第35話 高校卒業後 田舎町9 yui
結衣 yui
部屋に戻ると、私は床にへたり込み、呆然とした。
自分が持ってきたスーツケースに、もたれかかる。
「そうだ。結衣ちゃん。お風呂入る?」
よくこの状況でお風呂とか言い出せるものだなと思ったけれど、ここは玲香の家だから、これが日常なんだよなあと思うと、なにも言えなくなる。
「あ、待って」
なにかに気がついた玲香が、廊下に顔を出してから、部屋のドアを閉めた。
「お母さんが先に入るみたいだったわ。結衣ちゃん、その後でもいい?」
「いや、いい」
この部屋から出たくなかった。
なにも嫌なことなんて、されていないはずなのに。
この家で、安心できる場所は、ここだけのように感じる。
レイくんが「家を出たい」と、なにげなく言ったあの言葉。
あのとき、まったく共感できなかった。
それが、実感を伴って、迫ってくるみたいだ。
「今日はお風呂入らない」
私はぽつりとそう漏らした。
「そっか。じゃあ、私も入らない」
玲香はたぶん、私に付き合ってくれたのだと思う。
「ふたりとも入らないなら、お互いさまだね」
玲香が、にこっと笑った。
その顔を見て、私はなんだか、ほっとした。
味方がいるって、そう思えた。
「今日はもうおやすみでいい」
私が疲れ切ってそう言うと、
「はい」
と言って、玲香は畳んであった布団を敷きはじめた。
「布団ひとつしかないからさ。結衣ちゃん、寝ていいよ」
クッションとかもなく、フローリングに直接座っていて、お尻が痛いから、ひとまず、私は敷かれた布団の上で、体育座りになってみる。
「玲香はどうやって寝るの?」
ほかにも寝る場所があるのかと思って訊ねると、玲香は学習机の椅子に腰かけた。
「こうやって寝る」
机に突っ伏して、寝る仕草を見せながら笑う。
「学校みたいでしょ」
私は呆れて、ふっと笑った。
「女同士なんだし、ふたりで布団を分け合ったらいいよ」
「はい」
「こっちきて」
「はい」
玲香は素直に従い、私の隣に体育座りをしてみせた。
私が壁のほうに移動すると、少し、布団の真ん中のほうに移動した。
「準備、悪くてごめんね」
「ん。玲香は来なくていいって言ってたのに、私が無理を言って押しかけただけだから」
私はふぅっと息を吐いた。
「もう寝よう」
「はい」
玲香が立ちあがって、部屋の電気を消す。
真っ暗だけど、廊下に面したすりガラスから、かすかに月明かりのような光が差し込んでいるから、なにも見えないということはない。
眼鏡を外して、枕元に置き、布団に入る。
物心ついてから、はじめてくらいに歯も磨かず、着替えることさえせずに、そのまま寝ることにした。
玲香も付き合ってくれるみたいで、そのまま布団に入ってきた。
狭いひとり用の布団に、ふたりで、至近距離で顔を合わせながら寝る体勢に入る。
暖房のないこの部屋は寒かった。
身震いすると、玲香が声をかけてくる。
「寒い? 布団、もっとそっちに寄せようか」
「それじゃ、玲香が寒いでしょ」
「私は慣れてるから」
絶対、嘘でしょと思ったとき、私は閃いた。
「そうだ。毛布の代わりに、クローゼットのコートかけてよ」
「頭、いいね」
そう言って、玲香が布団を抜け出した。
◇
「ないよりもましだけど、そんなに変わらないね」
玲香の身体に合うようなサイズのダッフルコートだから、毛布としては不十分だった。
ただ、コートが乗っている部分の重みが、なんとなく温かいと錯覚させるものはあった。
ひとり用の布団にふたりでくるまりながら、目の前で寝ている玲香の顔を見る。
寒そうだなと思った。
私も寒いから。
「ねえ。もうちょっと、こっちにきて」
布団からはみ出していそうな玲香を、私は呼ぶ。
「身体くっついちゃうから」
「なんで」
「嫌かなって」
「寒いほうが嫌」
「はい」
玲香がもぞもぞと動いて、布団の真ん中に寄ってくる。
ほんの少しだけ、身体が触れる。
私はふふっと息を漏らして、笑ってしまった。
「なんで笑うの」
玲香が不服そうに言う。
「玲香って、体温高いんだね。あったかくて笑っちゃった。こんな天然の暖房が、近くにあったなんて」
玲香が声を出さずに、顔だけ笑って言う。
「笑ってるけどね。結衣ちゃんが、あったかいと思ったってことは、こっちはちょっと冷たかったんだよ」
衝撃的な告白に、思わず笑いそうになったが、息がかからないように、声を殺して顔だけ笑ったまま、私は応じる。
「ごめん」
「わかればいいよ。笑わないでね。そのうち、同じ温度になるんだから」
無性に、人肌に触れていたい気分だった。
ほんの少し、身体が触れあったに過ぎないけれど、それでも気持ちが落ち着いた。
お姉ちゃんがいたら、こんな気持ちなのかなと思った。
小さい頃、妹がよく、私の布団に入ってきたのを思い出したから。
手を握りたい、というより、手を握っていてほしいとさえ思った。
正直にそう話したら、玲香ならきっと、手を握ってくれたと思うけれど、実の姉妹でもないし、彼女はそんなのほんとうは嫌かなと思って、私は言えなかった。
だから、少しだけ、彼女の手の甲に触れ、その温もりだけ感じて、私は眠りについた。
家族のそばを遠く離れて眠るのは、私にはとても心細かった。




