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葛葉の澱 -小樽オカルト奇譚-  作者: 蟹むすび
第二章『芙蓉猫』
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縁の下から猫が出て來た夜②

 白い雪に真っ黒な毛が際立つ。子供の頃に読んだ、絵本の挿絵を思い出した。

 どうやらビールケースの下に隠れていたらしい。こちらの気配に気がついたからなのか、前足を伸ばして存在をアピールしている。


 人差し指でちょんと突いてみた。前足がピクリと反応し、じゃれつくようににぺしぺしと僕の指を何度も弾く。


「……ははっ」


 まあ、脳内できゃあきゃあと騒ぐ恭奈《やすな》の気持ちも分かる。

 可愛らしい戯れにしばし興じていると、前足以外も気になってくる。どんな柄だろうか?メスだろうか?オスだろうか?


「でておいでー」


 幾度となく恭奈のリクエストに応えてきたおかげで、猫の扱いには少し自信があるのだ。

 チチチと舌を鳴らして呼びかけると、いったん前足がビールケースへと戻り、ヌッと、可愛らしい顔つきの黒猫が姿を現した。怯えている感じだが、呼びかけに応じるあたり人馴れしているようにも見える。

 先ずは指先で挨拶を。人差し指をゆっくりと鼻先へと近づけると、猫の方からぐいっと、僕の手に頭を擦り付けてきた。やはり人懐っこい子らしい。

 では遠慮なく撫でまわしてやろうと、猫の頭と触れている右手を背中へ伸ばす。猫は、支えを失くしたようにぱたりと、雪へと倒れこんだ。

 甘えて寝転んだのかと思ったが、違う。投げ出された四肢には力を感じず、目を閉じたままぐったりとしている。


「…………ええ!?」


 焦って猫の体に触れる。息はある。ただ、弱弱しい。冬毛で膨らみ分からなかったが、撫でると身体は骨ばっていて、冷たい。今にも動かなくなってしまいそうだ。

 どうしてしまったのか。左手でそっと頭を持ち上げると、猫の目が薄っすらと開く。目が合っているような気がする。何かを訴えかけているような、悲しそうな目だ。


 恭奈はしきりに同じ言葉を叫び続ける。

 ……いや、僕だってそうしたいけれど。


(助けてあげてって、どうしたらいいんだよ!?)



*



 ベッドの上で、猫をタオルで包み体をさする。ホット缶コーヒーを湯たんぽ代わりに添えてやった。こんな方法で回復するか分からないが、とにかく温めてやるのが先決だと思った。

 勝手にホテルの部屋に野良猫を連れ込んだと知られれば、どんなペナルティを受ける事になるか……。

 不安になるが、土地勘のない僕には動物病院が近くにあるのかもわからず、部屋へ連れ帰るしかなかったのだ。

 本来であればもうすぐ例の廃墟にたどり着いている頃だが、こうなってしまっては仕方がない。目的があるとはいえ、目の前の弱った命を見捨てる理由にはならない。


 猫の体を温め始めてからしばらくたったが、少しは元気が戻っただろうか?確かめるように、そっと額を撫でてやると、猫はピクリと反応して、か細く「ナァ」と鳴く。

 よかった。さっきまでは鳴き声一つ出さなかったから随分と心配だったが、少なからず気力が戻っているらしい。

 恭奈もほっとした声で良かったと言っている。


 体温がどうにか出来たなら、次は栄養だ。

 机に放置していたビニール袋から黒いパッケージの猫用缶詰を取り出す。部屋へ戻る前に懐に猫を隠し、急いで買ってきたのだが、食べるだろうか。

 缶詰の取っ手を引っ張り蓋を開け、猫の顔の前に置く。ふわりと嗅ぎ慣れない匂いがした。


 餌の匂いには気がついているだろうが、猫は反応しない。食べる気力はまだないのだろうか。

 だとしても、このままでは体力も回復しないし、無理やりでも食べさせてみるか。

 缶詰の中身を少量つまみ上げ、猫の口に押し当てる。

 流石にこうまでされると猫側も無視できないようで、若干迷惑そうに目を開き僕の指から顔をのけぞらせ、餌の油がついた口元をぺろりと舐めた。

 舐めた途端に猫の体がぴたりと固まり、指先の餌をまじまじと見つめる。


「ほら、美味しいだろ?」


 どうも食べるかどうか悩んでいるらしい。もしかしたら食べ物として認識出来ていないのかもしれない。

 野良猫のようだし、ペットフードを食べた経験が無くても不思議ではないだろう。

 しばし思案した後、ゆっくりと猫の方から指先の餌に近づいてきて、ふんふんと匂いを嗅ぎ始める。そしてちらりと上目遣いで僕の方を見てきた。

 それに目を細めて応えると、小さなピンク色の舌が伸び餌を恐る恐る舐めとり、そして餌にかじりつく。

 途端、猫は覚醒したかのように自身に巻かれたタオルを押し退け起き上がり、目の前の缶詰に顔面を突っ込んだ。


「うわわっ!」


 バランスを崩しベッドに餌がこぼれてしまわないよう、慌てて両手で缶詰を押さえる。

 猫は気にせず夢中になって餌をかきこみ続けている。

 先程まではと一転、強い生命力に胸を撫でおろした。


「……一安心、かな?」

 

 ほどなくして、猫は缶詰の中身を平らげてしまった。

 なかなかにワイルドな食事だったので、顔中餌でべとべとになってしまっている。

 猫ならば自身で奇麗に出来そうだが……猫は口回りを舐めとるばかりで、手を使って顔の餌を取り払おうとしない。

 なんだか少し困っていそうなのでティッシュを数枚取り、猫の顔を拭いてやった。


「よし、奇麗になったな」

「ンナーウ」

「よしよし」


 顔を触れるのを嫌がらないので、ついでに背中を撫でる。やはり骨ばって痩せているが、まあ野良猫ならばこんなものだろうか。

 猫は嫌がることなく、ベッドに箱座りする。どうやらこちらを信頼してくれているらしい。そうとなれば遠慮なく。

 頭、顎、背中を撫でまわす。特に頭を撫でられるのが好きらしく、微かにゴロゴロと喉を鳴らしてくれた。尻や尻尾は触れられたくないらしい。

 撫でているうちに黒い毛に艶が出てきて、先程までの弱弱さはもう感じられない。

 とは言え、このまままた外に放り出すわけにはいかないだろう。もう少し暖かい部屋で過ごさせるとして……猫だけ残して外出するわけにもいかない。大人しい猫だが悪戯をしてしまうかもしれない事を考えると、このままホテルで過ごすしかないか。


 冬は日が沈むのが早い。窓の外はすっかり暗くなっていた。

 備え付けのテレビで適当な番組を眺めているうちに、気がつけば猫はタオルの中で丸くなり、くうくうと寝息を立てていた。

 それを眺めていると、なんだかこちらも瞼が重くなる。猫を起こしてしまわないよう、そっと隣に横になった。キシリとスプリングが鳴る。

 就寝にはまだ早い時間だが、長旅で疲れた体の「もう眠ってしまおう」という誘いに乗ることにした。

 恭奈も猫と一緒に眠れることを喜んだ。



*



「ニャアアアアウ!」


 とんでもなく大きな目覚まし音で、目が覚めた。

 驚いて上半身を起こしても目覚まし音……もとい、黒猫の鳴き声は僕の胸の上で鳴り止まない。


「な────」

「ウナアアアアア!」


 なんという大音響。猫の全力の鳴き声って、こんなに煩いものだったのか。

 体に乗ってきた猫に起こされる。状況だけ見れば可愛いものだが、こんな風にけたたましく鳴かれては、猫を無断で連れ込んでいる事がバレてしまう。


「静かに!怒られちゃうだろ……!」


 猫相手に伝わるわけがないが、反射で口元に人差し指を立て静かにしろとジェスチャーする。


「ンンン~……ン」

「……おお?」


 こちらの言わんとすることを理解したというのだろうか。こちらの様子を見て猫は両前足を僕の胸に押し当てたまま、ぴたりと大人しくなった。

 黄色にも緑色にも見える、宇宙のような猫の瞳。黒い瞳孔がきゅうっとアーモンド形に細まり、視線が合ったまま無言が続く。

 僕の知っている某大型犬のように、猫の表情から感情を推察するのは難しい。それでも、目の前の猫が何かを訴えかけていると、何故か確信してしまった。

 それは空腹だとか、甘えたいだとか、そういった本能的な欲求ではなくもっと複雑な何かだ。


「何か言いたそう、って言ってもなあ……」


 恭奈も猫の態度を僕と同様の解釈をしたようで「話を聞いてあげて」などと言ってくるが、猫の言葉なんて分かるはずもない。


「とりあえず、降りてくれるか?」


 伝えると猫はすんなりと僕の上から降り、大人しくベッドに腰かける。


「……すごいなあ、お前。本当に言うことが分かるのか?」

「ニャーウ」


 肯定の一鳴きだろうか。利口そうな顔つきでこちらのアクションを待つようにじっとしている。


「もしかして猫又だったりして」


 猫又。長く生きた猫が化け、尾が避け二股になるのが特徴の妖怪だ。人の言葉を話したり、人に化けたりするらしい。

 本当に妖怪なんてものが居るのかは分からないし、僕にとって役立つ知識ではないけれど。少しでもオカルトだとか怪異だとかについて知ることが出来れば、またあの人たちに近づける気がして、 時折受験勉強の合間に気分転換としてそういった書籍を読み漁っていた。その時に知った存在だ。


 猫の両脇を掴み持ち上げると、ぬるりと胴が伸びる。別の生き物のようなシルエットになった猫の体を観察してみるが、当たり前に尻尾は裂けてはいない。


 さて、どうしたものか。

 何かを伝えたいのは分かったとして、その内容を理解する方法が僕には無いし、どうすることも出来ない。

 でも、あの人になら、或いは────

 

「うーん……困ったなあ」


 兎にも角にも、行動あるのみ。部屋でうんうん唸っていても仕方がない。

 外に出て、今日こそあの場所へ向かおう。


「ん?」


 猫の体を観察していて、ある事に気がついた。


「お前、オスだったのか」

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