第72話 大学二年生 夏5 reika
玲香 reika
「ああ、お母さん。これから、電車乗るとこだから」
私はスマホの通話を切って、電車に乗り込む。
9月。
私は、お母さんの実家へ向かっていた。
お盆休みに結衣ちゃん家の家族旅行に参加した私は、お酒も入って、とんでもない醜態をさらしてしまったけれど、結衣ちゃんのおかげで、持ち直すことができた。
家に帰ってくると、手紙が届いていた。
差出人の名前を見るまでもなく、筆跡でお母さんだとわかった。
私と連絡がつかないことに、ようやく気がついたみたいで、大学に連絡したのか、あるいは、私がなんらかの情報を残していたのか、この住所を割り出して、手紙を送ってきたみたいだった。
「おじいちゃんが、危篤だって書いてある」
なんの手紙なのか、訝しがる結衣ちゃんに、私は手短に伝えた。
「たぶん、お葬式をやることになるから、おばあちゃんの家に集まる準備をしておくように書いてある」
手紙には、お母さんの電話番号も書かれていた。
私は行きたくなかった。
お母さんにも、お母さんの親戚の人にも、会いたくなかった。
おばあちゃんは、気難しい人だと認識していた。
お父さんとの離婚調停中に、お母さんとふたり、おばあちゃんの家でいっしょに暮らしたことがある。
もう当時のことは、あんまり覚えていないけれど、おじいちゃんも、おばあちゃんも、こわかった印象があった。
「お葬式は行ったほうがいいよ」
「行きたくないなあ」
「行かなきゃだめだよ」
結衣ちゃんは珍しく、強い調子で言う。
「バイト休まなきゃいけなくなるし」
「それでも、行かないとだめ」
和室の座卓を挟んで、結衣ちゃんとしばらく見つめ合う。
見逃してくれないものかと、私は目で合図を送ってみる。
結衣ちゃんは、まじめな顔で言う。
「人間の評価というものはね」
なんか、壮大なことを言いはじめた。
「最終的には、『お葬式に来てくれた人』、『お葬式に来てくれなかった人』、このふたつに分かれるんだよ」
「はい」
結衣ちゃんは、説き伏せるように続ける。
「いい? 玲香。それまでの点数なんて、ぜーんぶ、無意味なの」
「えぇ」
じゃあ、それまでの点数ってなに、と私は思う。
「『お葬式に来てくれなかった人』は、自動的に、マイナス100点になるわけ。それまでが、プラス100万点だったとしてもね」
「加算じゃなくて、上書き保存ってこと?」
結衣ちゃんは、首を縦に振って続ける。
「人の評価は原則として、マイナス評価の場合は上書きよ。プラス評価は加算だけどね。要するに、コツコツドカンなわけ。最後になにが起きたのかが、いつだって重要なの。最後に起きた出来事で、マイナス評価を得ると、それまでの加点は無意味になってしまうわ」
そんなのひどいと思って、私は食ってかかる。
「それって、理不尽じゃない?」
「真理よ」
結衣ちゃんはきっぱりと言う。
「そして、人生最後のイベントが、お葬式ってわけ」
「そこで、最終評価が決まるんだね」
結衣ちゃんは、いつだって、常識に詳しい。
私は納得させられた。
「結衣ちゃん」
「なに」
「私、お葬式、行くよ。ううん。評価を、勝ち取りに行く」
私はまんまと乗せられて、お葬式に行くことになったのだ。
「あ、でも、着ていく服がない」
喪服とか、持ってなかった。
「妹にあげた私のお下がり、実家から持ってきて貸してあげる。あいつが中学の頃に着てたのだから、玲香ならサイズ、ぴったりだと思う」
妹ちゃんに、旅行中に交換したLIMEで直接、お礼を伝えると、かわいいスタンプを送り返してくれた。
◇
お葬式は、大きな会場を借りて行われた。
おじいちゃんは、その昔、お兄さんといっしょに会社を興した人だったみたいで、その会社の従業員の人たちが、受付なんかの仕事を任されていた。
親戚の人たちは、お母さんに誰も寄ってこなかった。
お母さんも、誰とも目を合わせなかった。
お母さんが、ひとりになってしまうので、私はお母さんの横をついてまわった。
お母さんとも、特に話すことはないので、黙ったままでいた。
妹ちゃんに借りた服は、ほんとうにぴったりだった。
なんか、結衣ちゃんのお家の匂いがして、ほっとさせられた。
結衣ちゃんに、抱きしめられている、みたいだった。
会社の人たちは、私たちのことなど知らないので、気ままに雑談したりできた。
おじいちゃんが会社を興したのは昔の話だから、会社の若い人はみんな、おじいちゃんのことを知らないみたいだった。
「玲香ちゃん?」
お通夜が終わり、お食事をいただいた後、お母さんがトイレに立ったとき、ひとりで座っていると、知らないおばさんに話しかけられた。
「おばちゃんのこと、覚えてない? お母さんのお姉さん」
「あ」
顔とか、まったく覚えていないけど、近所に住んでいるお母さんのお姉さんの家に、小さい頃、よく出入りしていたのは覚えている。
「玲香ちゃんを連れて、不倫相手のところに、夜逃げみたいに出ていったから、心配してたのよ」
お母さんは、私が7歳のとき、一度、私とお父さんを捨てていなくなった。
連れ戻されてきたらしいお母さんは、お父さんと離婚することになった。
お母さんは、離婚調停が終わった後、私を連れて新幹線に乗り、あの町へ向かった。
あの日、お母さんに言われた言葉が、頭に響いてくる。
『お父さんも、お母さんも、あんたを引き取りたくなかったけど、かわいそうだと思ったから、私が引き取ることにしたわ。だから、ちゃんと、私の言うことを聞きなさいね』
お母さんは、他人に対しては、つまらない嘘ばかりつく。
三上さんに対してだって、そう。
なんなら、離婚歴なんてないものと、吹聴していたりする。
離婚の原因は、お父さんの浮気ってことになってる。
だけど、私には絶対に嘘をつかない。
やさしい嘘をつく、労力を払わない。
あの言葉は、要するに、「いい子にしていなさい」と言いたいだけのものだったと、いまでは思っている。
生まれ育った町も、暮らしも、ぜんぶ捨てて、知らない町に、幼い私を連れて行くつもりだったから。
だけど、そのとき、あの子は死んだんだ。
知らないアパートの一室にたどり着いた私に、お母さんは、
『いまから、新しいお父さん、来るから』
と、言った。
現れたのが、三上さんだった。
「虐待されたりしていないか、心配してたのよ。そういう事件って多いじゃない? 大丈夫だった?」
おばさんに訊ねられて、私は我に返った。
「なにもされてないです」
私が答えると、おばさんは、ほっとした顔をしていた。
そんなこと、いまさら知ったところで、なんになるのかなとも思った。
ただ、この人が、知りたいだけじゃないかと思った。
「学校はちゃんと通わせてもらえた?」
「はい」
義務教育までは、だけどね。
高校は自分から、一度、行かない選択をしていたから。
その後は、自己責任って感じだった。
そのあたりは、お母さんのせいではなく、私の世間知らずが悪いんだ。
「まだ、付き合ってるの? あの男と」
どう答えるのが正解なんだろうと、私は思った。
「はい」
どうでもいいやと思って、私はそう答えた。
おばさんは、臭いものに蓋をするとき、みたいな顔をした。
お母さんが戻って来ると、おばさんは、挨拶もくれずにいなくなった。
お母さんは、私とおばさんがなにを話していたのかを、聞きもしなかった。
「今日、おばあちゃんの家に泊まるわよ」
私は、集まった人たちが帰るのを待って、おばあちゃんと、お母さんと、三人でタクシーに乗り、おばあちゃんの家に向かった。




