廃線路
「ンウェップ」
ちょっぴり苦しそうにしながら、空くうが僕らの後ろについて歩く。
主人の食欲についていけず、消化不良を起こしているらしい。
心なしか、体がふっくらとしたように見える。
夕方で良かった。これが日の高い時間帯であれば、さぞ辛かっただろう。
「ねえ、その後はどうしたの?」
手を繋ぎながら右隣を歩く恭奈が僕の顔を覗き込みながら聞く。
竜宮城に居た時と比べて、随分とおしゃべりだ。いや、むしろこっちが僕の知っている恭奈で、竜宮城に居た時の恭奈の方が大人しすぎたんだ。
どうも、人見知りをするタイプだったらしい。
「えっと……朝早い時間に竜宮城を出て、恭奈がいるホテルまで来たんだよ。で、その時恭奈に会ったんだ」
「ふうーん……」
繋いでいる手をぶんぶんと振られる。自分の意思に反して揺れるので、少し歩きにくい。
いま、二人と一匹で歩いているのは午前中に歩いたのと同じ、小樽駅から運河へと下る坂道。
夏那さんの提案通り外に出てきたものの、行く当てもないので、午前中と同じ道をぶらぶらと練り歩いているのである。午前中と比べて、人が多い。
ある程度坂を下って、件のホテルの前を通り過ぎる。
「…………なんであの時、逃げたんだよ」
「………………責めるんだ」
「……そんな風に言ってないだろ」
「言ってるよ……」
お互いに言い合いになりたくなくて、黙ってしまう。
脳内で喧嘩みたいな言葉の応酬をすることは今までによくあったが、こうやってお互いに体が有って、口で喧嘩をするのはなんだか慣れない。
「訳が分からなくなっちゃったんだもん」
「え?」
「気がついたら、目の前に柳介がいたの」
「気がついたら?」
ぽつりぽつりと、恭奈は語り出す。
「うん。……なんか、それまではずっとフワフワしてたの。なんとなく意識みたいなのはあって。……気がついたら歩道橋に立ってて、気がついたらホテルにいて、気がついたら柳介がいた」
繋いだ手を少し強めに握る。
急に訳も分からず独りぼっちにされた恭奈の気持ちを想うと、切なくなる。独りになって、悲しかったのは僕も同じだ。
「それで、柳介と目が合った瞬間に目が覚めたような感覚がして。……変だよね、今まで寝たことも無かったのに。……そしたら、柳介の考えてる事が分かったの。全部分かっちゃったの」
「全部……?」
「そう。私が居なくなって寂しいって気持ちも、帰ってきてほしいって気持ちも。……それから、私がいない方が自由だって、私がいないことを忘れてた瞬間があるって、分かっちゃった」
「っ!」
「なにそれって、思ったの。でもどうやって怒ったらいいか分からなくて、逃げちゃった」
怒って当然だ。
お互いの立場が逆だったとしたら、僕だって悲しくなって、怒ると思う。
「……ごめん」
「…………」
急に恭奈が歩みを止めた。
どうしたのかと思い横を見ると、草むらをじっと見つめている。
「恭奈?」
「こっち」
「え?……ちょっと!?」
恭奈は唐突にぐいっと僕の腕を引き、草むらをかき分け突き進んでいく。
腕に背の高い雑草がチクチクと当たってむずがゆい。草を踏みしめるたびに、ぱたぱたとバッタか何か虫が跳ねる音がする。
草むらに突っ込むなんて、小学生以来だ。
腕を引かれながら数歩草むらを突き進むと、こつんと足先に固いものが当たりバランスを崩しそうになる。危うく転んでしまうところだった。
何かと思い足元へ視線を落とすと、細い木の板が等間隔で敷かれていた板と板の間には、砂利が敷かれ、ところどころから雑草が生えている。そして板を挟むように、両端には真っすぐと伸びる錆びたレール。
「……線路?」
廃線路だ。
いつから使われていないのだろう。
賑わう街の傍らに、寂しく伸びる線路が、ずっと奥まで続いていた。
手入れのされていない伸び放題の雑草に混ざって、名前の分からない野花がひっそりと咲いている。
忘れ去られた場所。そんな風に思った。
まるでここだけ時代から切り取られたみたいに、静かだ。
「なんでこんなとこ知ってるんだ?」
「知らない、線路があるなんて」
なんだ、知っていて草むらに突っ込んだわけじゃないのか。
「じゃあなんで、ここに入ったんだ?」
「……なんとなく。あのまま進むのが怖かったの」
「…………そうだね」
僕も、あれ以上坂を下るのは怖かった。
運河での出来事、その後の出来事。全部の感覚が、まだ体と感情に残っている。今にも震えあがりそうなほどに。
それでも僕らが街へ出たのは、出なくてはいけなかったのは、選ばなければいけないから。二人の、これからの事を。
竜宮城という御伽噺から飛び出て、現実へと帰らなければならない。
恭奈にもそれが分かっているのだろう。僕の手を引いて、線路の奥へと向かって歩き出す。
「……歩こう」
「いいの?ここで。映画で見た坂を上りたいって言ってなかった?」
「……いいの、ここがいい」
「そっか」
小樽に行きたいと言い出したのは、恭奈だ。
今年の春に見た、小樽が舞台の恋愛映画。恭奈はその映画に大層感動したようで、夏休みを利用した旅行が計画される以前から来たがっていた。
僕も、なんとなくだけれど、映画を見てこの街に惹かれていた。
ずっとこの街に、来たかったんだ。
もし、こんなことになっていなければ、僕は今頃何をしていたんだろう。




