第55話 大学一年生 春6 reika
玲香 reika
「いや、まじめすぎでしょ」
バイト終わり。
お店のバックルームで、私は今日がバイト初日の新人と雑談していた。
19歳の大学二年生の女の子だった。
長身で、モデルみたいなスラッとした体型の、女子力という名の暴力を感じさせる女だった。
椅子があるというのに、女は机の上に堂々と座っている。
ロッカーにもたれかかりながら、私は立ち話をする。
私は、結衣ちゃんに飲酒を注意した件をどう思うか、試しに聞いてみたのだった。
結衣ちゃんが、あまり納得していない顔をしていたから。
「それは、さすがに、三上さんが空気読めてないっす」
厳しい意見にぐぬぬってなっていると、なおも、女は追い打ちをかけてくる。
「いまどきっていうか、歴史上、一度でも、20歳未満の大学生が、お酒を飲んだらだめな時代って、あったんですかねえ」
「法律?」
私が思わず声を漏らすと、女はあきれた様子で、鞄からたばこを取りだす。
なんだこいつという顔で、私を見ながら、たばこに火をつける。
一服すると、女はなに食わぬ顔で、タイルの床に灰を落とす。
周囲を見回して、灰皿を探してやるが、見当たらなかった。
そもそも、吸っていい場所じゃないと思うんだけど。
「19歳が、たばこをふかしながら言うと、説得力あるねえ」
女が、ははっと笑う。
「それにしても、たばこなんて、どこで覚えるの? せっかくのバイト代が、パァじゃないの」
たばこを口から離して、まじめな顔で女は言う。
「だから、バイトしてるんでしょうが」
え、それって。
「ウロボロスの環じゃん」
「賽の河原じゃないです?」
「そっちかあ」
ふたりで笑いあう。
「彼氏の影響ですよ。あまりに気持ちよさそうだから、いいものみたいに見えたんです。恥ずかしいから、言わせないでくださいよ。もう、そいつとは別れました」
「別れても、影響って続くものなんだねえ。それさえ、嫌になったりはしないんだ」
はあって顔で、女は言う。
「ただの中毒っすよ。依存症っすね」
「逃れる術はないんだねえ」
お母さんも、たばこ辞めたいって、小さい頃よく言ってたなあ。
いつの間にか言わなくなったけど。
「辞めようとは思ってないっすけどね。これ吸ってると、実際、気分いいんで」
ふうっとたばこの煙を吐きながら、あははっと女は笑う。
「イライラする原因もこれですけどね」
「やっぱり、ウロボロスの環じゃん」
たばこを持ちあげながら、女は下品に笑う。
「試しに吸ってみます?」
女は机の上から降りて、私にたばこを差し出してくる。
「親がヘビースモーカーで迷惑したからさ。私はやめとこうって、決めてるんだよね」
「へー」
女は感心したような顔をして、いつもオーナーさんがベッドにしているソファーに深く腰掛けた。
お行儀悪く足を組みながら、私の顔を見上げてくる。
「三上さんって、彼氏いない歴イコール年齢っしょ」
「え、よくわかるね」
たばこをふかしながら、女はにやっと笑う。
「男の影響を受けてなさそうだなと思って。いい年して、クソガキみたいな格好してるし。男、知らないでしょ? 男の裸すら見たことなさそう」
「それさ、訴えたら勝てるラインの誹謗中傷じゃない?」
女は、手を叩いて下品に笑った。
私はたぶん、この初対面の女に、だいぶ、下に見られている。
食物連鎖のピラミッドで言ったら、いちばん下の、上位存在に食べられるだけの、おやつみたいな層にいると思われているな。
「どうなんすか? はぐらかさないで教えてくださいよ」
「ん。なにが?」
私が言うと、女がははっと笑った。
たばこを床に投げ捨て、靴で踏みつけて火を消している。
ソファーから動きたくないのか、机の上に置いたままの鞄を恨めしそうに見つめている。
私はもう一本吸いたいってことかと思って、机に歩み寄って鞄を手渡ししてやる。
鞄を受け取ると、女がにこっと笑った。
その顔があまりに美しくて、絵画みたいと思って見惚れてしまった。
そんな私に、女はソファーをぽんぽんと叩いて合図を送ってくる。
座れって意味かと思って、隣に腰かけると、女はこちらを向いて足を組み直した。
「三上さんって、男に興味なさそうっすね」
「ないけど。あなたはあるの?」
「ないっすよ」
「興味なくても、彼氏はできるんだ」
「向こうが勝手に興味を持って近づいてきますから。私、かわいいんで」
「嫌ではないの?」
私が訊ねると、女は鼻で笑った。
「半々くらいっすかねえ」
「半々だったら、まさに、興味ない人、みたいだね」
女は笑いながら、鞄からたばこを一本取りだして咥える。
なぜか、私にライターを渡してきて、火をつけるよう催促してくる。
望みどおり、火をつけてやると、笑った顔のまま、たばこを吸いこんだ。
「やめてよお」
煙を吹きかけられて、私は思わず悲鳴をあげた。
服や髪に臭いがついたら、結衣ちゃんに迷惑だし、困る。
当の本人は、無邪気に笑っていた。
私はソファーの端に逃げて、距離を取ってみせる。
「ほんとは誰かを、好きになってみたいんですけどねえ」
たばこをふかしながら、しみじみと女は言う。
「彼氏のこと、好きではなかったんだ」
私が訊ねると、女は私の目を見て、にやっと笑ってから言う。
「なんで付き合ったか教えてあげましょうか」
「え、知りたい」
なんか、おもしろいこと言いそうな気配がした。
女はたばこを指に挟んだまま、ソファーの上をお尻で移動して、私のそばに寄ってくる。
顔を近づけてくるので、私は思わず肩をすくめた。
「性欲」
そう耳元で囁いて、女はぎゃははっと笑った。
ただの快楽主義者だったみたいだ。
「一生に一度くらい、経験してみたかっただけっす」
共感を求めるような顔をしてくるから、私は笑い返しておく。
「好きでもない相手とやったところで、『なんだこんなもんか』って思わされるだけだって気づいたから、別れましたわ」
「そういうものなんだねえ」
相槌を打つしかない私を見ながら、女がたばこをふかす。
にやにやしながら、私の顔を間近に見てくる。
私は不快な臭いに眉をひそめてしまう。
「この恋は本物じゃないと気づいて、とっとと損切りした私、えらくないですか?」
「えらいっていうか、えろいね」
私が言うと、女は組んでいた足を崩して、ばたばたさせながら大声で笑った。
たばこの灰がソファーの上に落ちたので、私は慌てて払いのける。
「好きになってみたいっていうのは、本物を探したいってことなんだね」
「そういうことっす」
女はにやりとしながらたばこをふかすと、短くなったそれを私の足元に投げ捨ててきた。
仕方ないから、踏みつけて消してやる。
火が消えたのを確認して顔をあげると、まじめな顔の女と目が合った。
「好きなんですか? その人のこと」
「ん?」
「わざわざ、そんな空気読めない注意をするなんて。大事にしてるってことですよねえ」
「その子のお父さんに、娘をよろしくって、頼まれているだけだよ」
私が言うと、女は驚いた顔をした。
「非行はだめでしょ?」
返事を待っていると、女に肩を掴まれた。
たばこの臭いと、女が漂わす香水のような匂いが混ざりあって気分が悪くなりそう。
肩を抱く力が強くて、逆らえない。
この女、人との距離感がおかしいなと、私は思う。
「三上さんが男だったらなあ。私のはじめてになったかもしれないのに」
「どゆこと?」
「ちょっと好きになれたから、なんか奢ってあげるってこと」
そう言って、至近距離でウインクしてきた。
おやつにされる気配を、私は感じている。
罠かと思って、私は遠慮しようとした。
「せっかくのバイト代が、なくなっちゃうよ」
「いいっすよ。うちの実家、太いんで」
女は、にこっと笑った。
お金のことなんて、気にするなと言いたいみたいだった。
圧倒的な、経済力を感じさせられた。
「ここのバイト、今日でバックれるし。思ったより、覚えること多くて、だるいのはまだ許せるとしても、客層が耐えられないっすわ。三上さん以外のバイトも、感じ悪いし。オーナーは、ちんちんしか言わないし」
文句ばかり言いながら、女はバックルームを出ていく。
私は、床に散らかった吸い殻を片付けてから、その後ろ姿を追いかける。
「なんでもいいっすよ。ぜひ、好きな子といっしょに食べてください」
私は、結衣ちゃんと今夜食べる、食後のデザートをいただくことにした。
「見た目どおり、かわいいの買うんすねえ」
女はほんとうに、気前よく奢ってくれた。
自転車に乗ると、別れ際、
「オーナーに、給料払わないと監督署に通報するって言っといてください」
と、女が言うので、その手間賃だったのだと理解した。
「ばばーい! いぇい!」
そう言って、立ち去ろうとする私に、ハートポーズでウインクしてきた。
夜中だというのに、あまりにまぶしい、19歳女子の笑顔だった。
初日でバックれるに、ふさわしい器の持ち主だと思った。
このお店は、ろくな新人が入らない。
控えめに言って、終わってる。
東京という街は、どうかしてる。




