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葛葉の澱 -小樽オカルト奇譚-  作者: 蟹むすび
第二章『芙蓉猫』
30/33

縁の下から猫が出て來た夜①

 人の往来の中、どしゃりと重い音が響く。今日だけで何度この曇り空を仰いだだろうか。赤くなった顔にちらちらと綿のような雪が降り注ぐ。

 大の字で倒れる僕を横目に笑いながら、ヒールブーツを履いた女性が器用に雪道を歩いていく。

 恥ずかしさを噛みしめながら、体を起こす。手袋をしていないので雪の冷たさが直に伝わり指先が痛い。手袋どころか、ジャケット以外の防寒具を身に着けていないので全身が冷えきっていて、尻もちの痛みをそれほど感じないのがせめてもの救いだろうか。……何度も転びすぎて麻痺しているだけかもしれないけれど。

 なんとか起き上がり、春物のスニーカーでよちよち歩きを再開する。

 溶けかけ、踏みしめられ、また凍ってを繰り返された雪道のなんと歩きにくいことか。


 3月だというのにこんなに雪が残っているとは思いもしなかった。今年の小樽は例年に比べて積雪量が多いらしいが、東京で生まれ育った僕には雪が積もっているだけでも珍しい。

 歩道の脇には膝の高さ程の雪が積み上げられていて、まだまだ溶けきる様子はない。真冬だと、一体どのくらいの雪壁となるのだろう。


 宿泊場所に到着し、チェックインの手続きをする。

 ホテル ニューみなと。去年もここへ宿泊予約をしていたが結局、ロビーよりも先へは進めなかった事を思い出す。

 受付へ向かうと、眼鏡をかけたフロントマンが手元のファイルを開き、事務的な口調で語りかける。


「いらっしゃいませ。ご宿泊の予約はお済みでしょうか?」

「あ……はい」

「ご予約名をお願いいたします」

「山雀《やまがら》です。山雀柳介《やまがら りゅうすけ》」



 手続きを終え、案内された部屋のベッドに倒れこむ。全体重を受け止めたスプリング がギシリと鳴った。

 部屋内はしっかりと暖房が利いていて暖かい。長旅と、慣れない雪道に疲れた体が溶けてしまいそうだ。このホテルに宿泊することを密かに楽しみにしていたのだが、疲れが勝ってしまい、大した感想も出なかった。

 目を閉じ寝転んでいると、程なくして冷えきっていた全身に熱がめぐりだす。

 ……このままでは眠ってしまいそうだ。久しぶりの小樽なのに、それではもったいない。


 体を起こし、ベッドに腰かけたまま窓から外を覗く。

 半年ほど前、真夏に訪れた時とは、違った顔を見せる街。

 あくる日もあくる日も、望郷に似た想いを抱いてきた街。

 逢いたい人達がいる街。

 此処へ戻ってくるために、出来る限りの努力をした。その努力が報われるかどうかが分かるのは、二日後。

 今回も去年の夏と同じように、2泊3日の一人旅。

 目的は、大学受験の合格発表。


 高校三年生の夏休み。進路を決めかねていた僕は、東京へ帰ってからもしばらく悩み続けていた。

 将来の夢なんてものは持ち合わせていなかったし、特別やりたいことも無かった。なんとなく、このまま父の営む個人文具店で働くんじゃないかと考えていた。父も『進学しないのであればそうすればいい』と言っていたし、それが何も特別なものを持たない自分にとって、一番良い選択だと思っていた。

 が、そう思えば思うほど、小樽《この場所》への、あの人への憧れが強くなっていった。どうしても、ここへ戻りたかった。


「あんな怖い思いもしたのに、なんでだろうな……」


 呟くと、いつも通り頭の中で相槌と返答。それに独り言で応える。


「そうだけどさ。こんな遠くの大学を受験するのを、父さんはよく許したよね」


 そう、どうしても戻りたい想いを抑えられなかった僕は、小樽の大学を受験することを決めたのだ。……自分で選択したというより、恭奈《やすな》がそうしたらいいと提案したのだが。

 僕達の選択を聞いた父は、渋い顔一つすることなくそれを許してくれた。元より楽観的な性格の父だが、まさか二つ返事で「応援する」と言ってくれるとは思わなかったし、驚いた。


 そうして受験勉強の日々が始まり、センター試験に、二次試験。あっという間に合格発表は目前。

 別に、合否は郵送される書類や電話で確認出来るのだし、わざわざ現地へ掲示板を見に来る必要はなかったのだが、父が「折角なら思い出作りに行ってこい」と送り出してくれたのである。まあ、そういうのが好きな人なのだ。

 正直言ってありがたい。だって、もし東京で不合格通知を受け取れば、この街へ戻り、留まる理由がなくなってしまうし……。


「────ああもう、分かった、分かったよ!受からないかもなんてもう思わないって!」


 恭奈にお小言をもらってしまった。まあたしかに、落ちるかもなんて考えない方が精神的にも良いか。今の僕はもう待つことしかできないのだし。


 さて、受験結果の事はいったん忘れて、今回の旅のもう一つの目的について考えよう。もう一つの目的、それは『竜宮城のみんなにもう一度出会うこと』。出会えなければ、この街へ戻ってきた意味がないのだから。

 ポケットから、小さな巾着袋を取り出し、その中身に収められた物を引っ張り出す。海色のとんぼ玉のストラップ。僕達のお守り。

 あの人は『また巡り合うかも』と言ってくれた。

 僕達と竜宮城のみんなとを繋ぐ縁《えにし》を、果たして手繰り寄せることが出来るだろうか。


「……その前に、先ずは靴とマフラー……かなあ」



*



 兎にも角にも、今の僕に必要なのは防寒具と雪道を歩くのに適した靴だ。

 ホテルを出て直ぐの懐かしのアーケード街の洋服屋で、滑り止め付きの防水スニーカーと、山吹色のチェック柄のマフラー(柄は恭奈のリクエスト)を入手。現在は例によって懐かしのあの喫茶店"麗庭《れいてい》"で鍋焼きうどんを啜っている。遅めの昼食だ。

 もちもちとコシのある麺に、優しい出汁の風味を楽しみながら、見覚えのあるポスターに魚拓を眺める。少しだけ変わった、レトロな内装。夏の頃から変わらぬ空間にほっとする。

 今度は恭奈にも見せることが出来て良かった。

 夏に訪れた時はどんな目に合うのかと酷く怯えていたことを思い出して、 苦笑いが漏れた。恭奈を失ってしまっていたのも、要因の一つだけれど。


「ふう、ごちそうさまでした」


 胸の前で手を合わせ呟く。すっかり体が温まって、じわりと汗が滲んでいる。

 さて、これからどうしようか。お冷に口を付けながら思案する。

 目的地もなく闇雲に歩き回るのでは駄目だし、やはりあの場所へ向かうのが手っ取り早いだろう。向かおう、竜宮城へ。


 喫茶店を出て、冷たい風にぶるりと体が震えるが、手に入れたマフラーのおかげで、さっきよりも幾分もマシだ。

 というか、寒い屋外と暖房の利いた室内の温度差が激しくて体の温度調整が難しい。


 ジャケットのポケットへ両手を突っ込み、アーケードの向こう側へと進む。屋根があるので道に雪が積もっていないので歩きやすい。とはいえ、アーケードを突っ切る様に十字路になった個所にはコンクリートを侵食するように薄っすらと雪が広がっている。

 そこへ差し掛かったところで、はしゃぐように恭奈が叫んだ。


(え?猫?)


 恭奈は無類の猫好きだ。野良猫を見つければ追いかけろ、撫でに行けと煩いし、隙あらば僕に猫グッズを買わせようとしてくる。おかげで実家の僕の部屋には猫柄やら肉球柄やらが点在する有様。まあ僕も猫を可愛いと思うし好きだが、先程の洋服屋で猫柄のマフラーを推された時には流石に断固拒否した。


 恭奈の示す方向へ視線を移すが、猫の姿は見えない。

 よく見てみろと言われ、細い道の続く方へと移動してみる。


(ああ、なるほどね)


 雪の上に、点々と続く肉球の痕。どうも猫の姿を目撃したわけではなく、足跡が目に入っただけらしい。

 僕の視界に入ったものしか認識できないはずなのに、よく気がつくものだ。

 足跡があるからって、そこに猫が居るとは限らないだろう。ずっと前についたものかもしれないわけだし…………まさか。


(辿れって言うんじゃないだろうな?)


 深めのため息を漏らす。

 お姉さまは、そのまさかをご所望らしい。

 こうなった恭奈はしつこい。無視をすればしばらくは脳内で恨めしくぶーたれ続けるのだ。

 一体何のために長めに日程を取って来ていると思うんだ。なんて抵抗しても、恭奈は関係ないと一言。

 僕が好きになったものを、同じように恭奈が好きになるわけではない。恭奈は僕が想っているように、竜宮城の面々にどうしても会いたいと感じてはいないらしい。それなりに好ましくは思ってはいるようだが、猫の方が優先度は高いとのこと。

 ……もしかしたら、肉体を得ていた時の恭奈とは感じ方も違うのかもしれない。人として体験したことの記憶は有しているようだが、どうもどこか他人事だ。

 あの日の出来事は、お互いに一度も口にしていない。


(ちょっとだけだからな。少し辿っていなかったら、僕の目的が優先だからな)


 納得しているかは分からないが、一応言い聞かせてから均等な間隔で続く小さな足跡をたどり始める。

 数メートル辿ったところで、足跡が途切れた。……いや、曲がっているのか。

 道路の端に沿って続いていたそれは、建物と建物の間へと方向転換していた。

 追いかけるが、猫の姿は見えない。隙間に入って行ってしまったか、野良ではなく飼い猫で、どこかの建物の中へしまわれたんじゃないだろうか?

 しゃがみ込んで、辺りを観察してみる。ビールケースやら、木材やらが乱雑に積まれている。やっぱり姿は見えない。


(ほら、やっぱり前につけられた足跡なんだよ。諦めた?)


 恭奈はもにょもにょと文句を言っているが、居ないものは居ないのだから仕方がないだろう。諦めてくれよ。

 やれやれと立ち上がろうとしたところで、カサリと、微かに物音が聞こえた。


(……お?)


 どうも生き物が身じろいだような音に聞こえた気がする。もしかしたら、足跡の主はまだここに居るのかも?

 音が聴こえた方を覗き込んでみる。鼠だったら嫌だが、調べなければ恭奈は諦めなさそうだ。


 にょきり。

 逆さに積まれたビールケースの取っ手の隙間から、文字通り、真っ黒な猫の手が伸びてきた。

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