第88話 大学三年生 夏9 yui
結衣 yui
駅に着いた頃には、帰りの電車はなくなってしまっていた。
私と玲香は、始発が動き出すまで、カラオケBOXで過ごすことにした。
「カラオケってはじめて来た」
玲香は物珍しそうに、カラオケの機械を見たり触ったりしていた。
「知ってる歌、なにかある?」
私が訊ねると、玲香は中学時代に合唱コンクールで歌った曲くらいならわかると言うので、試しに入れてみて、戯れに歌わせてみた。
「え、かわいい」
普段の声もかわいいけど、歌声はもっとかわいくて、私はこの生き物をなで回したくてしょうがなかった。
玲香はちょっと恥ずかしそうに歌っていた。
「結衣ちゃんも、なんか歌ってよ」
リクエストされた私は、友だちとカラオケに行ったときによく歌う高校時代に流行った曲を歌ってみせた。
「上手だね」
という感想が返ってきて、なんかもっと気の利いた感想はないのかよと思うなどした。
一曲ずつ歌い終えたら、どっちからともなく、あくびが出て、私たちはそのまま肩を寄せ合って、ソファーの上で座ったまま眠った。
◇
翌朝。
新幹線に乗って、東京に帰る玲香を見送る。
「給料日まで、お金ないしさ。お父さんに会いに行くのは月末にする」
玲香はそう言って、帰っていった。
私は旅行先に合流するため、在来線に乗った。
お昼のアクティビティを楽しんで、これから温泉旅館に向かうというみんなに拾ってもらえた。
寝不足で疲れていたので、車の中でいつの間にか眠ってしまった。
隣に座っていた圭太くんに起こされて、温泉旅館に到着したことに気がついた。
4泊5日の4泊目。
温泉も4日連続ともなると、ありがたみ薄れるねえとかなんとか話しながら、女5人で温泉に浸かる。
なんとなく、みんなの態度がよそよそしい気がした。
私に気を遣っているような、そんな空気を感じた。
私がいない間に、なにかあったのかな。
それとも、旅行を一度抜け出してしまって、みんなの空気感にもう一度溶け込むことを難しく感じているだけなのかな。
温泉を出たら、いつもの酒盛りがはじまった。
明日は帰るだけとあって、思い残すことのないよう、私たちは思う存分、はしゃぎ回った。
最後まで立っていたのは、私だった。
私はまた、もっと飲めるやつはいねえのかよと文句を言いながら、お水をがぶ飲みして、眠りについた。
◇
最終日の朝。
私は相変わらず、すっきり目が覚めて、なんなら、疲れも取れた気持ちになって、元気だった。
玲香とも連絡が取れるようになっていたし、なんの心配事もなくて、晴れやかな気持ちだった。
みんなは、連日遊び疲れているし、二日酔いも二日酔いで、なんかもう、死んでた。
車中でおしゃべりする元気もなく、みんな車の中で寝ていて、仕方ないので、私は助手席に座って、運転席の男の子とおしゃべりしながら、東京へ帰った。
家に帰ると、玲香はバイトでいなかったので、私はいつものように晩御飯の仕度をはじめて、彼女の帰りを待つことにした。
待っている間に、圭太くんからLIMEが入っていた。
『話したいことあるんだけどさ。明日会える?』
旅行中に抜け出したり、玲香のことで相談に乗ってもらったり、いろいろ圭太くんには迷惑をかけてしまったから、その埋め合わせにはちょうどいいなと思った。
『私も会いたい』
玲香に共有してもらっているシフト表を確認してみる。
明日は、お昼にバイトがあるみたいだ。
『昼間なら何時でも大丈夫』
と送ると、すぐに、
『何時でもいいから、うちまで来て』
と返信があった。
圭太くんの様子がおかしいことには、気がつかなかった。
◇
朝、バイト先に向かう玲香を見送ってから、私は家を出て、電車に乗り、大学の近くにある圭太くんの家へと向かう。
11階建ての、学生向けの賃貸マンションだ。
オートロックはない。
いつものように、502号室の前に立ち、インターホンを鳴らす。
普段なら笑顔で出迎えてくれる圭太くんが、真顔だった。
部屋に入り、いつもそうするように、ソファーに腰かける。
いつもだったら、隣に座って、なんなら、無言で乳を揉んできたりする圭太くんが、この日に限って、ベッドに腰かけて、私と正面から向き合ってきた。
まじめな話をする気配だけを感じた。
おそるおそる、私から切り出した。
「話したいことって?」
圭太くんは、まじめな顔のまま、私に問いかける。
「同居人と、別れてもらうことってできない?」
「それはできない」
私は即答した。
心臓が早鐘を打ちはじめる。
どうして、そんなことを言われなければならないのかという怒りもある。
一方で、そう言われても仕方ないかなという思いもあった。
この人は、優先順位のいちばん上に、自分が置かれないことに強い不満を感じていると知っていたから。
「結衣とその人の関係って、普通じゃないと思うんだよね」
「普通じゃないってどういうこと?」
言いながらも、普通じゃない自覚はあった。
私は玲香のことを特別な人だと認識していたから。
ただ、それがどうして圭太くんの不満に繋がるのかが、いつも共感できなかった。
「普通さ。彼氏より友だちを優先するってなくないか? 俺は友だちよりも、結衣が優先だよ」
またその話かと、私は思ってしまった。
「旅行を抜け出してまで、会いに行くほどとは思わなかったから。正直引いたわ、俺」
「それは、みんなにもごめんって。心配だったんだよ。なにかあったんじゃないかって」
「それは知ってる」
圭太くんは、私の気持ちを理解して、背中を押してくれたものだと思っていた。
それがうれしくもあった。
そんな、あきらめ、みたいな感情だったとは知りたくなかった。
「今日、昼しか会えないのも、同居人に晩御飯を作るからなんでしょ?」
「え、それのなにがいけないの?」
私は開き直った。
玲香が絡むと喧嘩になるのは百も承知だ。
だけど、玲香との時間を誰にも奪わせるつもりなんてない。
なんなら、玲香は夜遅くまで帰らないんだから、今日一日をいっしょに過ごす時間で言ったら、あなたのほうが長くなるはず。
それのなにが悪いのか、むしろ教えてほしいくらいだと、そういう気持ちだった。
圭太くんは、心底うんざりしたという顔をした。
どうして、そんな顔をされなければならないのかと、私は苛立ちを覚えた。
私たちは、いつも、玲香のことになると、噛み合わなかった。
「結衣ってさ。世渡り上手と言えば聞こえがいいけど、きょろきょろし過ぎで、自分がないんだよね」
急に人格批判がはじまって、私は言葉に詰まった。
他人に対して、そういうことを言う人ではないと、勝手にそう思っていたから。
「そういうの、直したほうがいいとずっと思ってたわ」
「そっか」
自分がない、か。
私という存在は、世間に埋もれて透明で、この性格を直さなければ、いないのといっしょみたいなものなんだ。
知り合ってから、もうすぐ一年になろうとしている。
この人は、それだけの時間、私と付き合ってきたくせに、私をちっとも見つけてくれなかったんだ。
急に馬鹿らしくなってきた。
「三上玲香って人との同居だって、友だちに誘われたからって、どうせ相手の顔色うかがって、流されてやってるだけなんでしょ」
私は汚い言葉が出そうになって、黙り込む。
なにも言えずに睨みつけていると、圭太くんは眉をひそめながら、畳み掛けてくる。
「いつまでもそんなことやってないで、もっと自己主張したらどうなの? 彼氏と予定あるから、ご飯はひとりで食べてって言うだけじゃん。それさえも言えない関係っておかしいよ。相手のほうが年上だからって、なんか脅されてるとか、びびってるとか、そういうわけじゃないんでしょ?」
好きだからいっしょにいたいと思うことの、なにがいけないの。
いっしょにいられるのは、いまだけなのに。
大学を卒業したら、嫌でもお別れしないといけなくなるのに。
女の子同士だから、いっしょに暮らすことなんて、いずれはできなくなってしまうのに。
口には出せない言葉を、頭の中で考えていたら、涙がぼろぼろこぼれてしまった。
「ごめん、言い過ぎた」
私が泣くと、圭太くんは途端に矛を収めた。
なんだか、それさえも、許せない気持ちだった。
「あなたのことなんて、これっぽっちも考えてないです」
私は鞄を握りしめて、ソファーから立ちあがった。
「この涙は、あなたのものなんかじゃない」
意味わかんないって顔をされたけど、私は無視して部屋を飛び出した。
帰りの電車の中で、もう別れようってLIMEを送ろうとした。
『もう限界だね』
って、向こうから先にメッセージがきてた。
『私もそう思う』
そう短く返す。
最寄り駅に着く頃、また着信があった。
改札を出てから確認する。
『友だちに戻ろう』
ため息しかでなかった。
友だちなんかじゃなかったでしょ。
これまでも、この先も。
『それがいいと思う』
こういうのを、自分がないと呼ぶのなら、自分なんかなくてもいい。
私はただ、あなたを傷つけたくなかっただけだ。
それさえ伝わらない人とは、どうせやっていけない。
友だちの中で、誰よりも遅く、ようやく彼氏ができたくせに、誰よりも先に破局を迎えた。
私と圭太くんの関係は、一年、もたなかった。
私らしい、ぱっとしない結末だなと思った。
最初は器用で楽しいけれど、すぐ伸び悩んで壁にぶつかって、無惨な敗者として散ってゆく。
そういう人生なんだ。
今回もまた、同じだった。




