慢して耐えていた。
「あ、そう言えば、わたしの部屋の冷蔵庫にクッキーが入ってた気がするよ。とってこようか?」
「ほんと! お願いよ、こいつ、引き剥がしてちょうだい!」
テオドラがぱあっと顔を輝かせた。きゅきゅっと首を傾げる子竜は可愛さの化身だと思うのだが、テオドラにはもふる毛がない生物は可愛さの対象外らしい。
「じゃあ、持ってくるね」
「あ、その前にフィデルに顔を見せてあげなさいよお。心配してうるさかったからね」
「うん、わかった」
エミリアナは元気よく答えて、フィデルの部屋を訪れてから自室に行くことにした。
「エミリ! 気分は大丈夫か? 頭の痛みは?」
どことなく憔悴したフィデルがエミリアナの肩に手をおいて顔を覗き込んできた。
エミリアナは心配させて悪かったなあ〜と思いつつ、相変わらずの過保護ぶりに苦笑するばかりだ。
「心配させてごめんね。もう大丈夫だよ」
「吐き気はないか? 視界が暗くなったり、眩暈がするとかは?」
「ないよ、大丈夫。たんこぶに触らない限り痛みはないし」
「そうか。・・・でも、油断は禁物だ。
戻ったら、すぐに医師に診察してもらおう」
フィデルはほっと安堵の息をついたものの、すぐに顔を引き締めた。
「ごめんな。もう二度と危険な目に遭わせるつもりはなかったのに・・・」
「フィデルは大袈裟だよお。ちゃんと、わたしのことは守ってくれたじゃない。
お医者様も呼ばなくても「いや、ちゃんと診てもらったほうがいい」
強い口調でダニエルが割り込んできた。
「頭部の怪我は甘く見てはダメだ。強く頭を打ったなら、内部のどこに異常がでてるか外からではわからないからね。
冒険者は体が資本なんだから、念の為にでも医師に診てもらうべきだよ。お嬢サマも冒険者登録したなら、冒険者の心得として覚えておきなさい」
上級冒険者らしくダニエルがお説教してくる。
うわあ、ダニエルさんがマトモなこと言ってる〜、とエミリアナは意外に思ったが、フィデルも重々しく頷くから、茶化すのはやめておいた。
「それじゃあ、フィデルとテオドラも診察を受けてね。そうしたら、わたしも診てもらうから」
エミリアナはこれは譲れないとばかりに大きく頷いた。頭ではないが、テオドラだってどこかをぶつけていたし、フィデルは馬車の転倒後に魔獣と戦闘している。決して、無傷ではないはずだった。
「・・・わかった。テオドラにも伝えておくから」
フィデルが根負けしたように肩の力を抜いた。エミリアナもほっとして笑みを浮かべる。
エミリアナがクッキーを取りに行くというと、ダニエルが部屋の見学を申し出てきた。
「ダニエルさん、淑女の私室を覗きに行こうだなんて、非常識では?」
フィデルが冷気を放って問い詰めると、ダニエルが慌てて首を横に振る。
「え、待て待て待て! 違うって、スケベ心なんかじゃなくて、純粋な探究心だ。
こんな豪華で便利で快適な部屋なんて、ジイサマから受け継いだ男爵家のお屋敷でもなかったぞ。
いくら、お嬢サマが侯爵家のご令嬢でもあり得ないレベルだ。他の部屋はどうなっているのか気になっても仕方ないだろ?」
「・・・ダニエルさん、他言無用はわかっていますよね?」
「ちょっ、待てって! 剣を抜くなって!
誰にも言わないから。約束しただろ? 先輩を信用しろよお〜。
きゅうちゃんのつぶらな瞳に誓ってもいいから」
無表情で抜刀するフィデルにダニエルが涙目で訴えている。エミリアナはこてりと首を傾げた。
「え、きゅうちゃん?」
「ああ、俺の可愛い相棒だよ。きゅうきゅう鳴くから、きゅうちゃんだ!」
「・・・飛竜の子供の名前なんだ」
ドヤ顔のダニエルにフィデルが残念なものを見る目を向けた。
エミリアナもそのネーミングセンスはどうなの?と思いはしたものの、あまりに自信満々なダニエルに何も言う気がなくなる。
「えーと、とりあえず、わたしのスキルのことは黙っていてくださいね」
「あ〜、侯爵に知られたら、絶対に厄介なことになりそうだしねえ。
勿体無いけど、君のスキルのことは黙っているよ。アーロンにも内緒にしておくかい?」
「ええ、黙っていてください。今回は緊急事態で特別にダニエルさんを中に入れただけですから」
エミリアナの代わりにフィデルが答えた。
最初、フィデルはテオドラとエミリアナだけを隠れ家で過ごさせるつもりだったらしい。ダニエルと二人で馬車内で警戒しようとしたら、顔色が悪いからフィデルも中で休めとダニエルに言われたそうだ。
さすがに馬車の暴走を止めて、横倒しの衝撃を受けた上に魔獣と一戦交えたのだ。フィデルも疲労が溜まっていた。
安全で快適に過ごせる場所があるなら、そこで休んでいろと言われて、ダニエル一人を外に置いておくわけにはいかない。
ダニエルに他言無用を約束させてから隠れ家に招き入れたのだ。
ダニエルが行くならフィデルもで、三人でエミリアナの部屋に入るとダニエルが忙しなく視線を走らせて感嘆している。
「おおっと、この部屋もすごいねえ〜。見慣れない道具がいっぱいだ。
この冷蔵庫って氷の魔石で中を冷やしているのかい? 氷室の小型化かな」
氷室の小型化の発想は以前からあるらしいが、氷の魔石には限りがある。氷柱を作り出して売り出したほうが需要に応じられるとあって、実用はしていなかった。
「確か、冷蔵庫の初期は大きな氷の塊を入れて使ってたはずです。昔は氷売りがいたって聞いたことがありますから」
「へえ、聞いたって誰に?」
ダニエルが興味津々な顔になって、エミリアナはついと視線を逸らした。
つい、フィデルたちにするように夢の話をしてしまったが、前世の話を他者にする気は全然ない。下手をすると、狂人扱いされるかもしれないのだ。
「ダニエルさん、『終わりよければ全てよし』ですよ。
カルサダ地方で住民の方に言われたのでしょう」
「ああ、そうだったな」
ダニエルはポンと手を打った。カルサダ地方の特異性を思い出したのだ。何やら納得した顔をされて、エミリアナはなんだか面白くない。
「フィデル〜?」
「まあ、あまり深く気にするな」
フィデルが頭を撫でようとして、たんこぶに気づいて手をうろうろとさせている。エミリアナはその手を取って、たんこぶのないほうを撫でてもらった。
冷蔵庫に入っていたのは木苺ジャムを挟んだサンドクッキーだ。木の実入りのクッキーではないが、持っていくと子竜は喜んで食いついた。テオドラはお腹から離れた隙に、素早く子竜と距離をとる。
「ああ、よかったわあ。引っ張るとしがみついてくるから、服を破られるかと思ったわよ」
「きゅうちゃんが申し訳なかった」
「きゅうちゃん?」
ダニエルが頭を下げるが、テオドラは彼が命名した名前に、うわあ安易すぎだわあと呟いている。正直者である。
ダニエルは甘いものが好きではないから、甘味をきゅうちゃんに試したことはなかった。クッキー以外もいけるか、後で確かめてみるつもりだ。
隠れ家内で過ごすことが多いエミリアナは冷蔵庫があるからと、軽食やお茶の葉を持ち込んでいた。テオドラが給仕してくれて、皆で軽くティータイムだ。
「今は真夜中くらいだな。お茶を終えたら、皆一眠りしたほうがいい。朝には出発するから」
「ダニエルさんも休んでください。鍵を抜いてあるから、【裏口】のドアは消えています。見張りは立てなくても大丈夫だと思いますから」
フィデルの提案にエミリアナとテオドラも頷く。
「そうだなあ、体調を回復して備えておいたほうがいいだろう。
まだ、何かあるかもしれないし」
ダニエルの不吉な予想にエミリアナたちは顔を見合わせた。
「ダニエルさん、魔獣に襲われたのは人為的なものだと思いますか?」
「ああ、そうだな。話を聞いた限り、この襲撃は予定されたものだと思う。
タイミングよく現れた警備兵たちって怪しいし、郊外と言いながら、領都から出てしまっているし。
フィデルが冒険者用の緊急連絡を発動させた時にちょうどよく飛竜部隊の人に送ってもらったとこでね。そのまま、発信地まで飛竜を飛ばしてもらったんだが、その時に領都の方向に全力疾走する箱馬車が見えたんだ。警戒体制が敷かれている中で夜間走行するなんて怪しすぎるだろ?
飛竜の騎士にはその馬車の尾行を頼んだんだ。朝には連絡が来ると思う」
通常、夜間に街道を通行するのは禁止されていた。大型の魔獣は夜型で街道でも襲われることもあって危険だからだ。
「偶然、街道まで出てしまって魔獣に襲われた、なんて、出来すぎだろ?」
「・・・二人ともごめんなさい。わたしのせいで危険な目に遭って・・・」
エミリアナがしゅんとなった。オクタビアの悪意にテオドラとフィデルも巻き込んでしまったと後悔するばかりだ。
「え、エミリアナのせいじゃないわよ」
「そうだ、エミリが気に病むことはない。エミリは侯爵家のゴタゴタに巻き込まれただけだ」
「そうよお、地味な嫌がらせだと思ったら、実にお貴族様らしいやり方だったわ。刺客が魔獣だっただけよ」
テオドラとフィデルに宥められても、エミリアナの気持ちは沈むばかりだ。
二人と再会できて喜んでいる場合ではなかった。二人とも孤児院出身者だから、巻き込んでも構わないと思われたのだろう。
孤児院出が冷遇されているのは知っていたのだから、エミリアナは主人として彼らの待遇に気を配らねばならなかったのに・・・。
「きゅう、きゅう!」
いきなり子竜が目の前に現れて、エミリアナはびっくりした。
子竜はテオドラのお腹に張り付いていたように今度はエミリアナに引っ付こうとしている。フィデルががしっと子竜の首根っこを掴んで目の高さまで持ち上げた。
「おい、こら。調子に乗るのもいい加減にしろ。飛竜ステーキにでもしてやろうか」
「きゅきゅきゅっ、きゅううううう!」
子竜がジタバタして、ダニエルが慌てて回収した。
「フィデル! 子供相手に大人気ないぞ。脅すなよ、可哀想だろうが」
「エミリに関しては何も譲るつもりはないので、大人気なくて結構です。
ダニエルさんもそいつが可愛いならきちんと躾けてください。野放しにするなら、相応の処置を取りますよ?」
赤い目が剣呑に光って、子竜がきゅううううううと怯えた。安全圏とばかりにダニエルにしがみつく。
「ああ、きゅうちゃん、こんなに怯えて可哀想に。よしよし、領都に戻ったら、山ほどのクッキーをあげるからね」
「飼い主ならきちんと躾けてください。甘やかしてばかりだと立派なおバカに育ちますよ?」
テオドラが無表情で告げてきて、彼女もまた怒っているようだ。
「う、あ、はい。気をつけます」
ダニエルは二人の圧に気圧されて、こくこくと首振り人形と化した。
きゅうちゃんは生まれたての子犬や子猫サイズ、手のひらに乗るくらいの大きさです。




