第84話 大学三年生 夏5 yui
結衣 yui
ばたばたと温泉を出て、スマホを開くと、玲香は見つかっていないようだった。
おとんくんにお礼を伝えて、自分で連絡をしてみるが、繋がらない。
部屋に戻ると、昨夜と同じように男女9人で食卓を囲んだ。
酒盛りがはじまって、みんなは盛り上がっている。
昨夜はあんなに楽しかったのに、今夜は嘘みたいに他人事のように感じている。
三上玲香という人の居場所がわからないなんてことあるか。
休み中の玲香なんて、家とバイト先の往復しか見たことないし。
誰かと遊びに行ったり、ひとりで出かけたりするとは考えにくいんだけど。
みんなの酔いも回ってきたところで、私は席を立った。
鞄からスマホを取り出して、電話をかけるため、客室を出て旅館の廊下に出る。
LIMEは朝の「おはよう」が未読のまま止まってる。
電話をかけてみても、繋がらない。
胸騒ぎがしてくる。
廊下の壁に背中を預け、左手にスマホを持ち、右手で頭を抱える。
無意識に長い髪の毛先をもてあそんでしまう。
部屋のドアが開いて、圭太くんが出てきた。
そのとき、私がどんな顔をしていたのかはわからないけれど、圭太くんの表情が曇った。
取り繕うのは、無意味かなと思った。
これまでの圭太くんとの関係で、その表情をするのがどういうときか、知っていたから。
「朝からずっと、玲香と連絡つかなくてさ」
表情を曇らせていた圭太くんは、そんな私を見て、やさしい顔になった。
「行きそうな場所に、心当たりとかないの?」
「家とバイト先くらいしか。どっちにもいないみたい。ほんとうは、いまバイト先にいるはずの時間なんだけど」
圭太くんは、真剣に考える仕草を見せてから言う。
「バイト先に連絡してみたら?」
率直に、その手があったかと思った。
私は急いで、お店の連絡先を調べはじめる。
「無断欠勤でもなきゃ、なにか休む理由くらい伝えてるだろう」
圭太くんが隣に来て、私のスマホを覗き込みながら続ける。
「個人情報だし、教えてくれるかわかんないけどね」
「ん。ありがとう。まずはやってみる」
お店の番号にかけると、女性の声がした。
「あの、私、そちらでバイトしている三上玲香の同居人で、神山結衣と申します」
私が自己紹介すると、電話口の女性は、独特のイントネーションで、
「ミカミのカノジョ?」
と、訊ねてきた。
「はい」
と、私は即答した。
あいつ、私のこと、お店の人に彼女って紹介しているのか。
「ミカミ、地元帰るってよ」
私が訊ねる前に、その女性は教えてくれた。
「ありがとうございます」
私はそう言って、電話を切った。
「見つかった?」
圭太くんが訊ねてくる。
「行き先だけわかった。たぶん、無事かな」
「そっか。よかったな」
圭太くんに頭をなでられる。
「ありがとう」
私が言うと、圭太くんは私の手を引いて、部屋に戻っていく。
「うわ」
圭太くんが驚いた声をあげた。
扉を開けたら、玄関に綾乃がいて、驚いたみたいだった。
「なに」
綾乃が圭太くんに言う。
「いや、なんでもないけど。なんでそこにいるんだよ」
「飲みすぎたから、外の風でも浴びようと思って」
「そんな飲んでたかあ?」
「うるさい」
ふたりの応酬が終わって、綾乃が外に出ていく。
私は圭太くんと手を繋いだまま、部屋に戻って酒盛りを再開した。
飲みはじめると、綾乃がすぐに戻ってきた。
「はやくね?」
圭太くんがふざけた調子で言うと、
「だめなの?」
と、言いながら、綾乃がテーブルを挟んで、圭太くんの正面に座った。
そこから、ふたりの痴話喧嘩がはじまった。
私はそのやりとりをBGMにしながら、ひとり考えていた。
玲香が地元に帰る理由が思い当たらなかった。
いっしょに生活をはじめてから、私は近いのもあって、しょっちゅう実家に足を運んでいる。
玲香は一度も帰省していない。
「帰省しないの?」
なんて、訊ねたことはもちろんない。
そんなの、訊ねるまでもなく、帰るつもりがないのはわかっている。
お母さんとも、一度は縁を切ろうとしていたくらいだ。
それが、なんでいま帰省するんだ。
お金がなくなったから?
お母さんに会って、なにかをしようとしている?
玲香が激昂して座卓を殴りつけた場面が思い出される。
どんなに情緒がおかしくなったとしても、あの人に限って、人を傷つけるようなことはしないと思うんだけど。
胸騒ぎがしてくる。
不安に襲われる。
『死んどけばよかったかな』
ふいに、玲香の言葉が頭に響いてくる。
死に場所を探して、地元に行こうとしているということは、あり得るだろうか。
たとえば、あの大きな河にかかる橋の上から、身を投げる、とか。
いま、私がいる場所は、玲香の地元から、そう遠くはない。
東京から向かうよりも、ずっと近い。
明日の朝、みんなに謝って、この旅行を抜け出し、私は三上玲香を捜すため、彼女が育ったあの田舎町へと向かうことに決めた。
◇
二日酔いはしんどいだけだから、ほどほどにしようと言い合って、昨日より早くみんなで布団に入った。
さっきまで騒いでいた部屋が急に静かになる。
布団の中で目を閉じると、あの田舎町の風景がまぶたの裏に浮かんでくる。
決して忘れることのできない、私の脳裏に焼きついて離れない、あの風景だ。
駅のロータリーに出たときの異世界感。
駅からまっすぐ伸びる、広い歩道の幹線道路。
大好きなあの人に似た女の子と、私は歩いている。
スーツケースを引き摺ってる。
曇り空に包まれた公営住宅。
公園には誰も遊んでいない。
薄暗い廊下に蜘蛛の巣が張ってる。
真っ暗な家の中からは、ぶーんという機械音だけが聞こえてくる。
大きなテレビと水槽のある部屋。
こたつの上に、千円札が置いてある。
この家では、いつも晩御飯を家族みんなで食べない。
こたつを囲んで、スーパーのお弁当を食べながら、女の子と私は笑っている。
彼女の部屋。
子ども向けの学習机にパソコンが置いてある。
壊れたブラウン管テレビの上に、布団が畳まれて乗せてある。
殺風景な部屋で、私たちはなにもすることがない。
田舎町を女の子とふたり、散歩している。
堤防を登ると、大きな河が見える。
いい景色だなと、私は思う。
女の子がそこで、死にかけた話をする。
「死んでおけばよかった」と、悲しいことを言う。
私は、そんなこと言わないでと思っている。
ファミレスで、私たちは家出の計画を話し合う。
コンビニの店長さんは、たぶん、なんかやってる。
たばことアルコールの臭いが充満する部屋で、私は女の子のご家族と挨拶している。
お母さんは、私に興味がない。
女の子にも、興味がない。
水槽を見ていた男が、笑顔を顔に貼り付けたまま、私を見つめてくる。
こわくなった私は、女の子の部屋から出られなくなる。
暖房のない冷え切った部屋。
ふたりでひとつの布団を分けあって眠る。
女の子の手はあったかい。
私は手を握ってほしいと言えないでいる。
夜が明けると、こたつの上に、また千円札が置いてある。
女の子の話を聞いて、私は悲しい気持ちになっている。
家族といっしょに暮らしているのに、彼女はずっとひとりみたいだった。
新幹線の中で、私はひとり、思いを馳せている。
せめて私だけでも、この子の気持ちに寄り添ってあげたいと、そう思っている。




