ACT05 一斉休漁
「後天祭の前までに何とかしろ、ってさ……言う方は気楽だよね」
神殿の社務所を出たサキは、本館の執務室の中にいるカロンに向けて壁越しに小声で毒づいた。
目の前で暴れている連中を鎮圧するならともかく、姿を見せぬ夜盗を何とかしろとは、かなりの無茶だった。
(でも、確かに……後天祭で騒ぎを起こされちゃまずいわよね)
カロンの言い分は、サキにもわかる。
ただでさえ、街の住人が浮かれる祭礼の時期だ。昼間から酔っ払っている連中もいるし、街の中で動く金も大きいので、犯罪も増える。
指折り数えて、サキは顔をしかめた。
何度数え直しても、後天祭までもう十日しかない。
だが、かなりの荒技で、怪しい連中を片端から捕まえて牢に放り込むわけにもいかない。
(まぁ、護民官長のデュラン候からの依頼だから、護民官の力も借りれるのは幸いかしらね)
普段は縄張り争いをして不仲の護民官とも、この時ばかりは力を合わさなければ乗り切れない。
デュラン候としても、神殿も下町も自由に動き回れるサキが探索に乗り出せば、かなり楽になる。王城の中、神域、下町を自由に行き来できるだけではなく、サキだけは王家の権力の及ばない漂泊民の一群の中でさえ出入り勝手を許された希有な存在だった。
(天狼の力が借りれたら楽なんだけど……)
サキは、喉元の首飾りに手を触れた。
サキは、自分の喉元を彩る白銀の首飾りに手を触れた。白銀の輪に白と黒の勾玉のような宝玉が噛み合っている。謎の漂泊民天狼と王家を結ぶ約定を継いだ者の証として、天狼側から贈られたものだった。
事件の内容を考え、サキは大きく首を振った。
(約定を頼る内容じゃないわよね……夜盗程度じゃ、天狼は動いてくれないわよ)
天狼と王家の対立は根深い。
国を持たずシドニア大陸のあちこちに住み暮らす漂泊民の中に、太古からの英知を受け継ぐと言われる漂泊民の一群が存在する。その一群はシドニア大陸の中央にある天狼山脈を由来とするとされ、天狼と呼ばれる。
建築、冶金、医術、薬学、兵法等の特殊技能に優れ、彼らの力を借りなければどの国も成り立たない。だが、国を持たない独自の文化を持つが故に、彼らは恐れられ疎まれる存在だった。
王都の民衆の大半は国を持たない天狼に対して、よくわからぬ異能を持ったよそ者、と敵意混じりに嫌悪している。
だが、天狼の力を借りなければ王都の繁栄が成り立たないから渋々棲み分けているだけで、双方の心の内に疑念と反感が渦巻いている。
約定を受け継いで以来、サキはこの都の二重構造にはつくづく煩わされている。
ヴァンダール王国にも、多数の天狼が住んでいる。王都レグノリアの建設にも天狼が深く関わり、見かけ上はうまく棲み分けているが王都の市民と漂泊民の間には深い溝がある。
その昔、王都レグノリアを災厄が襲った時、王家の危機を救うために一人の王族が立ち上がった。
その名を、レオナ・リシャムードという。
十七の娘の身でありながら、大きな弯刀を背負い、広大なシドニア大陸を縦横無尽に駆け抜けた伝説のお姫様だった。
レオナ姫は、王家の危機を救うために、一人の漂泊民の助けを借り、遠くローゼリア砂漠の奥地まで旅をしたという。
レオナ姫の覚醒した霊力のおかげで平和を取り戻した王都だが、その平和は長くは続かなかった。
古からの知識を持つが故に、恐れられ手を出せなかった漂泊民を弾圧して、都から追放しようとした。
王家と漂泊民の衝突が起きた。
レオナ姫は板挟みの立場の中、両者の紛争を抑えることに奔走した。
だが、事態は悪化するばかりだった。
レオナ姫の思惑とは正反対に、両者の不毛な争いは頂点に達した。
結界岩を挟んで両者がにらみ合い、全面衝突直前だった。
そこでレオナ姫は、ある重大な決断をした。
国の安泰をはかるためにレオナ姫が自分で設置した結界岩に、大きな刀を叩き付けて一刀両断にして呪いを掛けたという。
『この断ち割った大地を、王家と天狼の境界とする!
よく聞け! 両者が刃を納め力を合わせぬ限り、この都は衰退する。
この言葉を忘れた場合、私は何度でも姿を現して末代まで祟る!』
その場に居合わせた両者の武装勢力は、レオナ姫の怒りの激しさに震え上がったという。
そして、その時に真っ二つに岩を叩き割った大刀が、不思議な縁でサキの愛刀となった。
レオナ姫が王家と天狼の争いに心を痛め、己の強大な魔力が争いの原因と悟り都を去った。その後、レオナ姫の行方は杳として知れない。
レオナ姫を失った後に、王家と天狼は和解した。
いわく、王家はレグノリアに住む天狼の自治を認め手出しはしない、その代わり、王家に自力で解決できないような難題が生じた時に、天狼はその力を貸すという約定だった。
天狼の力を借りるには、王家からそれにふさわしい人材を選出し天狼の同意を得る必要があった。
そして、その王家から選ばれた約定の対象がサキだった。
(天狼側の商家も夜盗の襲撃を受けたんだから、相談くらいは許してもらえないかな?)
約定を使うのは、よっぽどの問題が生じた時に限られている。夜盗の跳梁程度では、天狼の力を借りるわけにもいかない。
だが、立場は違えども、王都に住み暮らしているという点では同じだった。双方が被害を受けているのだから、協力しないという理由はない。いつものように知らない顔をして棲み分けしている場合ではなかった。
とりあえず、探索は被害に遭った商家の倉庫からだった。
だが、それに加えてディンゴが神将像に吊された件も、捨て置くわけにはいかない。
「亡霊が人を殴って吊すわけないわよ……前みたいに、誰かが亡霊に扮してディンゴを殴り倒しただけに決まってるわ」
まずは、その二つの事件が重なる港湾地区だった。
サキの足は、自然と運河の下流に向いた。
◆
運河と海を結ぶあたりのせいか、潮風の匂いが強い。
岸壁に小さな漁船が舫われ、あちこちに漁に使う網が干されている。
「あら、妙に船が多いわね……嵐でも来るのかしら?」
いつもなら、この刻限はほとんどの船が漁に出て波止場は閑散としている。
ところが、今日に限っては船着き場に船が並んでいる。
嵐が近寄ってくる時は、船を砂浜に引き上げて固定したりするものだが、そんな様子もない。
単に、一斉の休漁のようにも見える。
「祝祭日でもないのに、お休みってのも変ね」
サキの足は、人気の消えた波止場から港にほど近い港湾地区の下町へと向かった。
港で仕事をする人々が住み暮らすこの地域は、雑然とした街だった。
それほど裕福な街ではないが、ここには住み暮らしやすい活気がある街並みだった。
三、四階建ての石組みの建物が並び、それほど幅広くない石畳の道が続いている。小径を荷車を引いたロバが行き交い、枝道からは子供達の笑い声が聞こえてくる。
サキは、こんな王都レグノリアの下町が好きだった。
雑然としながらも、人の熱量がこもった活気が町中に拡がっている。
「?」
目の前に、茶色い麻の服が降ってきた。
思わず反射的にそれを掴み、降ってきた上空を見上げる。
細い路地の間を横断するように、洗濯物が頭上の細紐にいくつも吊されている。
「サキ様ぁ~! ちょうど良かったわ!」
サキが、頭上を見上げると三階の窓から、見覚えのある顔が手を振っている。
「エリカ小母さん!」
「ごめんなさーい、洗濯物を落っことしちゃったの」
「わかったわ、今届けるから!」
洗濯物を持って建物の外にある階段を、サキは軽快に駆け上った。
「エリカ小母さん! 入るよ!」
サキは扉を軽く叩いて、返事の前に扉を開いた。
「わぁ! 良い匂い!」
扉を開いたとたん、甘い匂いがサキの鼻に飛び込んできた。
柑橘類の匂いだった。
サキの目の前に、大鍋の掛かった竈があった。
大鍋には小さく切った果物が煮えている。
「サキ様、ごめんなさいね~! 火の面倒を見てるので、手が離せなくって」
エリカが、部屋の奥ですまなそうに謝った。サキと顔なじみの五十がらみの女性だった。
娘が二人いるが、もう嫁いで漁師の旦那と二人暮らしのはずだった。
この季節になると、エリカは果物の砂糖煮の作業で多忙を極める。甘く煮詰めた果物を煮詰めたものは、パンに塗ると絶品だった。
バザールで小さな壺で売られる果物の砂糖煮は、サキの大好物だった。サキがエリカと知り合ったのも、そのバザールだった。
「サキ様、ごめんなさいねぇ……焦がすと苦くて食べられたものじゃないから、竈から目が離せないのよ」
「ううん、気にしないで。あたしは、あちこちをうろつくのがお務めだから」
サキは、畳んだ衣類をエリカに手渡した。
「洗濯物の取り込みは、あたしがやるから、エリカ小母さんは火の面倒を見ててね」
サキは、窓際の外壁に取り付けられた物干し紐にとりついた。
「へぇー、こんな仕掛けになってるんだ」
サキは、滑車に取り付けられた取っ手を回しながら感心した。
サキの自宅は神殿の裏手にある雑木林に囲まれた一角にある。そのため、敷地だけは広い。立木の間に紐を張って洗濯物を干しているが、この界隈ではそんな場所がない。
王都レグノリアの旧市街区の下町は、石組みの建物が林立している。
南向きの建物はともかく、洗濯物を干せるような場所がない。
必然的に、反対側の建物側に紐を渡して洗濯物を干す。
反対側の建物も、同じような滑車と紐を張っている。下町は、ご近所とお互い様で協力し合って暮らしている。
「こうすると日当たりも風通しもいいから、早く乾くのよ」
「生活の知恵ね……窓から竿を伸ばしてる家もあるのね」
サキは、窓から通りの上空に干された洗濯物を見上げて微笑んだ。
「物干し竿でもいいんだけどね……紐の方が何かと便利なのよ」
「あれ?」
サキが紐をたぐると洗濯物の最後の一枚の向こうに、篭がぶら下がっている。
「これ、何?」
「お向かいさんに頼まれてた、繕い物の御礼さ」
「鶏卵?」
サキは、柳で編んだ篭の中身を見つめた。
一尺くらいの小さな篭に、鶏卵がいくつも並んでいる。
「お向かいさんと行ったり来たりは、階段の上り下りでしんどいのでね、ご近所様とのお付き合いは、大概これで済ませてるのよ」
「へぇ、洗濯物を干す紐にも色んな使い道があるのねぇ」
サキは、下町の人々の知恵に感心した。
「そう言えば、旦那のジョイさんは? 仕事?」
「うちの人?」
エリカが苦笑した。
エリカの旦那は、漁師をしている。
「今朝方、港から帰ってきて、『今日は不吉だから仕事はおしまい』って遊びに出かけちゃったわよ」
「出かけるって?」
「おおかた、『験直し』って口実で黒龍小路で酒飲んでバクチよ」
「そもそも不吉って何?」
また、妙な話が舞い込んできた。
命の危険と背中合わせの船乗りが、何かにつけて縁起を担ぐのは不思議ではない。
「なんか、角笛の岬の神将像がいつもと違う方向を向いてたんだって」
「えーっ?」
サキが眉根を寄せた。
何か話がややこしいことになってきた。
「昔っから、ここらあたりの船乗りには、角笛の岬に立つ神将像が動くと不吉な騒ぎが起きる予兆って言い伝えがあってね……大昔から、夜中に神将像が歩き回って魔物を退治してくれてるんだってさ」
「まっさかぁー……神将像が動くはずないわよね」
サキは笑い飛ばしたが、どこかサキの勘に引っ掛かる。
エリカが言う場所からして、その動いた神将像は一つしか思い浮かばない。ディンゴが吊された神将像だった。
「海で漁をして戻ってくる時に、角笛の岬の先端から見える神将像を右に見て港に帰ってくるんだけどね……港の方を指さしているはずの神将像の手が、右手の運河の方を指さしてたんだって。
うちの人だけじゃないわよ……おかげで、ほとんどの漁師達が今日は『不吉』って口実で仕事はお休みよ。
休みなら休みで、港で網の手入れとかすりゃいいのにねぇ」
◆
その角笛の岬の先端にある神将像の広場から、いくつかの小径が四方に走っている。だが、そのうちの一つの小径は、訪れる人もいない鬱蒼と生い茂る背後の雑木林へと続いている。
その雑木林の奥には長いこと使われていない昔の監獄があり、その周辺にはその処刑場で処刑された罪人達の墓が並んでいると言われている。夜になると刑死した亡霊が出没すると噂され、不吉さを恐れてこの道を通る人などまずいない。
そんな中、人影があった。
灰色の長衣を身にまとった巡礼者姿の人物の表情は、フードの奥に隠れ定かではない。
その手には、どこかで摘んできたのか小さな花束があった。
雑木林の中の墓地で、一つの墓の前で足を止めた。
しばらくの間、その一つの墓をじっと見つめている。
その眼光は、なんとも言えない暗いものだった。
灰色の巡礼者は、墓に花束を供える。
ひざまずき、形だけ祈る素振りを見せた。その姿は、死者に対する礼としてはそっけないものだった。
「二十年か……やっと時が至った……今こそ復讐の時ぞ」
その時、近くに人の気配を感じた。
「!」
人の気配を感じ、怪しまれないように静かに立ち上がり、その巡礼者が歩き出した。
◆
「やっぱり、直接確かめに行ってみるしかないわね……でも、気が乗らないわよね」
小声でぼやきながら、港町から海岸沿いの道を角笛の岬の方へサキが歩いていた。
オバケが大嫌いなサキは、そんな不吉さの漂う現場へは、まだ昼間のうちに行くしかない。
とにかく場所が悪い。
昔の監獄と、刑死した罪人の葬られた墓地の近くだった。
新しい監獄が、レグノリアの北の方に造られたため、もう無人になっているというが、周辺では亡霊が出るという噂だった。
だが、もしも何かあった場合の砦として使うことも考え、監獄跡地はそのまま取り壊されもせずに残されているという。
「まぁ、監獄も砦も外部と内部を分けるって意味じゃ、似たようなものよね」
ヴァンダール王国は、人口十万人を越える巨大な城塞都市だった。
百年も大規模な戦乱がない平和な時代が続き、都の外との城門は開きっぱなしだった。開けっぴろげで無防備なように見えても、王都レグノリアの防御はしっかりと考慮されている。
監獄跡地も、大富豪ゼメキスの住み暮らす”海賊島”も有事の砦として守りの要として用意されたものだった。
サキの住み暮らす神殿も有事の場合、無粋な砦として機能する。
この神将像も、レオナ姫が遺した霊的防御の一つかも知れない。
サキは、右手に海が見える道をたどり、角笛の岬へとたどり着いた。角笛の岬の先端から大海原が見える。大きな湾だった。左に視線を転ずればエラース大河と運河の合流した大きな流れの向こう岸が見える。向こう岸の小高い丘は、王城地区だった。王城の背の高い尖塔が見える。
そして、手前に視線を転じると、問題の神将像が直立している。頑丈そうな石組みの台座を含めると高さ二丈になろうかという、大きな青銅の神将像だった。右手に破邪正義の剣を持ち、左手に罪の重さを量る天秤を持った神将像の姿は、神殿に生まれ育ったサキにとってはおなじみのものだった。
「ちゃんと西向いてるじゃん」
サキは、安堵のため息をついた。
サキは、神将像に一礼した。
これだけ大きな青銅の彫像は、ちょっとやそっとでは動かない。単なるいたずらにしては、やることが大げさすぎる。
周辺を調べても、ディンゴが遭遇した謎の人影に関わりそうな遺留品も怪しい気配もない。
「やっぱり、夜中に張り込むしかないのかぁ……ああ、嫌だわね」
サキは、顔をしかめた。
こんな人気のない場所で一夜を明かすことを考えただけで、気が滅入ってきた。
「かといって、放ってもおけないわよね」
サキは、神将像のある角笛の岬の広場から、雑木林へと続く小径の一つに足を踏み入れた。
この辺りは、サキも足を踏み入れたことがない。雑木林といっても、ちょっとした森林の規模がある。鬱蒼と生い茂った木々のおかげで先が見通せない。
曲がりくねった小径をしばらく進むと、道の両脇に墓石が並んでいる。雑木林と道の間に墓石を並べたに過ぎない。墓地というには名ばかりの場所だった。
そして、その小径の奥に目をやると、雑木林を切り拓いた先にいかめしい石塀の監獄がちらりと見える。この監獄はもう長い間使われずに、荒れるに任せられている。
「?」
微かに人の気配がある。
サキは小径の細い道の奥で、灰色の巡礼者とすれ違った。
さほど特徴のある姿ではない。
フードのついた灰色の長衣を身にまとい、杖をついた巡礼者などレグノリアでは珍しくもない。
だが、こんな処で巡礼者とすれ違うことは珍しい。だが、フードを目深に被った顔を伏せたまま、巡礼者はサキに反応もせず、無言で立ち去っていった。
(どっかで遭遇したような……)
サキが振り向くと、既に巡礼者の姿は雑木林の陰に消えるところだった。
(気のせいかしらね)
サキは、傍らの墓に視線を移した。その墓だけ、小さな花束が備えられている。
(なーんだ、お墓参りね)
墓に供えられたまだ新しい花束を見て、サキは納得した。
遺族の誰かが、刑死した罪人の鎮魂のための巡礼旅から戻ってきたのかも知れない。
墓石には、葬られている人物の名前が小さく彫り込まれていた。
『マテオ・エクトールここに眠る』




