違和感
「お、来た来た。ヤッホーりゅーちゃん!やっちゃん!」
部屋を移動し、襖を開いた瞬間に飛び込んできた、揺れる狐耳の明朗な呼びかけに、恭奈が眉をしかめる。
やっぱり、このあだ名は嫌らしい。
(ここで否定しないと、やっちゃんで確定しちゃうぞ、恭奈……)
恭奈は何も言わない。
ただただ、むっとした顔であだ名の命名者、紅葉さんを睨むだけだ。
苦手なんだろうか、紅葉さんが。……まあ、彼には申し訳ないが、分からないでも……ないか。
でも、このあっけらかんとした態度に救われたのも事実だ。
「おはよう。山雀君、恭奈さん」
紅葉さんの隣に座る夏那さんが言う。
恭奈だけ名前呼びなのが少しだけ羨ましいと思いながら、対面に腰を下ろす。
「おはようございます。僕ら、ずっと寝ちゃって……」
「仕方がないわよ。何はともあれ、二人が無事で良かったわ」
「夏那さん…………」
視線が卓上の食事に向きっぱなしなのは、ツッコまないでおこう。
卓上には、ざるに盛られた蕎麦とその横には、天ぷらの盛られた皿。
「……二人はしっかり昼食も食べただろう」
「別腹だよ~」
「別腹ね」
呆れる青葉さんに、見事なシンクロで返す二人。
「いや~美味しそうだね!」
「ええ、海老天が2本盛られているわ……」
確かに、間食としては随分と豪勢だ。
「恭奈は、昨日の宴会には参加出来なかったからな」
「!」
恭奈がぱっと青葉さんを見上げる。
どうやら、恭奈に気を使ってくれたらしい。
「足りなかったら言ってくれ。他にも用意するよ」
「…………ありがとう」
恭奈の感謝の言葉に、ニッと口角を上げ応えて、青葉さんは部屋から出て行った。
多分だけれど、モテるんだろうな、あの人。
「やっぱ天然人たらしだね、あおくん」
「よく気が利くのよ」
「オレはあんまりデリカシーないからな~」
「自分で言うんですか、それ……」
「…………」
僕たちの雑談に、恭奈は参加してこない。
膝に拳を置き、俯き気味でぼんやりと蕎麦を眺めている。
初対面だし仕方がないのかもと思うが、恭奈はもっと、物怖じすることなく人と接するイメージだったから少し意外だ。
「そろそろ食べましょう。お蕎麦、乾いちゃうわ」
夏那さんの言葉で、僕と紅葉さんは自然に両手を合わせる。
隣に座る恭奈は相変わらず、ぼうっと俯いたままだ。
「恭奈、食べよう?」
「えっ……あ……うん…………いただき、ます」
言われて恭奈はおずおずと両手を合わせ、箸を持つ。
その姿を見て、思わず胸がぎゅっとした。
ずっと僕の脳内でだけ存在していた姉。それが実体として、一人の人間として隣に存在している。
確かに、嬉しいと感じる。でもそれと同じくらいに、どうしても違和感を感じてしまう。
肉体があるという点が、まず初めに感じる違和感だろう。それに関しては、感じて当たり前の違和感だと思う。
それ以上に感じる違和感、それは"性格"だ。
『少しわがままで、気の強い性格』
僕は目の前の二人に、恭奈の性格をこう説明した。実際、その通りで『こうするべきだ』『ああするべきだった』とはっきりとした物言いで、言いたいことを言うタイプ。それが僕の認識だった。
それなのに、今隣にいる恭奈の性格は、真逆じゃないか?
恭奈の存在を肉付ける為に、沢山の話をした。
なんだか、話した内容と微妙に当てはまらないような気がするのは、気のせいだろうか。
「美味しい……」
恭奈が呟く。
どうやら、天ぷらが気に入ったらしい。
目を輝かせながら食事をする姉を微笑ましく思う。
(……いいじゃないか。性格が違うなんて、どうだっていいじゃないか。確かに此処に、恭奈は存在しているんだから)
「ホントにそっくりだねえ~双子みたいだよ」
「そうね。二人が服装を入れ替えたらどちらがどちらか、分からなそうね」
「いや……流石にどう、ですかね?それは……骨格とか……が……?」
「それで、二人はこの先どうしたいの?」
「え、はい?」
……なんて?
二人って、僕と恭奈の事か?
この先って、未来の話って事か?
「噓でしょお嬢!?突拍子が無さすぎるよ!?へたっぴ過ぎるよ切り出し方が!!?」
「だって、タイミングが難しかったんだもの」
「にしたってねぇ!?」
涼しい顔で淡々と話す夏那さんに、隣に座る紅葉さんが毛を逆立てながらツッコむ。
回答者である僕は、本当に唐突すぎる問に、何も答えることが出来ない。
というか、問いかけの意味を即座に理解することが出来なかった。
僕も恭奈も、箸を持ったまま固まってしまう。
たった今、恭奈が存在している事実を噛みしめていたというのに、その先の事を考える事なんて────────あれ?
なんだって僕は、こんなにも無責任なんだ?
一番の当事者だっていうのに、どうして考えることを放棄してしまっていたんだ?
僕が一番、恭奈の存在を、今後を憂わなければならないのに。
感じた違和感に一瞬で蓋をして『どうだっていい』で終わらせようとした自分が、急に愚かしくなる。
この束の間の安息を、享受していたかった。
浅ましい現実逃避だ。
黒い顔が脳裏に過り、また手が震えだしそうになる。
部屋は静寂に包まれる。
もとい、夏那さんが蕎麦を啜る音だけが響く。
「二人で話してみるといいわ。お散歩でもしてきたら?」
「散歩って……外に、ですか?あんな事があったのに……?」
「竜宮城が安全だなんて、言った?」
「……え?」
海老天に塩をつけながら、夏那さんは続ける。
「不可思議の対処を出来る者がいる。という点では外よりも安全かもしれないけれど、侵入しようとすれば出来るのよ、此処。誰でも入れるの、条件が満たせればね」
条件。運河で言っていた、痕跡と同じような事だろうか?
「まあ、滅多にないけれどね。だから、此処も外も変わらないのよ」
「そう……なんですか…………」
なんとなく、竜宮城は絶対に安全なのだと思っていたから、少しショックだ。
なんだかずっと、此処に居れる気がしていた。
心のどこかでは、そのつもりだったのかもしれない。
好きな人たちと、ずっと此処に居られればいいのに。
「大丈夫。お守りをあげるわ」
「……お守り?」
夏那さんは箸を置いてスカートのポケットへ手を伸ばし、何かを取り出す。
親指と人差し指、中指でそれをつまむように持ち、僕へ差し出した。
それは小さなガラス玉だった。
玉を貫通するように穴が開いていて、そこに紐の通されたストラップだ。
ビー玉よりも小さなガラス玉は青とも緑ともいえる色が複雑に混ざり合っていて、まるで海が閉じ込められているように、キラキラと揺れている。
「とんぼ玉のお守り。二人で一つね。良くないモノからきっと守ってくれるわ」
手の平を差し出すと、そこにそっととんぼ玉が置かれる。
何の変哲もないストラップに見えるが、きっと僕には感じ取れないような力が込められていたりするのだろうか。
「それから、優秀な式神もセットよ」
そう言って、夏那さんは空いた右手で机の下をつつく。
ああ、そう言えば姿が見えないと思ったら、そんなところで昼寝をしていたのか。
「ンワゥー?」
机の下から間の抜けた声を上げながら、くしゃくしゃ顔の毛玉が顔を覗かせた。




