枯れる花 04
クリスティーヌの魔法は、霊に対して働きかけるものだ。
具現化はその一つで、かなり魔力を使う。
可能であれば何日か具現化してゆっくり別れを惜しませてあげたいのだが、今のクリスティーヌには5分が限界である。
「ブロン!!」
『ばう!』
具現化したブロンは、生前と変わらぬ姿でドロテの目の前に現れた。
違いは、ほんのりと向こうが透けて見えることである。
ドロテがかがむと、ブロンは彼女に飛びついた。
半透明だが、物理的に触れられる。
ドロテはぎゅっと愛犬を抱きしめ、ブロンは主人に身を任せた。
「では、ごゆっくり」
家族の話をわざわざ近くで聞く趣味はない。
具現化の状態を確認したクリスティーヌは、そのまま庭の端へと移動した。
◆◇◆◇◆◇
ドロテは、半年ぶりに愛犬を抱きしめた。
少し透けて見えるのが、実在を否定する。
それでも、もう二度と会えないと思っていたので、どうでもいいことだ。
「ブロン、ご飯用意したわよ」
『ばぅっ!ばうぅ(もらう!食べれないけど)』
その鳴き声を聞いて、ドロテは思わず目を瞬いて腕をほどいた。
どういうわけか、ブロンの言いたいことがわかったのだ。
「食べれないのに、どうするの?」
右手でブロンの首元に触れたまま、ドロテは愛犬の目を見ながらそっと聞いた。
『ばう!ばうばう!(食べない!気持ちをもらう!)』
「そうなの」
多分、あの店主のユニーク魔法によるものなのだろう。
本当にブロンがそう言っているのかどうかはわからないが、感じ取れるのだからそれでいい気がする。
ドロテは、ブロンがいつも好んだ方法で首の後ろを掻いた。
「このまま一緒には、いられないのね」
『ばぅう!きゅぅうん(無理だって。悪霊になる)』
こちらを見上げる瞳は、少し寂しそうだ。
「悪霊かぁ。たしか、排除するしかないみたいなことを聞いたわ。場合によると霊障を引き起こすから、消滅させるんじゃなかったっけ」
『ばうばうっ!ぐるるる(ドロテのこと忘れちゃう!次に生まれても会えないって)』
ドロテは、思わず目を瞬いた。
「次に生まれる?おとぎ話みたいに、天使様にでも生まれ変わるの?ブロンなら、可愛い天使様になりそうね」
しかしブロンは、もどかしそうに前足で地団太を踏んだ。
『ばうぅ。わふっ(天使じゃなくて。次に生まれるの)』
「次に……?もしかして、また子犬になるってこと?」
『ばふっ!ばう!(わかんない!忘れるけど会えるって)』
それを聞いたドロテは、思わずブロンを抱きしめた。
「また会えるなら嬉しいわ。でも、それは新しいあなたであって、今のブロンじゃないでしょう?わたしはそれが寂しいの」
『きゅうぅん(ぼくも寂しいよ)』
それでも、こうやって最後に思わぬ形でブロンと話せたことは、ドロテの支えになりそうだった。
その後、好きなご飯の話、楽しかった場所、ドロテの友人でブロンが気に入っていた人の話など、他愛もないことを話した。
5分を過ぎたころに、店主が戻ってきた。
「そろそろ、効力が切れます。きちんとお別れをしてください」
真っ黒の服を着た店主は、心なしか顔色が悪くなっている。
ドロテは目を閉じて軽く頭を下げた。
どうやら、店主はドロテとブロンのために少し無理をしてくれたらしい。
「ありがとうございます。ブロン、今までありがとうね。大好きよ。ブロンがブロンだから大好きだったの。もしまた会えたら、きっとまた大好きになるわ」
『ばうっ!ばぅばぅ!(ぼくも!ドロテは仲間!)』
もう一度ブロンを抱きしめたドロテは、もう涙を抑えきれずに頬を濡らし続けていた。
『きゅうぅん(泣いたら寂しいよ)』
「そうね。でも止まらないの」
『ばぅばぅ(じゃあ止めに来るから、待ってて)』
「うふふ。わかったわ、待ってるね」
頭をなでてやると、ブロンは嬉しそうに目を細めた。
『ばう(またね)』
「ええ、ブロン。またね」
ブロンは最後にドロテの頬を舐め、そしてふわりと消えていった。
ドロテの腕が支えを失い、自分の体に当たった。
さきほどまであったブロンの名残を探すように、ドロテは自分の腕を見下ろした。
◆◇◆◇◆◇
主人の腕からすり抜けてしまったブロンは、慰めるようにドロテに鼻先を寄せた。
だが、その鼻先ですら彼女をすり抜けたので、しばらくドロテを見つめたのち、諦めてクリスティーヌのもとへやってきた。
ブロンがクリスティーヌの隣に腰を下ろすと、ドロテが顔をあげた。
頬を手で拭って、一つ息を吐いた。
少し気持ちを落ち着けたらしいドロテが、クリスティーヌを見上げた。
「あの、さっきブロンの言葉?言いたいこと?がわかったんですが」
「ブロンの声が聞こえましたか。よほど繋がりが深いんですね」
クリスティーヌはふわりと微笑み、隣にいるブロンの頭にそっと手を乗せた。
「あれって店主さんの魔法ですか?」
「ええ。私の魔法ですが、人によって効果が変わります。何か話しているはずなのにわからないこともあれば、言葉にしていないのに理解できることもあります」
これに関しては、クリスティーヌにも制御できない。
長く連れ添ったからといって伝わるわけでもなく、短期間だから伝わらないということもない。
ただ、どれだけお互いに心を預けたか、信頼していたかが関係しているのではないか、とクリスティーヌは勝手に予測している。
「じゃあ、本当にブロンが言っていたことだったんですね」
ドロテは、目元を赤くしたまま小さく微笑んだ。
「はい。ドロテさんの言葉も、いつもよりもブロンに伝わったはずです」
『わふっ!』
ドロテには聞こえないが、ブロンが同意した。
さきほどよりも、ブロンの体が透けてきている。
ゆっくりと、死後の世界へ向かっているのだ。
クリスティーヌは、もう一度膝をついてブロンを抱きしめた。
「大丈夫。ドロテさんとの繋がりはそのままよ。いい子ね。あちらに向かえばいいわ。ほら、誰か迎えに来てくれているでしょう」
『くぅん』
ドロテは、唇を噛んでから立ち上がった。
「あの、わたしもそばにいていいですか?」
「もちろんです。触れられはしませんが、私が手を添えます」
クリスティーヌがうなずくと、ドロテはこちらに歩いて来て、斜め前にしゃがみこんだ。
ちょうど、ブロンを挟んで反対側だ。
「手をここに。もうすぐです」
「っ、はい」
クリスティーヌの視界では、ブロンの輪郭が徐々に薄まっている。
そして、多分別の次元とかそういう場所なのだろう、死後の世界らしい方向へとゆらいでいっているのがわかった。
いつもは見えないが、幽霊が死後の世界へ渡る瞬間、ほんの一瞬だけあちらが見える。
クリスティーヌから見ればほぼ透明の幽霊たちが、ゆったりと過ごしているところだ。
そして、そこへ向かう幽霊を誰かが迎えに来る。
ブロンがゆっくりと向こう側へ揺らいでいる今も、迎えに来ている人が見えた。
「大丈夫よ。いってらっしゃい」
クリスティーヌが言うと、ドロテもそれに合わせて口を開いた。
「ブロン、大丈夫」
最後にドロテを見つめてから、ブロンは死後の世界へ渡った。
迎えに来た人は、ブロンを優しく抱きしめていた。
そして、クリスティーヌの視界からブロンたちが消えた。
死後の世界との境界が閉じたのだ。
「背の高い、丸い眼鏡をかけた男性が迎えに来ていました。少し細い方ですね」
「……きっと、おじいちゃんだわ。5年前に亡くなったんだけど、ブロンがよく懐いていたの」
多分、ドロテの言う通りなのだろう。
死後の世界で迎えてくれるのは、何らかの関係があった相手なのだ。
クリスティーヌが黙ってうなずくと、ドロテは涙をこぼしながら微笑んだ。




