とんがり帽子
誰だってノイズ――不協和音を耳にしたことはあると思う。それは物理的に起こされた音を指してもいるし、精神的に苦しめられているトラウマを指してもいる。脳内にいつまでもいつまでもこびり付くノイズは、物理的に耳にする嫌な音よりもずっと強烈だ。『ヒテリズ』はそういった人の心が抱えている自分自身を否定する言葉という名の音色に対する負の感情を魔物が抱えることで生じた魔女狩り――なーんて想像してみる。六割ぐらいは当たっていると思うし、物凄く的から外れているとも思っていない。だけど共感できるかって言われると無理な感じはする。『ヒテリズ』を『ヒテリズ』たらしめる要素を見つけ出さなきゃならない。
「でもその前に」
『ヒテリズ』の姿を捉える必要がある。共感した対象が臆病者だったからか、魔女狩りは私たちの前に姿を未だ晒していない。ナタリアさんの冷気で不快な音色も一旦は静まったものの、またノイズが奏でられ始める。
「だからうるさいって言ってるでしょ」
私なんて気にしてもいない問答無用で放たれる冷気が再びノイズを静まらせる。まぁもう共感しているから私は冷気を扇風機によって送られる涼しい風ぐらいにしか思っていないんだけど、『ヒテリズ』はそうじゃない。
不協和音の発生源に『ヒテリズ』がいる――という考え方は得策じゃない。自身の魔力を別の物体に押し付けることで気配をズラせる魔女を私は知っている。もし魔女狩りもそのような姑息な真似ができるのなら、発生源になにも考えずに向かえば手痛い反撃を受けちゃう。ナタリアさんが纏っている冷たいオーラそのものを一気に周囲一帯に放ったみたいなもので、音の発生源を狙ってはいても、正しく『ヒテリズ』を捕捉し、攻撃しているわけじゃない。『ヒテリズ』は冷気へ対応するために音色を止めているけど、それが有効打に至っていないがためにまた同じように不協和音を奏でるんだ。現に二度目の冷気を放たれたのに、不快な音色はまた同じように奏でられている。
「すっごいムカつくんだけど、あれなんとかできない?」
「一分以内に音さえ止めれば問題ないんですから」
「この私にその一分っていう制限時間を与えてきているのがムカつくのよ」
また問答無用の冷気の波濤を放つ。詠唱無しで馬鹿げた魔力を馬鹿みたいな範囲にばら撒いている。私だったらガス欠になるけど、この人にそれはなさそう。って言うか、周辺に起こる様々な影響をなんにも考えてない。そういうのって魔女になったら気にしなくなるのかと思ったけど、魔女見習いの段階からみんなこんな感じみたいだ。
こんな風に、無茶苦茶な出力でなにもかもを黙らせる感じ。自分の価値だけを押し付けて、相手の価値を尊重せずに潰し切る。そりゃ単なる魔力量での戦いならそれがベストだとは思う。
「出力を下げてください」
「なんで? 私に命令するの?」
「下げないと『ヒテリズ』を見つけられません」
「見つける必要なんてないわ。このまま辺り一帯を凍り付かせれば『ヒテリズ』だって倒せる」
「それ何時間掛かると思っているんですか」
「何時間だっていいわ。倒せればなんだっていいんだもの」
やっぱり滅茶苦茶だな、魔女だったり魔女を目指す人って。どうしよ、これだと『ヒテリズ』を見つけられないから刺して無理やり出力を下げさせるべきかも。
いや、刺さない方がいいか……ううん、やっぱり刺そう。あーでも、刺したら刺したで報告が面倒かも。
もはや『ヒテリズ』のことなんて後回しにして、私の頭の中にはナタリアさんを刺すか刺さないかの討論会が繰り広げられている。そんな中で、やがて『ヒテリズ』の演奏はナタリアさんの冷気だけでは止まらなくなる。
「ちっ」
ナタリアさんが舌打ちをする。面倒なことになった、とでも言いたいのだろう。でもそうしたのはこの人であって私のせいじゃない。自分で撒いた種が芽吹いてイラつくのだけはやめて欲しい。
「ほらぁだから言ったじゃないですかぁ」
反省してもらいたい気持ちは半分あるけど、バーカバーカと罵りたい気持ちが半分あるから煽っておく。
「なんとかしなさい」
「はぁ?」
首を傾げる。
「大体、向いてないのよ。居場所を突き止めることのできない魔女狩りなんて。私は盤面に見える相手としか戦えないから」
大層なことを言っているけど要するにお手上げってことだ。
「じゃぁ一つ約束してくれません?」
「なに?」
「もし『ヒテリズ』を引っ張り出せたら、下着姿をスマホで撮影させてください」
「ばっっっ!?」
放たれていた冷気が大いに乱れる。
「なにそれ!?」
「私、人を信じる前に弱みを握らないと駄目なタイプで」
「嘘つけ!!」
八割は嘘。やっぱりナタリアさんはすぐに見破る。
「なら嘘じゃない部分を説明します。私の師匠の知り合いに下着モデルを常々に募集している方がいらっしゃって、ナタリアさんが割とそのモデルに合っているんじゃないかと思って」
「それをなんでその人じゃなくあんたが言ってくるのよ!!」
「手となり足となり……じゃーなくて」
私は朗らかに笑う。
「私、既に下着モデルとして撮影されているんで同じところに堕ちてくれないかなと」
あくまで下着を魅せるためのモデル。いわゆるトルソーとかマネキンと一緒だ。売り出すランジェリーに適したモデルを採用する。決してそのモデルは売り出す品物よりも目立ってはならない。求められるのは体のラインだけ。だからその人のブランドではモデルが顔出しをすることはない。
まー今の世の中だと幾らでも特定できてしまいそうなのは変わらないけど。
「終わってる」
「ええ、終わってると思います」
だって知らないままに私はその仕事を押し付けられた。だからジルヴァラ・テイラーさんを私は心の底から嫌っている。でも、弱みを握られているから嫌いだけど話を聞かなきゃならない。そういう立ち回りが求められているのが私だけなのは、とってもとっても不愉快。だからナタリアさんを巻き込む。この人の体型なら恐らくジルヴァラさんも文句なしだろう。
「絶対に嫌」
「あと十秒ぐらいですけどどうします?」
『ヒテリズ』の演奏を私たちは既に五十秒は聞いている。
「七、六、五、四、三、」
「分かった!」
「契約成立ですね♪」
私はナイフを虚空――『ヒテリズ』の魔力塊目掛けて投擲し、不協和音を奏でていた音符が景色から現れ出でて砕け散る。演奏は鳴りやみ、驚いた『ヒテリズ』もまた自身を隠匿するため覆っていた魔力を溶かして現れる。
「あなた、最初から」
「はい。どこにいるか分かっていました」
「なら、さっきのは無し、」
「えへっ♪ そう仰ると思ったので、しっかりと対策を取っていますよ? 無しなんてあり得ません」
私はスマホを取り出し、ボイスレコーダーアプリがしっかりと録音中になっている様をナタリアさんに見せつける。
「一緒に堕ちましょうね♪」
まぁ別にナタリアさんが返事をしなくても死にたくないから私はナイフを『ヒテリズ』に向かって投げていたんだけど。
私には『眼』がある。アールさんと同じようでちょっと違う特別な『眼』が。それさえあれば魔女狩りが用いる魔法の数々に込められている魔力塊を砕くのは造作もない。でも私はアールさんと違って魔女が詠唱した魔法の魔力塊までは見えない。その代わり別の物が見えるんだけど、それは対魔女狩りとしてはあまりにも役立たずだ。
「『ヒテリズ』を盤面に出しました。あとはナタリアさんがやってくれるんですよね?」
「こ、ん……の、サイコパス」
「いいえ、私はサイコパスではありませんから」
「だったらソシオパスね」
「それでもありませんよ。他者への共感が欠けているサイコパスやソシオパスは魔女にはなり得ません」
そういう風を装っているだけで、実際のところは魔女の誰もが共感力を有している。
共感したいし、共感されたい。その欲望を抑え込み、魔女狩りへ共感するための感情を高め魔女に共感されないように他の感情を隠す。私とナタリアさんもその歪みの中にいるってだけ。
「さぁ早く『ヒテリズ』を倒しましょう」
魔道具のナイフを新たにポケットから取り出して、いつでも突撃できる姿勢を取る。
「刻印よ、」
「あれ? でも私たちって魔女狩りとまだ共感していませんよね?」
「描け」
私の疑問を聞いているのかそれとも聞いていないのか。どっちにしてもナタリアの詠唱は完成し、彼女の足元から『ヒテリズ』が出現した地点までの地面が、草木が、川の一部が凍結する。けれどそれそのものに攻撃能力はないみたいで、魔女狩りもなにが起きたのかと分からない感じで、でも防御はした方がいいみたいな本能的な動作で自身の肉体を大量の音符で構築する。一見してポップで可愛らしくも思えるが、顔のイメージがないためか作り出された口はあまりにも醜悪で、ありとあらゆる可愛さがそれだけで喪失してしまった。
「『魔女の大釜』じゃどうなのかは知らないけど、『ポインティハット』で共感は必要ない」
そう言ってナタリアさんはあたかも手元に帽子でもあるかのような仕草をしてみせ、そのまま存在しない帽子のツバを左手で摘まんだ動作を取り、目深に被る。
青い。どこまでもどこまでも青く、透き通っているのではなく黒く深く、冷たい青。ナタリアさんの放っていた魔力に辺り一帯がすっぽりと、まさに帽子に被せられたような感覚が走る。
いや、感覚じゃない。確かに私は今、ナタリアさんの魔力が充実した空間に囚われている。魔女狩りだけが用いる捕縛領域の空間超越とこれはとても似ている。
「私たちにはとんがり帽子――ポインティハットがあるから」
……そっか、これが『魔女の大釜』が『ポインティハット』と呼ばれる魔女の傭兵団を潰せない理由なんだ。『魔女の大釜』に所属する魔女が行う魔女狩り討伐と、『ポインティハット』の魔女狩り討伐は手順が異なるんだ。その違いはまさに魔力量。莫大で膨大な魔力を行使することで魔女狩りの自由を奪い、不自由にする。魔女側が用いる空間超越なのだから当然、魔女狩りは自らの意思で離脱することが困難になる。
でも、たったそれだけのためだけに辺り一帯を閉ざすのは効率が悪すぎる。別に空間超越に付加価値なんてない。ただ逃がさないだけ、ただ周囲に認識されなくなるだけだ。その部分をメリットと捉えろと言うんならそれは……死んでも魔女狩りを倒すという覚悟の証明ぐらい。一般人の私からしたら鼻で笑っちゃいそうな覚悟だしプライドだ。巻き込まれていることに嘆き悲しんだっていいくらい。
「どこに行こうとしているの? 『ヒテリズ』?」
凍えるような寒さなのだろう。醜悪な口から漏れる息は蒸気のように白い。しかし『ヒテリズ』はナタリアさんの言葉に恐れ戦いているというよりも、まさにこの瞬間を待っていたと言わんばかりに音符という記号を用いて、複数の不協和音を掻き鳴らす。
「順番を守ってください」
私はナイフを投擲して的確に破壊しながらナタリアさんに一応の助言をする。
「鳴らした順に音符を砕かないと恐らく、間に合わないかと」
一分。それが私たちに与えられている死への猶予。不協和音を掻き鳴らす音符を掻き鳴らした順番通りに追う必要がある。一つでも順番を取り零したり、忘れてしまっていたらそれは後に掻き鳴らされた演奏よりも長く演奏を続けることになる。十秒演奏している音符を無視してまだ六秒や七秒しか演奏していないあとの音符を破壊し、そこに三秒費やしたなら放置した十秒演奏の音符は十三秒演奏の音符になっているということだ。実際には音符の破壊に三秒以上を費やすに違いない。それらが堆積していくと、一分に到達する。
『ヒテリズ』にとって、それが私たちへのクリティカル。だから余力なんて残さない。全力による馬鹿げた量の音符が撒き散らされて、それらが一つずつ時間をズラしながら不協和音を奏で始める。
「盤上に出ている時点で私にとってはイージーゲームよ」
右手に握る魔道具――タクトをナタリアは振る。その動作一つで凍結した地面――銀盤が揺れ、氷像の鎧が生成されて意思を持っているかのように動き出し、氷像の剣で音符を叩き切る。
「トドメはあなたに譲るわ」
リズミカルにタクトを振り、生成される氷像の鎧は氷像の剣を手にして次々と音符を叩き切っていく。それも一つも順番を間違えることもなく、逃げ回る音符も正確無比に破壊している。
盤面って言っていたけど、これが言いたかったんだ。ナタリアさんは氷像のゴーレムを使役するタイプの魔女候補生だったんだ……あれ? でも、ゴーレムってホムンクルスが魔物に利用されることで生まれる存在だから、正確にはゴーレムじゃ、ない? 難しいな。
「ボーッとしてないでよ」
「はぁ……?」
「あんたのことだからどうせ私の力なんて借りなくたって『ヒテリズ』を倒せてたんでしょ? それを私に魔法を使わせたいがためにわざと力を隠している。そうでしょ?」
「買い被りすぎですよぉ」
えへへっ、と笑ってみる。
「あんたの顔を見ていると気持ち悪くなる。その理由がよーく分かった。私よりも強いあんたが、私に媚びへつらっていることに耐えられないのよ、私は」
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『強さを隠すのが上手だよね、ヒヨは』
『そんな、大袈裟ですよ。別に隠しているつもりなんか』
『あなたは自分の弱さを受け入れている。多分だけど魔女の中でそんな奴、一人もいない』
『一人も?』
『どいつもこいつも目がギラギラしていて、自分の強さを証明してやるんだって息巻いている。もしくは、弱さから目を逸らして知らないフリをして強い自分を前面に押し出して表現してる。幸福も不幸も、どっちもそれなりに相応のトラウマを抱えているのにさ、誰も自分の弱さを受け入れない。それは私も同じ。弱さを振り切ろうとしている。ヒヨはそれをしてない』
『だって私、弱いですし』
『そう、弱さを受け入れているから弱いと言われてもピリッとしない。ヒリ付かないから誰も気付かない。あなたを最初に見て、『弱い』と思った人はそれをそのまま受け入れる。自分の勘が正しいと信じて疑わなくなる。でもさ、それが大きな落とし穴だとしたら? あなたが実は弱いんじゃなくて強かったら? きっと、ワケも分からないままに叩きのめされるだろうね』
『もし……気付かれたら?』
『気付く人なんていないと思うよ? 両手の指で数えられるくらいだと思う。でもまぁ、それくらいで良いんじゃない? 必要な人間関係って。なんとかして弱みを握るか、なんとかして取り入って自分の味方にしなさい。もう死んだ私の知り合いの魔女は、私の強さを知るために友達になろうとするぐらいだったから、それぐらい貪欲さがヒヨには必要かもね』
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「行きます」
呼吸を落とす。落として、落として、深く深く深淵に至る。
必要な空気、必要な魔力、それらは全て最低限。リソースは最低限でいい。脳の処理も最低限。結論に至るものは最短距離で良い。
「あなたは私を傷付けた。私は反抗する権利があります」
ナイフを前方に。姿勢は低く。そして私は『ヒテリズ』へと歩き出す。
「ちょっと! なにし……て……?」
タクトを振りながらナタリアさんは私の悠長な動きに文句を言いかけるも、驚いた様子で言葉を続けなくなる。
いらない。私はいらない。
この場に私という弱者は不要。『ヒテリズ』にとっての優先順位を下げる。『ヒテリズ』は今、ナタリアさんとナタリアさんの魔法によって生じた氷像兵と戦うので手一杯で、弱々しい私なんて気にしていられない。
そう、強者の目には弱者は映らない。だから私は誰よりも気配が無くて、誰よりも存在感が薄い。
ヒタヒタと、魔女狩りという怪異に怪異の如く近付いて、けれどその間際に迫るまでは一切合切、認識されないままに、私はナイフを固く握り締める。
瞬間、私から放たれる感情の波をようやく感知して、『ヒテリズ』は私を視界に収める。
その全てが手遅れであるとまでは、察することができていない。
「こんにちは♪」
明るく笑顔でハキハキと。
「死ね!」
瞼を見開き、確実に。
私のナイフが『ヒテリズ』を構成する複数の音符を一気に刺し貫く。そこに魔女狩りの核たる魔力塊があるかは知らないけれど、どうにかこうにか形成されている人間のような音符の集まりからして、人間なら心臓がある胸部を刺したのは間違ってないと思う。
「刻印よ、描け」
私が突いたナイフに続き、ナタリアの氷像兵が次から次へと押し寄せては氷像の剣を『ヒテリズ』に突き立てる。周囲の音符は全て破壊され尽くしている。どうやら全て順番通りに音符を破壊し切ったらしい。『魔女の大釜』での経験で行けばこんなことで魔女狩りは死なない。でも『ポインティハット』式ならば致命足り得るらしく、『ヒテリズ』はなんとも表現し辛い不快な音色を奏でながら魔力を放出しながらその存在を消失させていく。
…………なんだか共感しないままだと感情を踏み潰し切れていないような気がする。私たち魔女は魔女狩りが抱く感情に共感することで恐怖させ、震え上がらせ、その感情を強く強く忌避して否定して踏み潰して倒す。そういう風に教えられて来たんだけどな。
「トドメは私に譲ってくれるんじゃなかったんですか?」
「念には念を入れただけよ」
魔力で編み込まれたとんがり帽子を脱ぐと、空間超越も解けて元の河川敷の景色が広がる。
「『ポインティハット』に魔力塊を持って帰るわ」
私のナイフが突き立ったままの『ヒテリズ』の魔力塊を掴み、刻印の中に回収してナタリアは一息つく。
「わぁナタリアさんさすがです~。私じゃとてもじゃないですけど倒し切れませんでした~」
パチパチパチと手を叩いてみる。
「うっざ」
「いえいえ、私だけじゃ絶対に倒すませんでしたから」
「はぁ……報告に戻るわ」
ぶっきらぼうに冷たく言い放ち、ナタリアは氷像兵を全て溶かしてから帰路へ着いた。それに私はただ後ろからニコニコと笑いながら付いて行った。




