第58話 大学一年生 夏1 yui
結衣 yui
東京に来たばかりの頃、玲香は土日も含めた週3日ほど、バイトすればそれで足りるかなあと話していた。
ところが、入学してすぐ、お母さんから電話でお金を貸してほしいと頼まれ、貯金を減らしてしまったようで、週4日にバイトを増やしていた。
フリマアプリでパンツを売るか、週休を減らすかで悩んだ玲香は、苦渋の決断で、週休を減らしていたのだった。
私は、ほっとした。
土日はお昼のシフトと夕方のシフトの両方に入ると言って、朝の9時から、夜の22時まで、玲香は働くようになった。
せっかくの休日だから、もっと玲香といっしょに遊んだりしたかったと、私は内心、残念に思っていた。
玲香には言えなかった。
言ってしまったら、なんとか私の気持ちに応えようとして、それでもできなくて、彼女が苦しむような気がしたから。
入学当時の勢いは失っていたものの、私は大学の友だちと、適度に集まって遊んだりしながら、キャンパスライフを満喫していた。
いまにして思えば、春先はみんな、友だちを作らなきゃって、必死だったんだなってわかる。
すっかり落ちついて、メリハリのある生活を送っていた私の大学での楽しみは、佐倉先輩と会える時間だった。
キャンパス内ですれ違うだけでも、どきどきした。
佐倉先輩を見かけたら、どうやって好意をむき出しにしない形で、自然に声をかけられるのか、頭を悩ませた。
それさえも、私は楽しかった。
サークルの集まりでは、まず、佐倉先輩がどこにいるのかを探し出して、さりげなく近くにいるようにし、声をかけられるのを待った。
私は、佐倉先輩から、告白される日を、毎日のように妄想していた。
もちろん、それだけに飽き足らず、ゴールインまで100通りくらいは妄想済みだ。
挙式はワイハで固定だけどね。
パパとママが式を挙げた、思い出の場所らしいから。
この恋を早く実らせないと、先に佐倉先輩が卒業しちゃうよなあ、なんて考えてもいた。
そんな妄想ばかりしていられるのも、授業の空き時間とか、暇だからだ。
大学生は、意外と中途半端に時間が余ることが多いんだなって思っている。
◇
7月。
夏休みの話題も、ちらほらと聞こえるようになりはじめた頃。
玲香は試験期間になるからと言って、バイトを減らして、家で勉強するようになっていた。
その分、夏休みはたくさん働くと言っていた。
学校帰り。
私はスーパーに寄り、今日も家で勉強する玲香のために、なにかおいしいものでも作ってやろうと考えていた。
「ハンバーグにでもするかあ」
唯一、「好き」という評価がもらえた、思い出の料理だ。
もっとそういうの欲しいんだけど、言ってくれないんだよなあ。
そういうの言ってほしいって言ったら、絶対、自分の頭の中じゃなくて、私の頭の中から言葉探そうとする人だしなあ。
あの人、笑ってるか、虚無って鳩豆になってるかのどっちかで、感情というものが薄っすいんだよなあ。
なんでなんだろう。
子どもの頃から、ああなのだろうか。
家庭環境と、なにか関係があるのだろうか。
「ほんと、変わった人だなあ」
そんなことをつぶやきながら、私は家の玄関を開けた。
「それ、先生が何度も言ってましたよ。聞いてなかったんですか?」
男の声だ。
私は思わず、玄関のドアを押さえたまま、硬直する。
「ぜんぶ聞き逃すって、すごい確率ですよ? 宝くじでも買ってください」
なんか、むちゃくちゃ煽られてる。
「おとんくん。私ね、ギャンブルだけはしないと決めてるんだよ」
おとんくん?
そんな名前、玲香との会話の中で聞いたことない。
ていうか、私以外の人間の名前を発音してるの、はじめて聞いたかも。
「あれって、公営ギャンブルなんだよねえ」
「三上さんって、どうでもいいことばっかり、詳しいですねえ」
男の笑い声がする。
玲香も笑ってる。
待って。
彼氏いらないとか言ってたよね。
なんか、ずいぶん親しげじゃない。
そんな顔、私以外に見せるんじゃねえ。
どんな顔してるのかは、これから確認するけどよお。
ちんにゅう者の正体を暴くため、私は早歩きで家の中に踏み入った。
◇
中学生みたいなのが、和室の座卓に向かい合って座り、ふたりで勉強している。
ばたばたと音を立てながら、突然、現れた私の顔を、ぽかんとした表情で見上げている。
まずは、よかった。
玲香がちゃんとした服着てて。
相変わらず、中学生みたいな格好だけれども。
季節柄、半袖なのはさておき、胸元も、足も、まったく露出はしていないから。
部屋着で乳首浮いてたら、どうしようかと思った。
ショートパンツの隙間から、パンチラしてたら、どうしようかと思った。
はいはい。
わかりましたよ。
そういうご関係ではないわけね。
この中学生みたいな、スポーツ刈りの、小柄な、半袖短パンの、眼鏡の男とは。
「おかえり、結衣ちゃん」
私は安心して、微笑んでみせる。
「ただいま、玲香」
どこの馬の骨ともわからぬ男へ向けて、私は私の女の名前を呼び、その親密度をアピールする余裕すらみせる。
「おとんくん、結衣ちゃんだよ」
「え、そっちから?」
逆でしょうよ。
ほんとに、この人は常識がないんだから。
私にその男を紹介するほうが先じゃないと、いろいろ、おかしいじゃない。
無自覚でも、そういうの、胸がざわざわしてくるから、やめてほしい。
私が睨みつけると、その男は正座の姿勢になり、私と正対し、眼鏡をくいっとあげて、深々とお辞儀をしてみせた。
礼儀は知っているみたいだった。
まずは、合格としようと、私は思った。




