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第71話 大学二年生 夏4 yui

  結衣 yui


 部屋に入ると、廊下の脇にあるトイレで、玲香がげろげろしてた。


 これが「ゲロ吐かれるのが、いちばん困る」ってやつなんだよなあと私は思った。

 サークルの飲み会で、しょっちゅう見かけるわ、この光景。


「しょうがないなあ」


 私は玲香に近寄って、背中をさすってあげる。


「うー、うー」


 玲香はうめき声をあげていた。


「お水、持ってきてくれない?」


 あたふたした様子で、体を揺らしながら、こっちを見ていた妹に指示する。


「お姉ちゃん、あった」


 妹はそう言いながら、備えつけの冷蔵庫に入っていたらしい、ペットボトルのお水を渡してくれた。

 私は、妹の頭をわしゃわしゃしてやる。


「いやーん」


 妹がうれしいのか、嫌がっているのか、どっちなのかわからない声で鳴く。


「私が看るから、あんたはパパとママの相手してあげてて」


 妹は面食らったような顔を見せてから、頷いて部屋を出ていった。


 パパとママを巻き込んだ、おおごとにしてしまうと、玲香にとってはストレスになるかなと思った。

 飲みすぎたくらいなら、私だけで、この場を収めてあげようと思った。


「きもちわるい」

「口、ゆすぐか?」


 水のボトルを渡すと、玲香は、私に言われたとおりにした。


「脱水症状になっちゃうから、お水、飲みな」


 玲香は涙目になりながら頷いて、トイレにへたりこんだまま、お水を飲みはじめた。

 飲み終わると、身体をだらんとして、トイレの壁にもたれかかった。

 頭をごんって、ぶつける音がした。


 手の力が抜けてしまったのか、水の入ったペットボトルが玲香の手を離れて、トイレの中を転がる。

 私は、とっさに水のボトルを掴んで、拾い上げる。

 キャップをきちんと締めていなかったみたいで、トイレの床に水がこぼれていた。


 あとで拭いておかないとなあ、と思っていると、玲香が鼻をすする音が聞こえた。


「ごめんなさい」


 幼い子どものような顔をしていた。

 涙がぼろぼろ、こぼれていた。


 浴衣がはだけてしまっていて、もう限界という様子に見えた。


「いいんだよ。布団で寝るか?」


 玲香は、すんすんいいながら泣いてた。

 これは、自力で布団まで行けなさそうだなと、私は思った。


「あっ」


 両脇に腕を差し込んで、抱きあげて起こしてやる。


「結衣ちゃ」


 私より、ひと回りほど小さい玲香の身体は軽くて、すぐに起きあがらせることはできた。

 そのまま、だらんと、もたれかかられると、急に重みを感じた。

 思わず、後ろに倒れそうになって、足を踏ん張る。


 日頃から、しっかり筋トレとかやっててよかった。

 この子くらいなら、私でも運べる。


 肩を貸してあげると、なんとか歩けるみたいだった。


 部屋の中に入ると、畳の上に布団が三組、並べて敷いてあった。


「頭打つから、ゆっくりね」


 布団をめくって、座らせてやると、倒れ込むようにして、玲香は寝転がった。

 布団をかけてやる。


 しんどそうだから、このまま寝かすか。

 そう思って、いったん、電気を消してやった。


 私も布団に入る。


「約束したのに」


 布団の中で、玲香のかすれた声で聞こえた。


「約束?」


 私になにか、玲香との約束を忘れていたことがあったのかと思った。


「あの子と約束したのに」


 布団の中で、玲香と向かい合う。


 まるで、罪を告白するような調子で、玲香が続ける。


「死んだあの子が受け取れなかったものは、私も受け取らないって約束したのに」


 8歳で亡くなった藤原玲香ちゃんのことを言っていると、私には、すぐわかった。


「ごめんなさい」


 三上玲香は、藤原玲香に謝っていた。


 玲香はまた、鼻をすすって泣きはじめた。

 私は言葉に詰まった。


 どんな声をかけてあげるべきか、頭の整理が追いつかなかった。

 不用意な言葉を、かけるべきではないと、私は認識していた。


 わからないから、私は玲香の手を握ろうとした。


 玲香は震えてた。


 たまらなくて、私は玲香を抱きしめた。

 震えを抑えるように、強く、強く、抱きしめて、頭や背中をなでてやった。


 レイくんの言っていたあの話。


 地上世界に悲しみを見つけると、そっと明かりを照らしてあげる。

 そんな、やさしい王様の話。


 地下世界の王は、三上玲香のことなんだ。


 藤原玲香ちゃんの悲しみに、寄り添い続けている。

 自分のものではないと、切り離したその思いに、寄り添い続けている。


 玲香の震えが止まった。

 寝ちゃったのかな、と思った。


 私の胸に顔を埋めてきて、起きているとわかった。

 胸の中で、玲香が鼻をすすった。


 私はまた、ぎゅうっと、強く抱きしめてやる。


 三上玲香の中にいる、藤原玲香ごと、強く抱きしめてあげたかった。


 いつまでそうしていたのか、わからないけれど、私たちはいつの間にか、眠ってしまっていた。


 ◇


 翌朝。


 目が覚めると、部屋には私たちだけが寝ていた。

 昨夜のことは、お互い、なにも話さなかった。


 お酒で酔っぱらって、いつの間にか寝てしまったことにした。


 帰りの車の中で、妹が盛大に誤解されていた。


「高校生にもなって、パパとママの布団に入ってくるなんて」


 助手席のママが言うと、妹が私を睨んだ。

 そこで、私はすべてを察して、妹に感謝した。


 アイコンタクトで、感謝の意を伝えようとした。


「かわいかったけど、もう高2だし、将来が心配だわねえ」

「お姉ちゃんみたいに、自立できるようにならないとなあ」


 パパも応じている。


 妹がなにか言いたそうな顔をしている。

 言わないでいてくれている。


 こいつは、できる妹だ。

 さすが、私の妹だ。


「お姉ちゃんみたいに、高校卒業したら、家を出たほうがいいんじゃないかしら」

「ママ、私には、玲香さんみたいな相手はいないの」

「ひとり暮らしでもいいじゃない」

「んんん」


 妹は実家大好き人間だ。

 万年、帰宅部なのも、家が大好きすぎるせいなのだ。


 妹が私たちを睨んで言う。


「実家を追い出されたら、お姉ちゃんと玲香さんのせいですからね」


 妹はたぶん、部屋に戻ってきたら、私たちが抱きあって寝ていたので、気まずくてパパとママの部屋に逃げたのだと思う。


「え」


 玲香がぽかんとした顔で、妹の顔を見つめていた。


 今日の玲香は、いつもより、表情があるなと、私は気づいていた。

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