第38話 大学入学前 東京2 yui
結衣 yui
「私のほうが大人だから、私が書くよ」
事務所に戻ると、そう言って玲香は書類に向かいはじめた。
私は隣でその様子を見守る。
学年で言ったら、玲香とは本来、ふたつ違い。
だけど、同じ高校三年生で、春から同じ大学一年生。
なんだか不思議な感覚だった。
玲香は、私よりひと回り小さいし、童顔だから、むしろ妹みたいな感覚にもなってしまうときがある。
ふざけてばっかりいて、まったく、お姉さんっぽくないのも悪いと思う。
そういえば、お姉さんなんだっけって、ふとした場面で思い出す。
ときどき、異常に大人びているときがあるから。
「連帯保証人?」
玲香が職員の女性に訊ねている。
「あ、ご両親のお名前でいいですよ」
「ああ」
玲香が固まってしまっている。
連帯保証人の意味くらい、私だってわかる。
「こういうのに、親の名前を書くのはちょっと。結衣ちゃんの名前じゃだめですか?」
私の顔を見ながら、玲香が職員に訊ねている。
「学生さんですし、収入がない方だとちょっと」
職員の女性が言う。
「勤務先とか、わかんないや」
玲香が手を止めて、悩んでいる。
「私が申し込もうか。同居人が玲香ってことで。別にどっちでもいいんだしさ」
「そっか。書き直しだ」
「もう一枚、出しますからいいですよ」
職員の女性が、後ろを向いて、コピー機から紙が出てくるのを待っている。
玲香が途中まで書いた紙を、参考までに見てみる。
玲香の個人情報。
氏名、年齢、住所、生年月日、連絡先、職業、緊急連絡先。
8月生まれなんだ。
私といっしょだ。
日にちは数日違いだけど。
なんか、生々しく感じるのはなぜだろう。
インターネット上の存在だったレイくんという幻想が、急に三上玲香という実体を伴ったようなそんな感覚だ。
まじまじ見るのは悪い気がして、申込書類の文章に目を移す。
注意事項や、必要書類が、いろいろと書いてある。
職員の女性が、新しい申込用紙を出してきたので書き始める。
玲香が覗き込んでくる。
なんか、自分の個人情報を見られるの、恥ずかしい。
「結衣ちゃんって」
なぜか、どきどきしながら、言葉を待ってしまう。
「字、きれいだね」
予想外のコメントに、笑ってしまいながら、私は書類に向かいつつ、応じる。
「小学生の頃、習字教室、通ってたから」
「へー。なんか似合うね」
「ぱっとしなかったけどね」
なにをやらせても、平均点くらいで、だいたい、ぱっとしない女なんだ、私は。
「でも、きれいよ」
きれいって言われると、なんか勘違いしちゃうな。
「私の字、見てみ」
手を止めて、玲香の書いた書類を改めて見たら、思わず吹き出してしまった。
確かに、ひどい字だ。
私、さっき、よく読めたな。
そんなこと、気がつかないくらい、書かれた内容を、夢中で読んでしまっていた。
「大学受験の勉強で、速く書くことに慣れすぎちゃって、余計下手になったわ」
「ああ。それは、ちょっとだけわかる」
「見て。ペンダコできてるでしょ?」
玲香が、右手を差し出してくる。
中指の第一関節の人差し指側が、膨らんでる。
赤くはなってないけど、腫れているようにも見え、少しだけ痛そうに見える。
「これ、大学受験の後遺症。もう治んない。痛くはないけど、ずっとこれ」
私が笑っていると、玲香も笑いながら言う。
「ある意味、結衣ちゃんのせい」
「なんでよ」
笑いながら、私は抗議する。
「結衣ちゃんが、見守ってくれるせいで、いっぱい勉強しちゃったから」
なんだか、うれしい気持ちのまま、私は書類を書き終えた。
書き終わった申込書類を、職員の女性に差し出す。
「ありがとう」
「ううん。どっちが書いてもいいものだし。なんかあっても、電車ですぐだし。都内に住んでる、私のほうがよかったのかも」
「そっか。それもそうだね」
気にしないでほしくて言ったのだが、言いながら自分でも納得した。
「これで、お金払ったら、もうあの家に住めるんですか?」
玲香が訊ねる。
「大家さんの了解がないと、無理ですねえ。一応、ふたり入居歓迎の物件なんですが、同性のルームシェアなんで、オーナーさん次第では、断られる可能性もあります」
「え、そうなんだ」
私は驚いて声をあげた。
夫婦じゃなきゃだめってこと?
「ふたり入居って、オーナーさんは夫婦とか結婚を約束している恋人同士が住むことをイメージしているものなので。要するに、世帯向けってことです」
なんも言えないと思っていると、玲香が口を挟む。
「いい女だって、言っておいてください」
「え、そういう問題?」
私が笑うと、職員の女性も笑った。
「爆イケ女子大生ってことで」
「どこがよ」
私たちのやりとりに、きゃははって職員の女性が、かわいい声を出して笑う。
目を細めれば、格好だけは少年のようにも見える玲香に私は言う。
「いっそ、婚約しよっか」
「どゆこと」
「そこは、『はい』じゃないのかよ」
私が笑うと、玲香もけらけら笑い出した。
「仲、いいですよね。おふたり。どういうご関係なのか、いろいろと妄想が捗っちゃいました」
顔を見合わせると、玲香が変顔してくる。
どんな感情なんだ、その顔。
「FAX送っておきましたけど、オーナーさんに直接、連絡もしてみます」
女性が立ちあがって、スマホを握りしめて続ける。
「近所に住んでる、地主のお爺ちゃんなので。たぶん、すぐ繋がると思います」
そう言って、女性はパーティションで仕切られた裏のスペースに消えていった。
◇
オーナーさんは、あっさりオッケーしてくれた。
最初は怪しんでいたらしいけど、パパとママが務めている会社の名前を聞いたら、すぐにオッケーしてくれたそうだ。
家賃の支払能力を気にしていたのかな。
初期費用の請求書をもらって、ちょっと震えた。
こんなに高い買い物をするのは、はじめてだった。
パパとママは、初期費用はうちで全額負担しても構わないと言ってくれていたけど、玲香は最初から折半すると言っていたし、彼女がずっとバイトしながら、学費も蓄えてきたのを聞いていたから、うちで全額払うというのは野暮かなと思って、それは言わないでおいた。
玲香は、対等な関係を強く望んでいるように見えたから、そのほうが、彼女も喜ぶ気がしたのだ。
施しなんていらないという強い意思を、痛いくらいに、ひしひしと感じていたのだった。
パパとママには、いっぱい負担をかけてしまっているから、私としても、ありがたくはあるのだった。
必要書類は各々用意して郵送することにして、私たちは事務所をあとにした。
◇
東京駅まで玲香を見送る。
「せっかくだから、泊まっていったらよかったのに。うちの家族も、玲香のこと歓迎してるよ。たぶん、会いたかったって、残念がると思う」
特に妹は、会えると思って楽しみにしてたから、泣いちゃうかも。
「いや、いいよ」
玲香がまじめな顔をして言う。
「だって、結衣ちゃん。それどころじゃないでしょ」
「ああ」
なにも聞きたくない。
私という女に、現実を忘れさせてくれよ、レイ。
無理やり口をふさいでもいいぞ。
口閉じてるけど。
「受験終わってないでしょ、あなた」
「言うな」
急に現実に引き戻された。
「玲香は、私立も受けずに、国立一発合格なんて、ほんとうにすごいね。私は、入念に保険をかけた末に落ちた」
玲香は真顔を崩さずに続ける。
そんな顔されると、さみしい。
いつもみたいにおふざけしてよ、レイくん。
「保険がきかないから、勝てる見込みの高い勝負しか、できなかっただけだよ。ほんとうにすごい人なら、地元のもっと難しい国立大を受けて、合格を勝ち取るはずで、私はたいしたことないよ」
そうは言うけどさあ。
「ううん。尊敬する。そういうのも、ぜんぶ、ひっくるめてさ」
「後期試験もあるし、まだ勝負は決まってないでしょうよ、結衣ちゃん」
最後に頑張れと、私の背中を押して、玲香は去ってゆくのだった。
後期試験に向けて、悪あがきはしてみた。
レイくんのいない、ひとりでやる勉強は、なんだか身が入らなかった。
そのせいにするつもりなんて、ないけれど、私は第一志望には受からなかった。
第二志望の私立大の文学部に通うことになった。
キャンパスは新居の最寄り駅の沿線上にあるから、通いやすくはある。
中学受験のときと、いっしょだなと思った。
中学までやっていた、水泳部の最後の大会もそうだったな。
あと一歩。
目標に手が届かないまま、終わってしまった。
いつも、いちばん欲しいものだけは、手に入れられない。
そういう、ぱっとしない女が、私という人間なのだ。




