二人よつて狐がばかす話をしてる①
いつも通りの、何の変哲もない朝でした。
いつも通りの時間に起きて、新聞を取りに行って、ストーブに灯油を入れて、テレビでニュースを流しながら、いつも通りの朝食の支度をしていました。
ええ、はい。朝食はいつも同じメニューなんです。
食パンに、サラダに、目玉焼きに、コーヒー。目玉焼きには時々ハムをつけるんですけど。その日はつけませんでした。
とにかく、いつも通りでした。……ここまでは。
いつもなら朝食が出来上がる前に、娘が二階の部屋から降りてくるんですけど、その日は出来上がっても降りて来なくて。
何をしているんだって、部屋まで呼びに行こうと思ったんです。
そうしたら、ドサッて。庭の方から大きな音がして。
屋根の雪が落ちたんだなって思ったんです。かなり積もってしまっていて、そろそろ雪下ろしを頼まなきゃなって思ってたんです。
うちは……男手がないので。ご近所の方が毎年、親切でやってくれるんです。
……それで、二階に上がりました。
娘の部屋のドアをノックして、呼んだんです。娘を。
でも返事が無くて、まだ寝ているのかって、部屋に入ったんです。そうしたらやけに寒くて。
ええ、部屋の中が。
窓が開いていたんです。しばらく開けっ放しだったみたいで、すっかり冷えていて。
何をしているんだって思いました。
それでベッドを覗いたんですけど、居なかったんです。居なかったんです、どこにも。
入れ違いになったのかなって。トイレにでも居るのかなと思ったんです。
窓を閉めようとして窓に近づきました。
……で、窓の取っ手に手をかけて、何気なく下を見たんです。丁度真下が庭だったので、さっき落ちた雪が気になって。
……………………。
……それで、あの、娘が。
娘が、庭に倒れていたんです。
名前を呼びました。でも反応が無くて。ぴくりとも、動かなくて。
直ぐに外に出て娘のところへ行きました。
……そうしたら……そうしたら、居なくなっていました。
どこにもいないんです。娘が。さっきまで、二階の窓から覗いたときには確かにそこに倒れていたのに。
見間違いだったんだって。そうに違いないって。だって居ないんですよ?そこに。
じゃあ家の中に居るに決まってるじゃないですか。
家中探しました。居間も、トイレも、洗面所も、私の寝室も、物置部屋も。でも、居ないんですよ。どこにも居ないんです。
もう一度娘の部屋に行きました。それで、また窓から下を見ました。
やっぱり、居ないんです。
*
そこまで語ってから、母親は黙り込んでしまった。
母親。依頼人である芙蓉美紀は俯いたまま、ぼんやりとテーブルを見つめている。そしてそのテーブルにぽたぽたと雫が落ちた。
肩を震わせ、声を押し殺すように泣いている。
ダイニングテーブルを挟み、向かいに座る薄縹夏那はコーヒーカップを持ち上げ、口元へ運ぶ。そうして今自分達がいる居間を見渡す。
皺なく丁寧に纏められたカーテン。白い壁に等間隔で飾られる絵画。丁寧に並べられた飾り棚のインテリアや書籍。彼女はこだわりが強く、几帳面な性格らしい。
だが、埃の積もった観葉植物や、枯れた花が刺さったままの花瓶。そして何より本人の顔色の悪さと、やつれた様子から、娘の失踪により精神的に疲弊している事がうかがい知れた。
彼女の一人娘が失踪したのは去年の12月、まだ雪が深い頃。
先程聞いた話の通り、庭へ転落したと思われる娘は煙の様に消えてしまった。それから今日まで、娘は見つかっていない。
「……すみません」
落ち着いたのか、掠れた声で母親は呟く。
「いいえ、お話しいただきありがとうございます。お辛いでしょう」
「……警察にも、何度も同じ話をしたんです」
「失踪。という事になっているんですよね?」
「ええ、家出か……もしかしたら連れ去りだとか、事件の可能性もあるかもと……」
「捜索願は?」
「……はい。未成年でしたから、直ぐに受理されて捜索が始まりました」
「それでも、未だに見つからない」
「…………は、い」
また、母親の肩が震えだす。
現在は3月に入ったばかり。失踪してから2カ月程。
警察や母親自身による捜索に加え行われた張り紙やビラ配りの効果もなく、彼女の元へ目撃情報も届かないらしい。
「その日は平日で、登校日だったんですよね?」
「……ええ、金曜日でした」
「放課後にどこかへ出かけたり、誰かに合う予定があったとかは?」
「いえ、無かったです。娘の予定は全て把握していたので」
やけにきっぱりと、母親は答えた。
「全て?」
「はい。塾も休みでしたから、放課後は真っすぐに帰宅します」
「塾ですか」
「ええ、受験生ですから」
「ああ……」
何度か目にしたことのある張り紙を思い出す。「探しています」の文字に、大人しそうな女子生徒の写真。
中学3年生の、受験生。まだまだ精神的にも未熟で、多感な時期だ。
「その、娘さんですけど……何か悩んでいた様子とかは?」
ギリリ、と。鈍い音が聞こえた。音の方向は目の前、母親から。
奥歯が欠けてしまうのではと思う程の、激しい歯ぎしり。
「…………警察からも、学校からも、何度も何度も何度も聞かれましたよ」
「……そんな様子があったんで」
「無いですよ!!」
言い切る前に、母親が大声で答えながら両こぶしをテーブルに叩きつけた。
衝撃で飛び散った母親のコーヒーカップから中身が飛び散り、白いテーブルクロスにいくつかシミが作られる。
「無いです!悩みなんて!絶対に合格しようって……二人で、頑張っていたんですから!!」
「…………」
先程までとは違った様子で、母親の肩がわなわなと震える。
苛立ちを隠さない、行き場のない怒り。溜め込んでいたものが溢れ出したようだった。




