第85話 大学三年生 夏6 yui
結衣 yui
同居人のことが心配だから、旅行を抜け出すと言って、誰にもいい顔をされるわけがないことはわかっていた。
いきなり、みんなの前で言うのではなく、圭太くんを呼び出して、まずは相談した。
圭太くんは私を引き留めはしなかった。
「そんなに心配なら、行ってきたら」
と、背中を押してくれた。
やさしくされると、かえって心苦しくなる思いだった。
どうせ街に出るからと、みんなは車で私を近くの駅まで送ってくれた。
これから遊びに行くみんなとは別れ、在来線を乗り継いで、玲香の地元の田舎町へと向かう。
相変わらず、連絡はつかない。
おそらく、電源を切られている。
玲香に譲った私の古いスマホは、バッテリーの劣化が著しい。
玲香はこまめに充電しないから、しょっちゅうバッテリーが切れてる。
「私に連絡してくる人なんて、結衣ちゃんか詐欺師のどっちかだからさ」
玲香はそんなことを笑いながら話す。
実際、詐欺師を除けば、お母さん以外の人と電話で話しているのは見たことがない。
お母さんとの連絡を断ちたいのかな。
それとも、私?
そんなことを考えながら、私は電車に揺られていた。
◇
地元に帰っているらしい、三上玲香という人がどこにいるのか。
心当たりは彼女の実家くらいしかなかった。
あの駅を降りて、幹線道路を歩く。
旅行を抜け出してきた私は、あのときみたいに、またスーツケースを引き摺っている。
ふたりでおしゃべりしながら歩くと、あっという間に感じた道のり。
ひとりで歩くと、スーツケースをコインロッカーに預けてくればよかったと後悔した。
幹線道路から脇道に入ると、途中で道がわからなくなった。
スマホのナビを頼りに、公営住宅を目指す。
日が傾きはじめた頃、ようやく彼女の実家にたどり着いた。
玲香の部屋があった、玄関脇の窓には、明かりはついていない。
ご両親は仕事に出ているだろうから、誰かがいるとすれば、玲香が出てくるものと思ってインターホンを押した。
玄関のドアが開いた。
出てきた男と目が合って、私はたじろいだ。
あの日の光景がフラッシュバックしてくる。
水槽を見ていたこの人が振り向いた、あの瞬間が。
「どちらさんですか?」
男が訊ねてくる。
その息から、アルコールの臭いがする。
私のことは、覚えていないみたいだ。
「あの、私、玲香の」
私はびくびくしながら、言葉を返す。
「玲香なら、東京の大学に通っていますよ」
「そうなんですね。お邪魔いたしました」
私が頭を下げると、玄関のドアが閉まった。
私は大きく息を吐いた。
彼女がここに来ていないということだけは、わかった。
◇
スーツケースを引き摺りながら、田舎町を歩く。
あの日、玲香に連れられて歩いた道をたどりながら。
土手を迂回して、河にかかる大きな橋のところまで出てきた。
自動車が行き交う橋の上から、景色を眺めてみる。
歩道には、ときどき、人や自転車が通り過ぎていくけど、玲香の姿はない。
ここから欄干を乗り越えて、下に落ちたら、間違いなく死ねるなと思う。
電車の中で、ここ数日のニュースを調べたけれど、そんな事件や事故は報道されていない。
のどかで自然豊かで、ほんとうにいい景色だなと、改めて思う。
高校時代、玲香が働いていたコンビニ。
ここにも、彼女はいなかった。
日が暮れはじめていた。
行くあてがなくなってしまった私は、また、彼女の実家の公営住宅に戻ってきた。
誰もいない公園のベンチに腰かけて、考えてみる。
ふらっと、玲香が現れたりしないかな。
そんなわけないか。
『会いたいよ』
そんなメッセージを送ってみても、反応はない。
私はここで、玲香のお母さんが現れるのを、待ってみることにした。
母親なら、きっとなにか知っていることがあるだろうと、考えたからだ。
◇
「すみません」
日が落ちた頃、玲香のお母さんが現れたので、私はそう呼び止めた。
こちらを振り返った顔に、かすかに三上玲香の面影を感じた。
「なんですか」
私のことは、覚えていないようだった。
改めて自己紹介をすると、思い当たってくれたようだった。
「あら、ずいぶん雰囲気が変わったみたいで」
妙に照れくさくなって、私は会釈を返す。
「玲香なら来ていないですよ。連絡もないですし」
地元に帰った目的は、この人ではなかったか。
「どこか、玲香が行きそうなところに、心当たりはないでしょうか」
「行方がわからないんですか?」
心配そうというよりは、怪訝な表情で、玲香のお母さんは訊ねてくる。
「はい」
私は素直にそう答える。
「警察に連絡しようかしら」
「あ、いや、事件性があるというわけでは」
「ああ、そうなの」
なんか、この人との会話、難しいな。
「玲香がよく足を運んでいた場所とか」
玲香のお母さんは考える仕草を見せてくれるけれど、思いつかない様子だった。
「家族の思い出の場所とか」
私がそう付け加えると、玲香のお母さんが口を開いた。
「うち、家族で出かけたりとかしない家なのよねえ」
なんて言ったらいいのか、わからないでいると、
「私、そろそろ仕事に行かないといけないから」
そう言って、玲香のお母さんが立ち去ろうとする。
「ありがとうございました」
あきらめて頭を下げると、急に思い出したように玲香のお母さんが言う。
「そういえば、海を見に行ったことならあるわ」
そのとき、あの声が聞こえた気がした。
『海を見るのは好きだよ』
私にそう言った、レイくんの声が、確かに聞こえた気がした。




