第36話 高校卒業後 田舎町10 yui
結衣 yui
翌朝。
目が覚めると、もうこの家には、私と玲香のふたりだけだった。
昨夜のあれは、夢だったりしないかなと思ったけれど、リビングのこたつの上に、また千円札があるのを見て、確かにあの人たちは、いたんだなと実感した。
たばこの灰皿や、お酒は片付けられ、昨日、ここに来たときの状態に戻っている。
この家の生活習慣みたいなものを、まざまざと感じた。
ほとんど、寝に帰る場所なんだ。
玲香は備蓄のカップラーメンを食べようと言って、こたつの上にふたつ、お湯を注いだカップラーメンを置いてみせた。
上に割り箸が乗っている。
こたつの上に、千円札が置いていないのにも関わらず、お母さんの帰りが遅い日もあって、そういうときに、急遽、晩御飯として食べる用なのだという。
普段、朝はなにも食べないのだとか。
カップラーメンをいただきながら、私は訊ねる。
「お母さんたち、朝、早いんだね」
「6時くらいには、家を出るからね」
職場が遠いのか、始業時間が早いのか。
いずれにしても、私は驚いた。
「それは疲れるだろうね」
「まあね。夜、寝るの早いんだよ。うちらも昨日は、早く寝たけどね。挨拶、間に合ってよかったわ。せいぜい、30分もあるかどうかよ。挨拶できるタイミングって」
確かに、挨拶したあと、玲香のお母さんは、すぐにお風呂に入ってしまったみたいだった。
間一髪だったわけだ。
「家でまったく顔を合わせない日がほとんどかな。私も久しぶりに会ったわ」
ラーメンをもぐもぐやりながら、あっけらかんと玲香は言う。
「バイトしてたときは、帰ってくると寝てるし、起きたらいないって感じだったから、まったく会わなかったなあ。受験はじまったら、私は部屋でずっと勉強してたし、帰ってきても、あんな感じだからさ」
どんな感じかは、容易に想像できるようになってしまった。
「わざわざ、部屋から出ない。たばこの臭い、嫌いだから。身体にも悪いしね」
おしゃべり好きの玲香にしては、不思議な関係性だなと思って、私は訊ねる。
「せっかくだから、家にいる短い時間でお話したりとかは」
「話すことないかなあ」
「普段あんなにおしゃべりするのに。もう大人だから? いつからそうなの?」
「ん。いつからって、うちはずっとこうだけど」
「そう」
あまり深堀りしないほうがよかっただろうかと、私は反省して話題を変えた。
「お母さん、私たちの同居って許してくれたのかなあ」
「知らん」
玲香は即答する。
私は心配になって訊ねる。
「反応が薄かったから、実は、私のこと嫌だったとか」
玲香は首を横に振って応じる。
「私のやることに干渉してこないから。いいも悪いも、許すも許さないも、好きも嫌いもないよ」
ラーメンを飲み込むと、昨日コンビニで買ってきたペットボトル飲料を口に含んで飲み、玲香はきっぱりと言う。
「やるかやらないかだけ、私が。今回に限らず、昔から。だから、お母さんがどう思うとか、気にしなくていいよ」
私はなにも言えなかった。
玲香がまた割り箸で麺を持ち上げながら言う。
「どうせ、なんも思ってないよ」
「そっか」
だから、中学を卒業して、高校に行かなかったり、やっぱり、あとから高校に行ったりするんだ。
普通、強く反対されて、無理やりにでも、行かされたりとかするもんなあ。
いいんだ。
この家じゃ、なにをしたって。
なにをしなくったって。
干渉しないって、そういうことなんだ。
本人の意志を尊重している、つもりなのかな。
私はどうしても気になっていたことを、我慢できなくなって、訊ねてしまう。
「あの男性は?」
「三上さん」
普通のことみたいに、玲香は即答した。
「お父さん?」って、聞き返す勇気は、私にはなかった。
「あの人、毎日、晩酌するから。たばこはもう辞めたのかな。知らんけど。まあ、三上さんのことは、それこそ、気にしなくていいよ。なんも言われたことないし。私のやることに、なんか口を挟むってないから」
私はどんな顔をしていいのかわからなかった。
玲香が私の顔を見て、一瞬、固まってから続ける。
「たぶん、お酒飲んでたし。本人、昨日のこと覚えてないと思う」
カップラーメンを食べる手が止まってしまっている私に、玲香が短く言う。
「忘れて」
そう言われても、忘れられるわけなかった。
強烈すぎるし。キャラ的にも、存在感的な意味でも。
「未成年じゃないから、親の同意なんていらないし」
玲香も、食べる手を止めて、話に集中してくる。
「だいたいね。大学の学費とか生活費とか、入学金とか、受験料とかもだけど、みんな払うの私だから。関係ないんだよ。あの人たちには」
「そうなんだ」
言葉だけ聞くと、怒っているのかと錯覚してしまうけど、玲香は顔色ひとつ変えていないし、怒った様子はまったくなかった。
淡々としてた。
事実を述べているだけと、言わんばかりだった。
「机の上の食事代も、もはや、なくてもいいんだけど、いちいち娘の私から言うことでもないのかなって思うし、三上さんが、子どもになんもしないのはまずいだろって、お母さんに言ってるんじゃない?」
三上さんという人は、どういう人なのか、わけがわからないなと思いながら、私は耳を傾ける。
「あの人、親とはこうあるべき。大人とはこうあるべき。社会人とはこうあるべき。みたいなこだわりが強いみたいで、晩御飯によく宅配を頼んでるみたいなんだけどさ、ちょっとでも遅れたら、仕事としておかしいとか説教してるの。ドア越しに聞こえてくるんだよね。ドアの向こうが玄関だから」
聞いているだけで、こっちが萎縮してしまいそうな話だった。
「自分がバイトとかするようになってわかったけど、そういう不寛容は、お互い苦しくなるだけだと思うよ。だけど、言わなきゃ、気が済まないんだろうね。そういうお客さん、たまにいたわ。自分がそんなに立派な人間かって言ったら、別にそうでもないのにね。だから、そのギャップに、自分で苦しんでいるんだろうね」
三上さんの抱える苦しみに、玲香は思いを馳せていたみたいだった。
「お母さん、借金あるから」
「え、そうは見えない」
急に話題がお母さんになって、私は思わず、ぽろっと感想を漏らしてしまった。
大きなテレビとか、水槽とかもあって、お金に困っているようには見えなかった。
「ギャンブルするからね、休みの日。昔から。お母さんって、お金の管理とかできない人みたい。財布を握られている立場の三上さんが、それをどこまで知っているのかは、わからんけど」
玲香が私のカップラーメンを指さす。
私は慌てて食べるのを再開する。
「呆れるよね」
玲香も食べるのを再開する。
「クレジットカード切り刻んでるのとか見たことある。あるとお金ないのに使っちゃうからなんだってさ。お金ないって知ってるくせに、使おうってなる心理がまったくわからんけど、私には」
玲香は行儀悪く、足を組みはじめて、もぐもぐやりながら訊ねてくる。
「結衣ちゃんは、わかる?」
「わからない」
「それでいいよ」
苦笑いで答えたら、そう言われた。
「財布にお金入ってないのに、商品をレジに持っていくみたいなもんで、それってほぼ強盗でしょ」
玲香がははって笑ったので、私も顔だけ笑ってしまった。
支払い時期が遅れるから、ギャンブルで増やせば払えるとか、そういうアレなのかな。
「結衣ちゃんは、そういう大人になっちゃだめだよ」
「あ、うん」
食べながら、頷く。
「気をつける」
そう、念を押す。自分にも向けて。
「こんな話、聞いても、いい気持ちしないよね」
玲香がにこっと私に笑いかけて、続ける。
「もやもやさせたら悪いかと思って、しゃべっちゃった。聞いて気持ちのいい話じゃないから、ほんとは言わないつもりだったけど。結衣ちゃん。昨日、あの人たちに会ってから、元気なくなっちゃったから。もやもやしてるかなって」
「ああ」
否定も肯定もしにくかった。
たぶん、見透かされているから。
「まあ、だから気にしないでよ。私はなんも感じてないからさ。結衣ちゃんって、いい子だから、気にしてくれちゃうかもって思ったから。その必要はないよって言いたくて、話しちゃった」
私は黙って、カップラーメンを食べる。
「誰にもこんな話したことない。家に人呼んだの、はじめてだし。外ではあの人たちも、普通の親にしか見えないから」
なんだか、無性に悲しくなって、私は箸を置いた。
「意味ないし、過去は変わらないから。忘れて」
玲香も食べ終わったみたいで、箸を置く。
「楽しいこと、考えようね。これから、実家を出て、結衣ちゃんといっしょに東京で暮らすの、私は楽しみだから」
「そうだね。私もそう思う」
「大学受かってなかったら、ぜんぶ、台無しなのが、笑えるけどね」
そう言って、玲香はけらけらと笑った。
笑えない話だけど、不謹慎にも、つられて笑ってしまった。
笑うのが、唯一の正解なのかなって思った。
日常のすべてを笑い飛ばしたくて、いつもあんなにおどけていたりするのかな。
考えすぎか。
なんか、心が疲れた。
◇
玲香は新幹線の駅まで送ってくれた。
改札でお別れになる。
別れ際、玲香は笑ってた。
帰りの新幹線で、私はひとり思いを馳せる。
これまで、あの人が向き合ってきた、孤独の深さについて。
あの家にあった、無数の欠落が、なんであるのかを。
私は、あの田舎町で、三上玲香との同居を断る理由を、見つけられなくなった。




