第29話 高校卒業後 田舎町3 yui
結衣 yui
玲香は大きな幹線道路から、脇道に入っていく。
車道と歩道の区別のない、車同士がすれ違えるのかも怪しい生活道路を、玲香は進んでいく。
五階建ての四角い集合住宅が均等に配置された、団地のような一角が見えてきた。
玲香はその真ん中を突っ切って進んでいく。
途中に小さな公園がある。
曇り空の下、雨など降ってはいないものの、誰も遊んでいない。
いちばん奥に、周辺の四角い集合住宅の倍くらいはあろうかという高さと大きさの建物が見えてきた。
入口に掲げられた建物のネームプレートを見ると、公営住宅のようだった。
玲香はその入口に入っていく。
どうやら、彼女はここに住んでいるみたいだ。
天気のせいもあってか、中は薄暗い。
そこら中に蜘蛛の巣が張っているのを見て、このマンションには管理人さんのような人はいないのかなと思った。
管理人室のような設備も見当たらない。
玲香はエレベーターを素通りして、一階の廊下を進んでいく。
頭の上を小さな虫がたくさん飛んでいて、私は怯えながら進む。
玲香は気にしていない。
東京と違って、自然豊かだから、虫くらい出るだろう、とは思う。
この虫を捕まえるために、蜘蛛がいるのだろう。
生態系を感じる。
駅を降りたときに感じた異世界感が、増してくる。
やがて、ひとつの扉の前で、玲香は足を止めた。
表札は出ていなかったが、彼女がポケットから鍵を取り出したので、ここが彼女の家だとわかった。
バンって音がして、鍵が開いたのがわかった。
ギーって音がして、扉が開く。
カーテンが締め切られているのか、中は真っ暗だった。
「この時間、誰もいないから。入って」
玲香は短くそう言って、乱雑にスニーカーを脱ぐ。
私も玄関にあげさせてもらい、スーツケースを土間の隅に置く。
靴を脱いで、揃え、ついでに玲香の靴も揃えて、廊下にあがる。
「それ、そこ置いとくと邪魔になるから、ちょっと貸して」
玲香が私のスーツケースを掴んで、家の中に引っ張ろうとする。
「あ、足を拭いてないから」
「ん?」
玲香はスーツケースを廊下に引き摺りながら、ぽかんとした顔をしていた。
「スーツケースの」
私が指さすと、意味がわかったみたいで、
「ああ、いいよ。気にしないから」
と言って、玄関のそばの部屋にスーツケースを押し込めていた。
「こういうの持ってないから、扱いがわからんかったわ」
あっけらかんとそう言って、玲香は笑った。
私も笑って応じた。
玄関のドアを閉めると、真っ暗になった。
家の奥から、ぶーんという機械音のようなものが聴こえる。
耳を澄ますと、たまに、ぽこぽこって鳴ってる。
玲香は慣れた様子で廊下の奥に進み、明かりをつけた。
奥の部屋から漏れる明かりで、ようやく室内の構造がわかるようになる。
スーツケースの置かれた部屋をちらっと見てから、奥へ進む。
暗かったのもあって、物があんまり見えなかったから、物置部屋なのかなと思った。
奥の部屋はリビングみたいだった。
大きなこたつを囲むように、家具が配置されている。
部屋の大きさからは不釣り合いなほど、大きな画面のテレビ。
オーディオ機器のようなものが乗っている棚。
その棚の上に、固定電話の受話器がある。
うちも昔はあったけど、数年前に詐欺電話しかかかってこないと言って、パパが意を決して撤去していた。
学校に連絡先としても伝えていたから、いろいろと面倒くさそうだった。
小さな魚が泳いでいる、大きな水槽がある。
ぶーん、とか、ぽこぽこって音は、この水槽に空気を送り込む装置の出す音だったみたいだ。
水槽の脇に、お酒の一升瓶が並べられている。
エアコンはなく、石油ストーブが置いてある。
かすかに不快な臭いがする。
石油の臭いではないと思うけれど、なんの臭いかはわからなかった。
そのうち、鼻が慣れてきて、わからなくなった。
家の中は、こう言ってはなんだけど、あんまりきれいじゃない。
この家の人は、四角い部屋を丸く掃く人たちのような気がする。
代わりに掃除したい気持ちにもなってくる。
玲香はカーテンを開けないまま、買ってきたお弁当の入った買い物袋を、こたつの上に置く。
こたつの上に、千円札が無造作に置いてある。
誰のお金なんだろう。
「千円札あるよ」
気づいてないわけないと思うが、まったく目に入っていないかのように、玲香が振る舞うので、私は思わず、指摘した。
「ああ、これ。今日の食事代」
そう言って、玲香は千円札をポケットにしまう。
「朝、急いでたから、回収しなかったわ」
「どういうこと?」
普通に意味がわからなくて、私は訊ねた。
「お母さんが、今日は晩御飯作らないって意味」
私は一瞬、どういうことか考えてから声を出す。
「それでなにか買って食べなさいってこと?」
「そうそう」
クイズに正解したみたいな感じで、玲香が言う。
「ほとんど毎日作らないけどね」
「え」
思わず、驚きが声に出てしまった。
よくなかったと反省した。
「疲れてんだよ、お母さん。こっちに来たばっかりの頃は、よく作ってたんだけどねえ」
「働いていらっしゃるんだ」
「まあね」
「やたら小銭いっぱい持ってたのって、そういうことなのね」
私がカルチャーショックを覚えていると、玲香が笑いながら席についた。
「食べようよ」
私も座って、お弁当を食べる態勢に入る。
「あ、お弁当温める?」
玲香がコンビニ店員みたいに聞いてくる。
私は首を横に振る。
はじめて食べたスーパーのお弁当の味は、感動するほどおいしいわけでもなく、かと言って、もう二度と買わないと誓うほどでもなく、なんか、なんとも言いようのない味だった。
食材の味というか、単に胃袋を満たしているって感じがした。
「ここのお弁当、微妙でしょ」
私は思わず、声を出して笑った。
「おいしいから、おすすめなのかと思ったじゃない」
正直、コメントに困ってた。
玲香は、けらけら笑いながら、お弁当のおかずを口に放り込む。
「安いからさ。微妙だけど。味で言えば、コンビニのお弁当のほうが、はるかに質がいいよ。値段が倍くらい違うけどね」
もぐもぐやりながら、玲香は言う。
「期待して損したわ」
「それはね、期待するほうが、おかしい」
微妙と言いつつも、ふたりで笑いながらいただくお弁当は、なんだかんだと、おいしくは感じるのだった。
◇
お弁当を食べ終わり、玲香がキッチンにごみを捨てに行った。
私も立ちあがり、食べている間、ずっと気になっていた水槽を眺めてみる。
熱帯魚?
ではなさそう。
熱帯ぽくない。
観賞用というより、食用みたいな、地味な見た目の魚が数匹泳いでいる。
砂の中にも、ドジョウみたいなのがいるっぽい。
戻ってきた玲香に、私は訊ねた。
「これって、なんて魚?」
「知らない」
「魚、好きなの?」
「ん? 私が?」
「ん?」
「知らん」
「おまえさんの家でしょうが」
玲香は興味なさそうだった。
てっきり、ご家族で飼育しているペットのようなものだと思って訊ねたのだけど、ご両親の趣味だったのかな。
「玲香の部屋、見てみたい」
ここにいても、やることなさそうだなと思って、私は提案してみた。
「はい」
玲香は短くそう答えて、私を部屋に案内してくれた。




