第94話 大学四年生 春1 reika
玲香 reika
大学四年の春。
就職活動もしないとだし、研究室にも配属されて卒業研究がはじまるしで、私は心身ともに忙しかった。
取らないといけない単位もまだあって、なんかもうてんやわんやだった。
バイトばっかりしてきたツケを、いっぺんに払わされている気持ちだった。
結衣ちゃんの就職活動は、順風満帆という言葉がぴったりの様子だった。
私はというと、結衣ちゃんも軽く引いてしまうくらい、大苦戦していた。
こういうの苦手な自覚は、正直、ある。
なんなら、中学卒業したあと、ひとりで働けるところを探していたときから、苦手意識があった。
あまりにも、うまくいかないので、おとんくんに愚痴ってみる。
「私って、世間の人から、基本、薄っすら嫌われてるみたいなんだよね」
「ああ、わかります。三上さんって、世の中舐めてそうな顔してますもんねえ」
おとんくんが、過去いちの煽りをかましてきたので、私は強がってみせる。
「私だって、一次面接くらいは、しっかり人事の人と盛り上がれるんだから」
おとんくんは、大学院に進学するから、就職活動なんてやったこともないくせに、得意げに言う。
「一次面接なんて、言葉が通じるかくらいしか、見てないんじゃないですか。落ちる人いるんですかねえ」
頭にきたので、私は眼鏡を奪い取って、走って逃げてやった。
「パワハラはやめてください」
泣きついてきたので、返してやる。
私は眼鏡をかけるおとんくんに、構わず話を続ける。
「二次面接で、技術者の人が出てくるとさ。途端に雲行きが怪しくなるんだよ」
「それ、成績悪いからじゃないです? 評定平均いくつでしたっけ?」
これ以上、煽り散らかされると、別のものがこの場に散らかってしまうと思って、私はそこで話をやめた。
◇
家に帰って、店長からもらったパソコンを使い、畳の上で企業研究をしていると、結衣ちゃんが隣に座って、画面を覗き込んできた。
結衣ちゃんは、私の就職活動に興味津々みたいで、どんな企業を受けるのか、いつも知りたがった。
「え、東京以外の会社も受けるの?」
画面を見て、びっくりしたように結衣ちゃんが言う。
私は、地元の企業も受けようかと検討していたのだった。
「薄っすら、東京人に嫌われている説が、私の中で浮上してきたからね」
地元に思い入れはないけれど、人生でいちばん長く暮らした土地だし、なんかそういうことなのかなって思ったのだ。
「じゃあ、私も受けてみようかなあ」
「え、なんで」
私ですら、薄っすら地元に帰るのは嫌なのに、結衣ちゃんがあの町に思い入れがあるとは思えなかった。
「だって、玲香といっしょがいいから」
おや?
と、私は思った。
結衣ちゃんは、恥ずかしそうにしていた。
「私の就職先が、結衣ちゃんの就職先にまで影響したら、それはだめでしょ」
私が言うと、結衣ちゃんはまじめな顔で正座して、私を正面に見据えてきた。
私も思わず、パソコンを操作する手を止めて、正座して、結衣ちゃんと向き合った。
なにかまじめな話をしようとしているのは、雰囲気ですぐにわかった。
「私は大学を卒業しても、玲香といっしょに暮らしていきたい」
結衣ちゃんの手が、小さく震えていた。
私はとっさに、彼女の手に触れた。
ひんやりした感触が伝わってくる。
「いつもあったかいね。玲香の手って」
そうはにかむと、次第に震えは止まっていった。
手を離そうとすると、結衣ちゃんに両手で右手を掴まれた。
マッサージするみたいに、私の手のひらを指で押しながら、にぎにぎしてくる。
私の顔を覗き込んでくる。
「玲香はどう思ってるのかなあ」
私だって、結衣ちゃんといっしょに暮らせるのならそうしたい。
だけど、それが結衣ちゃんのためになるとは、思えないんだよね。
私が言葉を選ぼうとしてると、結衣ちゃんは続ける。
「玲香さんは、私のこと、嫌いですか」
結衣ちゃんは、急に私をお姉さんの椅子に座らせようとしてくる。
ひたすら、私の右手を揉み揉みしている。
「嫌いなわけないでしょ、結衣ちゃん」
私はお姉さんぶって、やさしく諭してあげる。
「じゃあ、好き、ですか」
結衣ちゃんは、小悪魔の顔になって、私の右手を両手でぎゅうっと握ってくる。
手のひらに汗をかいてきて、恥ずかしい気持ちになってくる。
「汗、かいてるね、手」
「ん。離していいよ」
「やだ」
これはなんの時間なんだろうと、私は思いはじめる。
ただの、はずかしめ、ではないのか。
「教えて」
手を握ったまま、結衣ちゃんはじーっと私の目を見て言う。
結衣ちゃんの愛情を感じる。
私はそこで、自分のほんとうの気持ちを、しっかり伝えないといけない心境になった。
「好きだよ」
私が言うと、結衣ちゃんの表情が一瞬にして崩れた。
ご両親には決して見せられない、やばい顔をしていた。
「もっかい言って」
「え、もっかい?」
結衣ちゃんという人は、欲しがりなんだ。
「大好きだよ、結衣」
恥ずかしいから、レイくんをインストールしてふざけてみた。
ほんとうのことだけどね。
結衣ちゃんはちょっとむっとした顔をした。
「そういうのいらないんだよなあ」
早速、苦情が寄せられた。
「じゃあさ、卒業してからも、ふたりでいっしょに暮らしていこうよ」
結衣ちゃんが、私の手を痛いくらいにぎゅうって握ってくる。
私は嘘やごまかしをすべきではないと思って、きっぱりと言った。
「それはできないよ、結衣ちゃん」
結衣ちゃんの手の力が弱まって、私の右手が畳の上にすとんって落ちた。
結衣ちゃんは目に涙を浮かべていた。
胸がぎゅうっと締めつけられた。
「結衣ちゃんには、結衣ちゃんの人生があるでしょ」
私はお姉さんぶって、やさしく諭してみせる。
結衣ちゃんは首を横に振った。
涙がぽとって畳の上に落ちた。
「私は自分の人生を投げ捨ててでも、あなたといっしょにいたい」
ぼろぼろって結衣ちゃんの目から涙がこぼれた。
私もうるっときてしまって、Tシャツの短い袖で、涙を拭った。
結衣ちゃんの気持ちや、私に向けてくれた愛情は、私にとって、一生の宝物だと思った。
それだけで、私はじゅうぶん、胸がいっぱいだった。
「私はそれはうれしくないよ」
鼻をすすって、ジャージの袖で必死に涙を拭っている結衣ちゃんを、私は抱きしめた。
泣いているのを見るのはつらいから、そうやって背中をさすってあげる。
「私は結衣ちゃんには、自分の人生を大切に生きてほしい」
結衣ちゃんの人生は、私のようなもののために、投げ捨ててしまうような、価値の低いものじゃなくて、大切にすべきものだと、私は理解している。
「簡単に投げ捨てるなんて言ったら、パパやママだって悲しむでしょ」
結衣ちゃんはなにも言わずに、一生懸命、泣き止もうとしていた。
「大学を卒業したら、私たちの同居は、終わらないといけないんだと思う」
私にとって、神山結衣という女の子は特別な存在で、代わりなんてどこにもいないし、ほかの誰かといっしょになるつもりなんてない。
私はそういうことが、できない人間だと思っているから。
小さい頃から、ひとりだったから、なんか、そういう感性が育たなかったんだと思っている。
結衣ちゃん以外の人から愛情を向けられたとしても、受け入れられる自信がない。
結衣ちゃんだからできたことで、私にとって、それは特別なことなんだ。
私にそこまでしてくれた人、いままでいなかったから。
結衣ちゃんにとっての私は、きっと、そうではない。
別れてしまったとはいえ、彼氏だって作ったりできる人だから。
いまは候補がいないから、私を見てくれているかもしれないけれど、いずれいい人を見つけたり、いい人に見つかったりして、そうやって幸せになっていく人だと、私は思っている。
私は結衣ちゃんのことが大切だし、パパさんからもお願いされているから、結衣ちゃんには、私に縛られてなんてほしくないんだ。
私は結衣ちゃんに、冷静に考えてみてほしいという思いで、ひとつの提案をすることにした。
抱きしめていた結衣ちゃんを解放してあげる。
結衣ちゃんは、正座したまま下を向いて、ジャージの袖で涙を拭っている。
「結衣ちゃん、しばらく別々に暮らそうか」
「え、やだ」
顔をあげた結衣ちゃんは、子どものように怯えた表情をしていた。
私は首を横に振った。
「嫌いになったとかじゃないよ。私は結衣ちゃんのこと、大好きだから」
結衣ちゃんは、落ち着いた表情に戻ったけれど、鼻をすすって泣いていた。
「お互いの就活が終わるまで、結衣ちゃんは実家に帰ってて。実家のほうが都心だし、学校も近いしで、便利は便利でしょ」
私は結衣ちゃんに微笑みかける。
結衣ちゃんの選択が、私によってねじ曲げられてしまうことを、私は避けたかった。
この人のことが、心から大切だと、そう思っていたから。
「結衣ちゃん、わかった?」
しっかり目を見て、まじめな顔で、私はそう説き伏せた。
「はい」
小さな声でそう言って、結衣ちゃんは首を縦に振った。
『大学を卒業したら、私たちの同居は、終わりにする』
私はそう、自分と約束することにした。




