枯れる花 03
ペットの幽霊、というのは実はよくある。
人に飼われていたからこそ、想いを残すことが少なくないのだ。
特に賢い子の場合は、飼い主を残していくことに未練を覚え、幽霊になってしまうことがある。
この白い犬、ブロンもその類らしい。
クリスティーヌに見える幽霊は、くっきりしているものの、向こう側が透けている。
亡くなってすぐであれば、生前の姿そのままだが、悪霊になるにつれて黒く濁り、輪郭線が崩れてボコボコとした異形になっていく。
ブロンは、右後ろ足と背中の一部が異形になっていた。
完全に悪霊になると、原形を留めず、アメーバのような黒い塊となってうごめく。
そして、生き物に襲い掛かる。
その様子から、悪霊が死を跳ねのけようとする結果として生命から生を奪おうとしている、悪霊に変化するときに自我が壊れてすべてが敵に見えるなど、様々な説がある。
ここが魔法のある世界だからか、実際に死者が生者に多少影響を与えるのだ。
とはいえ、そこまで大きな事件になることは少ない。
どう頑張っても生きている人の方がエネルギーを持っているし、普通の人には見えないので対面で相手をすることもない。
視線すら合わず、自分の渾身の攻撃に困った様子はあれども存在そのものは無視する形になるのだ。
ほとんどの場合、霊の方が認識されないことに耐えきれず、自然とあの世へ移動する。
しかし、クリスティーヌがこれまでに見てきた幽霊がすべて例外というわけでないなら、悪霊は生き物に敵対していないと分析している。
「良い子ね、おいで」
クリスティーヌは、日傘を閉じて地面に置き、ゆっくりと墓標に近づいて膝をついた。
黒いスカートが地面に広がる。
膝をつくと、頭の位置がブロンと同じくらいの高さになる。
少し人見知りをしているのか、幽霊となってから初めて目を見て声をかけられたことに戸惑っているのか、ブロンは少しウロウロと周りを歩きまわってクリスティーヌの様子をうかがった。
「何か、いるんですか?」
少し離れたところから見守っていたドロテが、顔を青くして言った。
しかしそれには答えず、クリスティーヌはブロンを見たまま口を開いた。
「ブロンは、白くて大きな犬ですね」
「え?はい」
戸惑うドロテに、さらに質問を重ねる。
「耳が顔の横に垂れ下がっていて、毛足は長め、目はこげ茶色。ああ、尻尾の先だけ少し茶色いんですね」
そう言いながら、クリスティーヌは膝をついたままじっと待った。
ドロテは、はっと息を吸い込んだ。
「もしかして、ブロン……?」
ドロテは視線をウロウロさせ、墓標のあたりを見た。
その声に反応して、ブロンが尻尾を振ってドロテの方を見た。
しかし、彼女にはブロンが見えていないので、微妙に視線が合わない。
しばらく尻尾を振って待っていたが、ブロンの尻尾が徐々に下がっていった。
「ブロン、良い子ね。こっちにおいで」
もう一度クリスティーヌが話しかけると、ブロンは縋るような目を向けて、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
手を広げたまま待ち、恐る恐る匂いを嗅ぐようなしぐさをして、それから鼻先でクリスティーヌの腕に触れた。
すると、ブロンは弾けるようにこちらを見上げ、そして飛びついてきた。
「よしよし、良い子ね。私は魔法のおかげで見えてるし触れるのよ。寂しかったわね。でもちゃんと待ってたのね。良い子」
もふもふをぎゅっと抱きしめて撫でると、ブロンはクリスティーヌの耳のあたりにぐりぐりと頭を押し付けてきた。
尻尾がぶんぶんと振り回されている。
『きゅぅぅううん』
甘えるような、細い声で鳴くブロンは、暴れもせずに大人しくしていた。
こういうときには興奮して暴れるペットが多いのだが、ブロンはかなり理性的だ。
きっと、生前も良く周りを見るタイプだったのだろう。
「さ、ドロテさんに何を伝えたかったの?このままだと、あなたはうまくあの世に行けないわ。伝えてあげるから、私に教えて頂戴」
ブロンの背に手を置いたまま聞くと、ブロンはこちらを見て吠えた。
『ばう!ばうばう!!くふんっ』
最後には、ため息を吐いた。
まるで人間のように表情が豊かである。
これも、幽霊になるとよくある変化だ。
「あの、ブロンは一体……?」
不安そうに、しかしもどかしそうに、ドロテが聞いた。
クリスティーヌは、ブロンを促してドロテの方を向いた。
「それが、『いつものご飯が良い、お花は遊べない』だそうです。多分、供えていた花で遊べないことが嫌だったようで」
ドロテは、きょとんと目を瞬かせた。
それから目を潤ませ、一度開きかけた口を閉じて唇を噛んだ。
そんなドロテを、ブロンは心配そうに見上げている。
「ブロンは。ブロンは、食いしん坊だったんです。遊んだ後も、絶対におやつを欲しがって」
ポロポロと涙をこぼしながら、ドロテは口元を震わせて笑った。
「いつものご飯を、用意してあげられますか?ほんの少しの時間ですが、私の魔法で具現化します。それが最後のお別れになると思います」
クリスティーヌがそう言っている間も、ブロンはゆるゆると尻尾を振りながらドロテを見つめ続けていた。
「もちろんです!すぐに用意しますので、少し待ってください!」
濡れた頬を手でぐいっと拭い、ドロテは家に駆けこんだ。
座っていたブロンが慌てるように立ち上がったので、クリスティーヌは落ち着けるように背中を撫でた。
「大丈夫よ。いつものご飯を用意しに行ってくれたの。ちょっと手伝うから、ドロテさんとちゃんと会えるわ。その後は、呼ばれているところへ行きましょう。でないと、悪霊になってしまうわ」
『くぅん。くぅうん』
ブロンは、ドロテが去った方を見たまま鳴いた。
「このまま残るのは無理なのよ。体を失ったら、存在がこの世に合わなくなるの。悪霊になってしまったら、ドロテさんとの繋がりが切れてしまう。次に生まれ変わるときに、ドロテさんとの繋がりがなくなるの」
説明すると、ブロンはこちらにつぶらな瞳を向けてきた。
「もちろん、生まれ変われば記憶はなくなるわ、普通はね。でも、その繋がりは『会ったばかりだけど何となく好き』とか、『もっと仲良くなりたい』とか、そういう想いの形で残るの」
『ばうっ』
一声吠えたブロンは、ドロテの方を向きなおした。
「そう。初めて会ったときに、『仲間だ』って感じたのね。なら、ブロンは前世でもドロテさんと繋がりがあったのかもしれないわね」
『わふぅっ』
ため息交じりのブロンの声は、魔法を通さずとも意味が分かった。
『なら仕方ねぇな』という表情で、ブロンは静かに座り直した。
ゆるゆると撫でたブロンの右後ろ足と背中は、いつの間にか元通りになっていた。
しばらくして、ドロテが少しいびつな器を持って出てきた。
両手に載る大きさの器は、素焼きのようで土の色をしている。
「これ、いつもブロンが使っていたお皿です。昔、私が陶芸を体験させてもらったときに作ったもので、ずっとブロン専用だったんです」
ドロテは、少し迷ってからクリスティーヌの斜め前に器を置いた。
少しズレていたが、ブロンの前である。
「では、魔法を使います。具現化できるのは、十分ほどだと思います」
目を閉じたクリスティーヌは、深呼吸をしながら魔法を行使した。




