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接続

 鳴りやまない電話のコールの様に、意味のない音の連続が脳内で響く。

 受話器を取ってしまえば楽になるのだろうけど、それも本能が実行してはならないと警鐘を鳴らしている。


 繋がっては、いけないと。

 理解しては、いけないと。

 

 狐の窓を壊さないよう、力を籠める右手が震える。手首の筋がつっぱって痛い。

 気がつけば、窓の中の眼球の数が二つに増えていた。白目と白目の隙間には、黒いねっとりとした液体が満ちている。

 ぬらぬらと光を反射していた大きな眼球はいつの間にか消え、代わりに人間サイズの眼球が三つ。それぞれが、意思があるように身勝手に蠢く。

 一つは僕の指の窓の境界を観察するようになぞり、二つはじっと僕を凝視していた。

  

 頭が、おかしくなりそうだ。


 こちらの視線に気がついたのか、僕を凝視する眼球の瞳孔がブルブルと震え始める。

 右手と瞳孔の震えが重なり、ミキサーの中身みたいにぐちゃぐちゃと崩れていきそうだ。

 今にも壊れそうな右手の窓を、咄嗟に左手で補強する。

 それでも震えは止められず、右手の親指と人差し指で作られた窓は、両手を繋げた大きな窓になってしまった。

 領域が広がった途端、これはチャンスだと言うように、唐突に瞳孔がぐにゃりと変形する。

 こねくり回される粘土みたいに変形を続け、ぶつりと、アメーバみたいに二つの瞳孔に分かれた。

 一つの白目の中に、窮屈そうに収まる二つの瞳孔。

 それを囲むように、黒い液体がぽこぽこと沸き立つ。液体は人間の皮膚の様に眼球を包みあげ、上まぶたと下まぶたを形成した。


 それは最早、顔だった。

 僕の両手にすっぽりと収まった、真っ黒な、目だけがついた顔。

 窓の中のまぶたが動く。目尻に微かに皺の様なものができ、両目が三日月の様に細まる。


 ────────こちらを見て、笑っている。


 感情があるのか、対話が可能なのかなんて分からないが、何かしらのコミュニケーションを取ろうとしているらしい。

 

「………………あ……あ、ぅあ…………」


 喃語のような、要領を得ない呻き声が漏れる。

 恐怖に感情が支配され、まともな思考を行使できない。

 大きな眼球よりも、見慣れた形状になった今の方が段違いに恐ろしい。

 そうではないと分かっているのに、"人"として脳が視覚してしまう。

 口のない真っ黒な人間が、僕の両手に張り付き、目だけで笑っている。


 止めてくれ。そんな目で見ないでほしい。

 皆みんなミンナ、僕を笑ったり、憐みの目で見るのを止めて。

 

 僕を誘拐した、犯人の目。

 僕を救出した、救助隊の目。

 僕を抱きしめた、両親の目。

 僕を診察する、医師の目。

 僕を奇異の目で見る、知らない誰かの目。

 

「ハァッ……ハァッ……!」


 唇と指先が痺れる。

 浅いへたくそな呼吸を続けるうちに、脳へ届ける酸素が足りなくなっていた。

 指先が冷たくなり、次第に感覚が消えていく。力が入らない。

 その事実に、のけ者にされていた余った眼球の一つが気がついたらしい。

 両手の親指が重なった個所。張り付いた黒い顔で言うところの、顎辺りになる箇所にぐりぐりと自身を擦り付けながら、『ここが脆いぞ!』とでも言うように執拗に視線で舐めまわしている。


「……うぅっ!?」


 親指を、押されている。

 眼球が、黒い液体が、少しずつ僕の指を押し退けて隙間を作り出そうとしているのが、視覚で分かる。

 そうして僅かにできた隙間から、液体が一筋漏れ出した。


 窓を、開けられた────────


 そう理解した瞬間、一瞬で液体が沸騰したように、ゴボゴボと粘液質で不愉快な音を立てながら液体が湧き出す。

 そうして、そこから運河で漂っていたものと同じ悪臭が、鼻孔へ届く。

 

 感覚器官のうち、最も記憶と結びつくのは嗅覚らしい。

 脳裏に、二人と一匹が浮かぶ。一瞬、ほんの一瞬だけ、何故自分が此処にいるのか、何をしようとしていたのか、助けてくれる人がいることを、思い出す。

 すなわち、一瞬だけ正気になったのである。

 その一瞬を、黒い顔は見逃さなかった。

 

「───ヒッ」


 さっきまで不定形な液体だったそれが、小さな、着せ替え人形程の無数の手に変形する。

 見た目を例えるのであれば、玉虫色のイソギンチャクだろうか。

 肘や手首のような関節は持たず、軟体動物の手腕の様にうねうねと揺れる腕たちは『自分を認識しろ』と言わんばかりに、まだ感覚のある僕の両手の甲を撫でまわす。

 ねっとりとした熱を感じ、鳥肌が立つ。気色が悪い。

 そうして甲を撫でる腕たちとは別に、一本の腕が僕の顔をめがけて伸び始めた。

 

 触れられてしまえば、お終いだ。

 例によって本能が告げる。

 どこに、触れられてはいけない?


 聞き拾ってしまった。

 視認してしまった。

 嗅知してしまった。

 感じてしまった。

 

 あとは────────味覚?

 この腕は口の中、舌へと、伸びている?


 それを理解した瞬間には、腕はもう間もなく、唇に届く距離まで迫っていた。

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