第80話 大学三年生 夏1 reika
玲香 reika
7月。
試験期間がはじまると、私はいつものように、おとんくんを捕まえて、毎日家庭教師をお願いし、どうにかこうにか、今回も乗り切ることができた。
バイトばっかりしていて、勉強がおろそかな私は、二年生の途中くらいから、大学の勉強についていけている自信がなくなってた。
必修の単位だけでも死守するため、選択の単位は意図的に落として構わない戦略を採用することもあった。
物理的に無理そうだから、未来の自分に託すことにしたのだ。
私には、時間が足りなかった。
成績なんて「可」ばっかりだし、評定平均が頭の上に表示される世界線だったら、クラスでいちばん低い数字が表示されている可能性が高い。
「院進しないなら、いいんじゃないですか。単位取れればそれで。学位取っちゃえば同じですし。評定平均なんて、その後の人生に、なにか影響あるんですかねえ」
成績表が「優」と「秀」で埋め尽くされている、おとんくんに言われても、説得力あるんだか、ないんだかって感じだった。
興味本位で見せてもらったら、こいつの成績表、なんか画数多いなって思ったもん。
私の成績表を見せたら、げらげら笑いだして、心外にもほどがあったけど。
取り急ぎ、彼なりの励ましだと受け取っておくことにした。
◇
夏休みに入る頃。
この時期、私は毎日、ネットバンキングの画面と、にらめっこしていた。
あと、どれくらいお金があれば、後期の分の授業料と生活費が賄えるのかを計算した。
それなら、何時間働く必要があって、学校がはじまると、このくらいしか働けないから、この夏休みは、どれだけバイトする必要があるのかと、必死に頭を回して計算していた。
四年になると、卒業研究で忙しいって聞くから、夕方バイトできなくなる可能性が高い。
それ以前に、三年生が終わる頃には就活だってある。
就活のためには、交通費とかの諸経費がかかるから、ある程度、余分に用意しておかないといけない。
三年後期は、二年後期に落とした選択科目をもっかいやらないといけないから、勉強する時間だって、余分に確保しておかないと。
そう考えると、やっぱり、いままでの計算じゃだめだ。
そうやって、幾度も幾度も合ってるよねって、頭の中で計算した。
ほかに予測できる出費はないか、頭をひねり続けた。
あれもあった、これもあったって思うたび、再計算が必要になった。
どんどん、必要な労働時間が増えていった。
計算が合っているのか心配で、動かない数字を見つめながら、何度となく計算した。
私の頭はとっくにパンクしたまま、無理やり走っている自転車のごとしだった。
ほとんど、ノイローゼ、みたいだった。
◇
8月。
夏休みに入った。
朝6時から9時までのシフトに出るため、いつものように、すやすや眠っている結衣ちゃんを起こさないよう、そうっと家を出て、早朝のバイトに向かう。
今日は、お昼のシフトには入っていないから、夕方のシフトがはじまる17時まで、いったん家に帰る。
家に着くと、結衣ちゃんが笑顔で出迎えてくれる。
「おはよう、おかえり」
「おはよう、ただいま」
私たちは、ふたつの挨拶を同時に交わしてみせる。
シフト表は共有しているから、私がこの時間に帰ってくることは、結衣ちゃんもわかっているのだ。
夕方のシフトに出勤するまで、7時間くらい結衣ちゃんといっしょに過ごせるんだ。
贅沢な一日だなあと、私は思う。
学校がある期間は、こうはいかない。
夏休みって、いいな。
結衣ちゃんが、お昼ご飯を作るために、キッチンに立つ姿を、私は自分の部屋の畳の上に、足を崩して座りながら、にやにやと鑑賞していた。
「結衣ちゃん、『眼福』って言葉、知ってる?」
「『耳が幸せ』の眼球バージョン?」
包丁を握り、肉を切り刻みながら、眼球とか言うので、私はホラーみを感じてくる。
「トントンと、肉が、悲鳴をあげているね」
「いや、これ死骸だし。悲鳴をあげられるような組織は、残ってないから」
「おいしいとこ取りだ」
「これから、おいしく、なるんだよ」
結衣ちゃんは、にやにやしながら、お料理を続けている。
私も、にやにやしながら、結衣ちゃんの姿を、この目に焼きつけている。
髪型こそ、美容師のやつに、都会のお姉さん風にアレンジされているけど、眼鏡にノーメイクのお家モードの結衣ちゃんは、ほんのり文学少女みが、まだあるなあ。
彼女が18歳のときに東京駅で出会って、もう21歳になろうとしている。
文学少女スタイルの結衣ちゃん、とっても似合ってて、よかったんだけどな。
部屋着のジャージに、エプロン姿で、長い髪をまとめた結衣ちゃんも、若妻感があって、えっちだなあ。
冷蔵庫と調理台を、身体を回転させながら行き来するとき、和室にいる私と目が合って、結衣ちゃんは、にこっと笑う。
むらむらするじゃねえかと言いたくなったとき、電話が鳴った。
穏やかな時間は、終わりを告げ、世界が音を立てて、崩れ落ちたのだった。




