白檀の香り
白檀の香に交じって、草をすり潰した、独特の青臭さが室内に漂っている。
手の平に巻かれた包帯が解かれると、傷口に塗りつけられた、すり潰した薬草が露わになる。
ヨモギやドクダミ等を使った塗り薬らしい。
少し乾燥したそれらを、桶に張られたぬるま湯で丁寧に洗い流してもらう。
包帯の下で群れていたものが流され、さっぱりとして気持ちが良い。
「はい、これにて終いです。……お疲れ様でございます」
手ぬぐいで水滴を拭いあげてから、手の世話をしてくれていた女性が告げる。
「ありがとうございます。花枯さん」
「いえ……痛みはございませんか?」
「全然。少し皮膚がつっぱるけど、大丈夫です」
「それはようございました」
十三蛇 花枯。
彼女と出会ったのは数時間前。
恭奈を連れて竜宮城へと帰ってきた僕らの怪我を見て、青葉さんが呼んできてくれた人だ。
着物の上に割烹着を身に着け、頭には三角巾を巻いた彼女はこの竜宮城に身を置く、医者らしい。
スラリとした高身長に、柔和な笑みが印象的だ。
うっすらと目の下にクマがあるが、不健康な印象は感じられない。
昨晩の宴会には居なかったので、てっきり竜宮城には夏那さんに、青葉さんと紅葉さん以外には人が居ないと思っていたものだから、少し驚いた。
一人が好きな人らしく、普段は古民家からは離れた場所で過ごしているとの事だ。
もしかしたら、他にも人がいるのかもしれない。
にこりと微笑んで、花枯さんは僕の後方へ視線を移す。
「恭奈様も、こちらへどうぞ」
「…………うん」
言われて、僕の後ろに控えていた恭奈が応える。
立ち上がり、自分と恭奈と座る位置を入れ替える。
そうして僕の手の平と同じように、花枯さんは恭奈の膝に巻かれた包帯を解いていく。
恭奈に笑顔はないけれど、大人しく治療を受けている。
今朝とは比べられないくらいの、穏やかな時間が流れていた。
右の手の平を眺める。
痕は残っているが、もう血は止まり傷も塞がっていた。
あれだけの裂傷がこんな短時間で治ってしまうなんて不思議だが、これもそういうものとして受け入れるしかない。
花枯さん曰く、薬草にとんでもない効能があるわけではなく、彼女が薬草と、対象者自身の治癒力を最大限に引き出す"手助け"をしているらしい。
(…………まだ少し、震えてる)
恐ろしい体験だった。
白昼夢だったと思い込みたいが、傷痕がそれを許さない。
きっと、一生記憶から消す事なんて出来ないのだろう。忘れながら、生きていくしかない。
恭奈は、何も語らない。
僕と離れていた間の事も、運河で空間から吐き出された時の事も、窓を直し、僕を助けてくれた時の事も。
抱き合って、声が枯れるまで泣き合って。それから夏那さんに連れられて竜宮城への帰路でも一言も話さなかった。
ただただ、ずっと手を繋いでいた。
擦り切れた手の平を強く握られて痛かったけれど、痛ければ痛いほど、血が滲めば滲むほど、恭奈がそこに居ることを実感することが出来た。
治療を受けた後は、二人して気絶するみたいに眠ってしまった。
眠りこけて、目を覚まして今に至る。時刻は午後3時過ぎ。
7時間近くも眠ってしまった。
スッと、治療を終えたらしい恭奈が僕の横へと座る。
先程まで包帯が巻かれていた膝を見やると、僕の手の平と同じく、痕だけが残っていた。
僕と一緒に倒れこんだ時にできた傷だ。
「凄いですね、こんな短時間で治しちゃうなんて」
「わたくしが治したわけではございません。ほんの少し、手助けをしたのみ。お二方がお若く、細胞の再生速度が速いだけ。年を取れば取るほど、傷の治りは遅くなりますから……」
「へえ……」
「羨ましい限りです」
花枯さんが微笑んだ時、部屋の襖が開く。
「終わったか?」
「ああ、青葉様……」
襖を開けたのは、青葉さん。
僕らの様子を見に来たようだ。
「昼食も取らず眠ってたんだ、腹が減っただろう」
言われて、腹をさする。
「……そう言われると、そんな気がしてきました」
「ははっ、変な時間だが、食事を用意したから食べに来ると言い」
「ありがとうございます、恭奈も行こう」
こくりと頷く恭奈の手を引き、立ち上がる。
「花枯も一緒にどうだ?」
「……いいえ、わたくしは……結構でございます……」
「まあ、そうか。調理場に用意してあるから向こうで食べてくれ」
「ありがとう存じます……」
花枯さんは三角巾を外しながら立ち上がり、青葉さんへと微笑みかける。
二人は二、三言言葉を交わしてから、花枯さんが軽くこちらに頭を下げた。
つられて僕も頭を下げる。
ほんの1秒程度だったが、頭を上げると部屋にはもう花枯さんの姿はなく、白檀の香りだけが残っていた。




