第73話 大学二年生 夏6 reika
玲香 reika
知らない家の、知らない布団の上だと、なかなか寝つけない。
おばあちゃんの家の二階で、お母さんと並んで寝ていた私は、眠れなくて、夜中、トイレに立った。
一階に下りていくと、居間の明かりがついていた。
つけっぱなしは、電気代がかかってよくない。
だから、電気を消そうと、私は居間に入っていった。
おばあちゃんが、ダイニングテーブルのところに座っていた。
なにか、書類をぱらぱらとめくってた。
私に気がつくと、老眼鏡を持ちあげて、ふうっと息を吐いた。
「寝れないなら、お茶でも飲むか?」
もっと寝れなくなりそうと思いつつ、私は頷いて、おばあちゃんの正面に座った。
おばあちゃんは、たぶん、自分が飲んでいたであろう、空になった湯呑みに、テーブルに置いてあった急須から緑茶を注いで、私にすーっとすべらせるようにして、差し出してきた。
横着する人だなあと、私は思った。
湯気が出ていないから、冷めているんだろうなと思って、口をつけると、ぬるくもない冷えきったお茶が、口の中に流れ込んできた。
「おいしいね、おばあちゃん」
おばあちゃんは、ふっと笑うと、
「そんなわけあるかい」
と、言ってのけた。
なんてものを飲ませるんだと思いながら、私は笑った。
「ただの、水分だよ」
おばあちゃんは、さらに追撃してくる。
私は、げらげらと笑った。
「あんたのお母さんの、子どもの頃に似てるね、その顔」
私は瞬時に、真顔にさせられた。
おばあちゃんは、老眼鏡に加えて、虫眼鏡も使って、書類をじろじろと眺めている。
たまに、はっとさせられる文言が見つかるのか、顔をあげて、書類から距離を取って、目を細めながら、なにかを読んでいる。
「おもしろいの? それ」
私は訊ねてみる。
「仕事だよ」
質問の答えにはなっていなかった。
なんの仕事かは、わからなかった。
お母さんがよく働くのは、この人の遺伝なのかなと、私は思った。
「あの子も、藤原さんの、なにがそんなに、気に入らなかったんだろうねえ」
おばあちゃんが、世間話のようにつぶやく。
離婚調停中だった、ほんのいっとき、いっしょに暮らしていた私と、いまでも同居しているかのような、そんな気安さが感じられた。
私はおばあちゃんのこと、ほとんど覚えていなかったのに。
もっと、こわい人っていう、イメージがあった。
どうしてなのか、目の前の人を見ても、思い出せない。
「おばあちゃんさ。教えてあげようか」
私は、お父さんとお母さんの離婚の真相を知っているという自信がある。
雑談くらいのつもりで、私はそう訊ねたのだった。
「なんか知ってるのか?」
おばあちゃんが、虫眼鏡を置き、書類を読む手を止めて、興味深そうに私の顔を見た。
「お母さんね。借金あるんだよ」
一瞬にして、おばあちゃんが眉をひそめた。
私は、にやりとした。
ひみつを共有する、そんな、おもしろみがあった。
「お父さんと住んでた頃から」
おばあちゃんは、黙って聞いていた。
「ギャンブル好きだったからね、あの人。それで、お父さんも、この人にはついていけないと思ったんじゃないかな」
お父さんとは、離婚調停が終わってから、会っていないから、ほんとうのところは、わからないけれど。
私なら、いやだ。
三上さんは、お母さんといっしょになって、ギャンブルしてたから、たぶん、気が合ったんだろうな、あのふたり。
「おまえ、よく知っているんだね」
おばあちゃんが、感心したように言う。
「おばあちゃん、私があの人と、何年、いっしょに暮らしたと思ってるの?」
私は得意げに言う。
なんなら、あの人に、お金貸してるし。
私だって債権者のひとりなんだから。
「あたしのほうが長いんだよ!」
おばあちゃんは、怒った顔で、私に言い放った。
お母さんに対して、腹に据えかねているみたいだった。
こういう、急に怒鳴るところを、子どもながらに、こわいと思っていたのかもしれない。
私は冷たいお茶を飲み干し、逃げるように部屋へ戻った。
◇
告別式が終わり、火葬場へ移動して、おじいちゃんは骨になった。
「これが、喉仏、なんですねえ」
見せたがりの男が、おじいちゃんの骨を、本人の許可もなく、みせびらかしてくる。
「入り切らないので、失礼いたしますねえ」
そう言って、骨を粉砕しながら、骨壺に詰め込んでいた。
すべての行事が終わると、解散となり、おばあちゃんとお母さん、そのお姉さんだけが残っていた。
「あんたはもう帰っていいわよ」
「はい」
いきなり帰れと言われても、足がないからどうやって帰ればいいのか、とは思った。
それでも、ここにいたくないから、ひとまず外に出て考えることにした。
スマホのナビを使って、近くの駅まで歩き、私は自分の家へと帰っていった。
◇
日が沈みかけた頃、家に着くと、結衣ちゃんがインターンシップから帰ってきていた。
妹ちゃんの喪服を着ている私を見て、笑っていた。
結衣ちゃんは、私の姿をスマホで写真に撮って、家族LIMEに共有していた。
借り物だから、丁寧に脱いで畳んで、結衣ちゃんにお返しして、いつもの部屋着に着替えた。
晩御飯のとき。
私が結衣ちゃんの作った焼きそばをもぐもぐやっていると、結衣ちゃんは、急にもじもじしはじめた。
なにか言いたいことがありそうな雰囲気を醸しだしていた。
私は、おもしろいから泳がせておこうと思った。
あのおしゃべりな結衣ちゃんが、そのまま、食べ終わるまで黙っていた。
ときどき、タイミングを見計らって声を出そうと、口をぱくぱくするけど、私が目を逸らして食べ物に夢中なそぶりを見せると、「あっ」とか言って黙った。
洗い物をしているときも、なんか、私の近くを、うろうろしてた。
私は知らんぷりをするために、クォンちゃんが口ずさむ歌を真似してみせる。
外国語の歌なので、なに言ってるのかは、私にもわからない。
「シャワー浴びようかな」
「あ、お先どうぞ」
なにか言いたくて、そわそわしている結衣ちゃんが、久しぶりに言葉を発した。
私は無慈悲に、シャワーを浴びに行ってみせる。
「結衣ちゃんも入りな」
シャワーから出た私は、部屋で正座している結衣ちゃんに声をかけた。
「はい」
結衣ちゃんは、なにか言うのをあきらめて、シャワーに向かった。
まだ、泳ぎますか。
さすが、水泳やってただけあるなと、私は感心した。
私はいつものように、寝る仕度を済ませたら、布団の上に横たわる。
明日のシフトを、スマホの予定表で確認しておく。
シャワーから出てきた結衣ちゃんは、いつもどおり、まるで自分の部屋みたいに、私の部屋に入ってきて、畳に腰を下ろす。
シャンプーのいい香りが、結衣ちゃんの長い髪から、ふわっと漂ってくる。
今日はストレッチしないのかな、と体育座りの結衣ちゃんを見たとき、目が合った。
結衣ちゃんが、ここだという顔をした。
「玲香。私、伝えたいことがあるんだけど」
「はい」
私は、期待に胸を膨らませた。
じらしていたのは、私だけど、じらされていたのもまた、私だったようだ。
「彼氏、できた」
私は布団から飛び起きて、体育座りの結衣ちゃんを見つめた。
お風呂あがりの結衣ちゃんは、照れくさそうに、体育座りの足をばたつかせていた。




