第92話 大学三年生 秋2 reika
玲香 reika
新学期になり、私はツケの支払いに追われていた。
未来の私に任せるといって、落としてきた単位を拾い集める作業だ。
時間割がいまだかつてないほど、詰め詰めになってしんどかったけど、私の気持ちは晴れやかだった。
なんたって、平日はバイトしなくていいし、帰ったら結衣ちゃんがいるからね。
お金に余裕ができると、心にも余裕ができるみたいだった。
なんの心配事もなかった。
頭の中が、すごくクリアだった。
ネットバンキングの画面とにらめっこして、ひたすら労働時間と時給を計算していた、あの時間って、なんだったんだろうなと、他人事のように思うほどだった。
血迷って、フリマアプリでパンツ売ったりしなくてよかったなと思った。
「不器用だねえ、玲香」
気をよくした私は、結衣ちゃんのお料理を手伝う余裕までみせていた。
「包丁は危ないから触るなって、お母さんから言われてたんだよ」
「危ないから、よそ見しないで」
結衣ちゃんの顔を見たら、注意された。
実のところ、私は単に、結衣ちゃんのそばに行きたいだけだった。
若妻スタイルの結衣ちゃんを和室から眺めるのも、それなりに満足感はある。
だけど、狭いキッチンに立つと、忙しく動き回る結衣ちゃんと身体が触れあったり、結衣ちゃんの匂いがしたり、後ろを通るときに、肩を掴まれたりして、どきどきできるんだ。
おとんくんのこと言えないくらい、私って変態だなと思っている。
うちの大学って、変態しかいないんだな。変態大学だ。
結衣ちゃんは、私にとって、圧倒的に特別な人だ。
はじめて、好きになれた人だった。
結衣ちゃんが男の子だったら、誰にも取られたくないから、すぐにでも告白して、拝み倒してでも、彼女にしてもらうのになあ。
結衣ちゃんは女の子だから、ずっといっしょにいることは許されない。
いちばん近くに居続けることは、許されないんだ。
◇
シャワーを浴びて、いつものように布団の上でごろごろする。
結衣ちゃんからもらった、すぐにバッテリーが切れるスマホで、お父さんの生存を確認するため、今日の晩御飯といっしょに撮った自撮りを送ってみたりする。
しばらくすると、反応があって、生きているとわかる。
結衣ちゃんが、シャワーから出てきて、私の部屋にやってくる。
我が物顔で、座卓の脇に腰を下ろして、畳の上でストレッチをはじめる。
私は、結衣ちゃんの吐息に耳を澄ましてみる。
彼氏のやつ、許せねえよなあという気持ちがわきあがってくる。
「結衣ちゃんさ。彼氏さんとはどう? うまくいってる?」
結衣ちゃんは、ストレッチをやめると、笑いながら言う。
「え、どうしたの、急に」
「あんまり教えてくれないから、どうなのかなって」
「ああ」
結衣ちゃんは、ストレッチを再開して、私をじらしてくる。
私にも言えないようなことを、なにかしているのかと思っていると、結衣ちゃんは、ぼそっと「別れちゃった」とつぶやいた。
私は思わず、身体を起こす。
こういう場合、理由を訊ねていいものかわからなくて、魚みたいに口をぱくぱくさせてしまった。
私の顔を見て、結衣ちゃんが声をだして笑った。
「もう別れて、2か月くらい経つけどね」
「え、言ってよ」
おしゃべりな結衣ちゃんにしては、黙っている時間が長すぎる。
「気づかなかった?」
「いつ彼氏さんと遊んでるんだろうなとは思ってた」
それを聞いて、結衣ちゃんが、けらけらと笑った。
「いつも玲香といっしょにいるからね」
「私のせいとかじゃないよね?」
私とばっかりいっしょにいるから、嫉妬されたとか。
そんなのじゃなきゃいいんだけど。
結衣ちゃんは、悪い顔をして笑いかけてきた。
「どうだろうねえ」
私が反応に困っていると、結衣ちゃんは体育座りになって、膝を抱えた。
「時間も経って、気持ちが整理されてくると、別れるべくして別れたのかなって、いまは思うかな」
運命ってことを言いたいのかな。
「振られたのは私のほうだから、ぜんぶ、自業自得だけどね」
「結衣ちゃんに原因があるってこと?」
私が首を傾げていると、結衣ちゃんがにやっとしながら言う。
「私の浮気が原因」
「うそでしょ!?」
私は驚いて声をあげた。
結衣ちゃん、あなたそんな清純そうな顔して浮気なんて。
「なんなら、ベッドの上でもその人のことばっかり考えてた」
「えぇ……」
困惑する私をよそに、結衣ちゃんはがははっと下品に笑った。
そんなの、えっち漫画の世界でしか許されないでしょうよ。
あまりの衝撃に声もでない私に、結衣ちゃんが微笑みかけてくる。
「おかげで、一時の気の迷いではなく、ほんとうに私ってそうなんだって確信できた」
私は言うべきことを言う。
「あのね、結衣ちゃん。いい話みたいに言ってるけど、浮気はだめでしょ!」
「はい。もう二度としません」
結衣ちゃんは素直にそう約束してくれた。
なんだか、照れくさそうな顔が、小悪魔的だった。
「彼氏には悪かったなって、いまとなっては思うかな。向こうから告白されて付き合いはじめたわけだけど、あのとき、私にはほかに好きな人がいるからって、自分の気持ちに正直にそう言えたらよかった」
それって浮気相手のことを言っているんだよね。
結衣ちゃんのほんとうに好きな人。
「ほかに好きな人がいるの?」
私はどうしても気になって、訊ねてしまう。
「どうなんだろうねえ」
笑ってはぐらかしてきた。
結衣ちゃんと、こういう恋バナみたいなのするの、はじめてだから、どこまで切り込んでいいのかわからない。
そんな私に構わず、結衣ちゃんは続ける。
「男性を知らないだけなんだって思い込もうとしたけど、そんなことなかった。彼氏がいても、どんどん好きになっていくし、愛があふれて止まらないし、なんかもう、自分に嘘つけなくなっちゃってたんだよね」
結衣ちゃんは、女の子を好きになってしまった話をしているのかなと、私はそう思いながら聞いていた。
「それを見透かされて、彼氏には振られちゃったってことになるのかな」
結衣ちゃんの言う「浮気相手」って、もしかして、私のことなんじゃないかな。
私は結衣ちゃんの愛情をいつも感じているし、それって、そういうことだよね。
そう思うと、急にどきどきしてくる。
じっと見つめていると、結衣ちゃんが、にこっと笑う。
胸が苦しくて、顔を見ていられなくなる。
私は寝転がって、枕を抱えてばたばたと暴れ回った。
この興奮を発散せずにはいられなかった。
結衣ちゃんの笑い声が心地いい。
私のことを好きっていうのは、素敵な勘違いかもしれないけれど、いま、結衣ちゃんに彼氏がいないのは事実だから、堂々と結衣ちゃんを独り占めできるんだ。
なんて、気分がいいんだろう。
「玲香、最近ノーブラじゃなくなったね」
「おっと、見えてたかな。えっちなんだから、結衣ちゃんは」
「おまえさんが強制的に見せてくるんでしょうが」
私はTシャツを手で押さえながら、自分の変態行為を、笑ってごまかしてやる。
「お金に余裕ができたからさ。妹ちゃんのおすすめを仕入れたんだよ。これはあんまり不快感なくていい」
「へー。どんなのか見せてよ」
「変態だね、結衣ちゃんって」
私は布団をかぶった。
結衣ちゃんという人は、そう言われても、まんざらでもない顔で笑っているし、油断ならない。
それはもう、完全に変態の台詞なのよ。
「だいたいね、お洗濯はふたり分を交代制でやっているんだから、お互いなに着てるとか知ってるでしょうよ。なんか、プライバシーの侵害っぽいから、言わないだけで」
私だって、結衣ちゃんの下着とか、ぜんぶ、把握してるからね。
暖色が好きなんだなあとか。
明るい色のほうが、気持ちあがるのかなあとか。
彼氏ができてから、バリエーションが増えたなあとか。
子どもみてえなのはいてたくせに、えっちなやつ着けるようになったじゃねえかとか。
なんでも知ってるんだから。
共同生活って、個人情報、だだ漏れなんだから。
「わかってないねえ、玲香」
結衣ちゃんは、体育座りを崩して、にやにや顔で私を見つめてきた。
「着てるところを見たいんじゃない」
この変態めと思いながらも、私はにやりと笑った。
「着てなきゃ、ただの布、だもんね」
私たちは、お互いを指さして笑いあった。
「私さ、かわいい服とか、好きなんだよね。髪の毛とかも、ほんとはセルフカットじゃなくて、美容師のやつにやってもらいたいくらい」
いままでは、お金がもったいなくて、そういうのできなかった。
「そうだったんだねえ。私、失敗したときの断捨離ボブの玲香、実はめっちゃ好きだったよ。玲香が失敗って評価を下していたから、はっきりとそうは言えなかったけど。あれ、かわいくて好きだった」
思わぬ告白に、私は笑った。
大学時代に断捨離したのは、一度だけだったかな。
お母さんのことでメンタルにきてたときに、手元が狂って失敗したせいだ。
わけわかんなくなって、ばっさりやってやった。
どうせまた、生えてくるからね。
「私の行ってる美容室、今度いっしょに行ってみる?」
「そうだね、そのうち」
「そのうち?」
「大学が忙しいからさ。いまは我慢する」
「やっぱえらいね、玲香って。自己管理が徹底してる。私も見習わなきゃっていつも思ってる」
お母さんの血を引いてる自覚あるから、欲に溺れて失敗しないように気をつけないといけないんだ。
お父さんはちゃんとしてるけどね。
「これから、就活もはじまるもんね」
「そうなんだよ。その後は卒業研究もあるから、忙しくなるよって脅されてる」
「あの『ガリ勉くそ眼鏡』ね」
実際に、ここからの私の大学生活は忙しかった。
バイト減らせていなかったら、とても対応できなかったなと思った。
それでも、結衣ちゃんがいたから、毎日が華やかだった。
やがて来る、お別れの日まで、大切にふたりの時間を過ごそうと、私は考えていた。




