ヒヨ・オノウエ
*
「起きろ」
頭を叩かれたわけでも体を揺すられたわけでもないのに、ガツンッとした衝撃があって私は目を覚ます。
「俺の運転がそんなに寝心地良かったか?」
運転……運転?
「ファルシュが運転?」
「ああ」
「アクセルペダルとブレーキペダルに足、届くの? あと子供が運転しているように見えたら大変」
「認識阻害は掛けてある。それに、意外と足は届くものだ」
「……免許は?」
「なんだそれは?」
怖ろしいことを言い出した。と同時に赤信号を前にして車は停止する。
「えっと、今、チラッと見たら右足でアクセル、左足でブレーキを踏んでませんでした?」
「踏み間違え防止になるだろう?」
「え、いや、え……?」
アウトなことをやっている。両足でペダルを踏み分けるのはNGだと教習所で教わることだ。いや、ファルシュはホムンクルスなんだから教習所に通っているわけもないし、免許を持っているわけでもない。色々と終わっている。
「俺が普通乗用車を運転している理由を知りたいか?」
「知りたくないけど」
「軽自動車に比べて普通乗用車は生存率がまだ高いからだ。トラックやバスといった大型車両との正面衝突ではほぼ助からないが、軽自動車と普通乗用車なら、俺たちの方がまだ助かる可能性が高い」
その事故すること前提で普通乗用車を選ぶ人はいない。
「それより、助手席で眠れるほど緊張感がないが、しっかりと対策は取れているのか?」
「え?」
「……アールからなにも聞かされていないのか?」
アール……アール?
「あー! はいはい! アールさん!」
寝惚けていたところに信じられない光景と信じられないことを言い出すファルシュがいたものだから思考が全くこれっぽっちも回っていなかったけど、やっと脳に血が巡り出した気がする。
「えっと、アールさんはなんて言ってましたっけ?」
ファルシュが項垂れる。同時に青信号になって車は急発進する。
「野良魔女集団への潜入だ」
「潜入?」
「いや、潜入とはいえお前はこれから野良魔女の集団に所属することになる。野良魔女の集い――『ポインティハット』だったか」
「とんがり帽子だなんて随分と可愛らしい名称なんですね」
「名称だけは、な。やっていることは『魔女の大釜』よりずっとずっと野蛮だぞ。ちゃんと資料には目を通したか?」
「えーっと……えーっと、あはは」
「笑って誤魔化すな」
そうツッコミを入れられてしまう。
「『魔女の大釜』を国公認の組織だとすれば、『ポインティハット』は民間が用意した組織だ」
「国軍とPMCみたいな?」
「そんなところだ。『魔女の大釜』が幅広く魔女候補を掬い上げるのに対し、『ポインティハット』はスカウト方式を取っている。思想や理念が洗脳的ではないが、どいつもこいつも過激なところがある」
「それは『魔女の大釜』所属も同じじゃないですか?」
私がアールさんと一緒にいて記憶に残っているのは配信者中毒と廃課金者とマッドサイエンティスト。あと石油王とのパイプを持っている人とイケ女とか。なんか、えーっと……合法〇リとかも言ってたっけ? なにが合法なのか知らないけど。
「予め魔女について知っているのなら適応も早いか。なんにせよ気は抜くな。恐らくだが仲間内での殺人は『ポインティハット』の方が多い」
どう反応したらいいか分からないことを言われたので「えへへ」と笑う。
「いつからそうやって笑うようになった? 自身の身に起こることかもしれないんだぞ? 笑い事じゃないだろう」
「分かんない」
「…………まぁ、分からないのなら仕方がない」
今、諦められた気がする。
「『魔女の大釜』が前年、魔女狩りの襲撃を受けたのは知っているな? その後、『ポインティハット』内部で随分と慌ただしい動きがあったそうだ。お前はまず、その辺りを探れ」
ファルシュが車を路肩に停める。違反駐車であることは免許を乗っていない私でも分かるので警察や警備員に見つからない内にと思って私は助手席側のドアを開けて外に出る。
「あと『ポインティハット』にはドライトの妹が所属している。『ポインティハット』に入ることを選んだのは姉が『魔女の大釜』に所属しているのが気に食わないからだそうだ。最重要人物だが要注意人物でもある。接触しろとアールもアミューゼ・ドライトも言っていないが、やむを得ず接触することがあったなら十分に注意しろ」
「はーい」
気の抜けた返事をしつつ私はスマホで現在時刻を確かめる。
「待て、忘れ物だぞ」
促されたので後部座席のドアを開ける。キャリーケースが二つあって、どうやら二つとも私の荷物であるらしくどちらも車から降ろす。
「さすがに健忘症を疑う。病院で診てもらったらどうだ?」
「意地悪なこと言わないで」
別に忘れてたわけじゃ……忘れてたかもだけど。いや、忘れてたわけじゃない。警察や警備員を意識し過ぎて荷物のことを考えられなかっただけ。そう言い訳を心の中でしておく。
「アールのために上手くやれ、ヒヨ・オノウエ。なにかあれば連絡しろ。『ポインティハット』はスマホの中身までチェックするようなヤバさはないはずだからな」
「もしヤバかったら?」
「壊せ、もしくは飲み込め」
「飲み込んだら死んじゃう。と言うか飲み込めるわけない」
「それもそうだ」
緊張を解そうとしてくれたんだろうけど微妙だったな。ファルシュって冗談を言えるタイプじゃないのは前々から知っていたことだけど。
ドアを閉じるとファルシュは荒々しい運転を披露しながら去って行った。私はスマホで現在地を確かめながらも目立たないようにその場を足早に離れた。多分だけど警備員に見つかったら事情聴取並みに質問攻めされるのは間違いないことだし。でも、監視カメラに映っていたらマズいか……マズいけど、どうしようもないか。だって運転していたのは私じゃなくてファルシュだし。
「自分で言ってあれだけど、PMCってなんか怖いな」
言うなれば傭兵。お金で守るべき対象を変える人たちだし戦場を転々とする。昨日までは味方だったのに契約更新で敵に変わる……なんてこともあるのかな。それともこのイメージはゲームやラノベのせいでズレてる? いや、ただ単に表現の一つってだけで本当にPMCみたいな組織ってわけでもないんだろうけど。
「なんで私、引き受けちゃったんだろ」
まだ『魔女の大釜』では魔女候補生になったばかりで、これから『六月作戦』だのなんだのとイベントが待ち受けているから早々にどこのお茶会に所属するかとかも考えなきゃなのに。アールさんにお願いされたからって危ない潜入ミッションを了承したのは早計だったかも。
「ヒヨ・オノウエか?」
「ひゃいっ!」
変な声が出た。訊ねてきた相手も私の変な声のせいで物凄くこっちを疑ってる。
「ひ、ヒヨ・オノウエです。突拍子もない声を出してしまって申し訳ありません」
「いや、背中から声を掛けたこちら側にも責任はある。だが、貴様は普段からそうなのか?」
「なにがですか?」
「その猫撫で声だ。それはわざとか? 作っているのか? それとも素か?」
「えっと、特徴的な声とは子供の頃から言われてました」
「変声期はあっただろう?」
男の子は声が低くなるけど女の子はあんまり変わらないとかなんとか聞いたけどな。
「ありましたけど、あんまり自分でも変わった気はしてないです」
「……そうか、いや、すまない。『ポインティハット』へ案内する。付いてこい」
「はい」
私は言われるがままに女性のあとを付いていく。
「『魔女の大釜』からの潜入だと聞いている」
「え、あ、え……?」
「そう驚くな。私は内通者だ」
「自分から言っちゃうんですか?」
「『ポインティハット』からも数百人単位で『魔女の大釜』には内通する者がいる。この二つの組織は一見して正規魔女、野良魔女という水と油のような関係に見えるがその実、根本的な部分では混ざり合っている。魔女狩りを撲滅するという理念は変わらない」
そんな当たり前のようにスパイ行為が出来てしまっているんならもういっそのこと一つの組織になっちゃえばいいのにって思ったけど、多分だけど一番偉い人の立場とか地位が一つにされたときに変わっちゃうのが困るんだろうな。これは私の勝手な偏見だけど一番偉い人はどこに所属していても一番偉い人でありたがるみたいな。社長が交代しても会長の座に就く感じ。あれはもっと高尚な理由があるんだろうけど、あんまり一般人からしてみれば良い話としては受け取れない、かな。あくまで私の価値観ってだけだけど。
「私の役目は貴様を『ポインティハット』に無事に潜入させることだ。まぁ潜入と言っても、正式に所属してはもらう。ただし、あまり目立つな」
「潜入ですから気を付けますけど」
「単純に『ポインティハット』が実力主義なんだ。『魔女の大釜』は様々な職業形態の魔女を所属させているが『ポインティハット』は魔女狩りとどれくらい対抗できるかが全てになっている。あまり成果を上げ過ぎるとコソコソとした活動もできなくなる」
逆に言えば強ければ信用を勝ち取れるってことかな? その強さの度合いが私には分かんないけど。
「ヒヨ・オノウエが来ることは事前に連絡をしてある。通常ならスカウトの時期を過ぎている今、貴様を『ポインティハット』は受け入れないが特例措置だそうだ」
「特例?」
「アールの紹介状が届いているらしい。あのカーライラム・フォージの弟子であるアールのそのまた弟子のヒヨ・オノウエ。これを拾ってみない理由はない。使えないようなら捨て、利用できるようなら利用する。たとえ『魔女の大釜』からの刺客であろうともだ」
女性は翻って私が着ていたコートのポケットに手を突っ込んできた。
「なにするんですか!?」
「それはこちらのセリフだ」
ポケットから手を抜いて、女性は私が隠し持っていたポケットナイフを見せびらかすとその場に落とす。
「貴様、私を殺そうとしたな?」
「してませんけど」
「……確かに殺気は感じなかった。だが、どうしてこんな物をポケットに入れていた?」
「護身用です。世の中、物騒じゃないですか。ちょっとぐらい身を守る武器を持っていたっていいじゃないですか。ほら、魔女狩りや魔物に遭遇した際に対処できますし」
「武器? これは私が見つけなければ凶器になっていたかもしれないのではないか?」
「そんな、被害妄想が過ぎますよ」
バレてないと思ったのに、なんで私がナイフを隠し持っていることに気付いたんだろ? 殺気は消せていたし、雰囲気に混じる違和感だって消し去れていた。所作が悪かったかな。それとも手をポケットに入れる動きに乱れがあった? 殺そうと思ったのに殺せなかったのは痛いかも。
「厄介な女を『ポインティハット』も受け入れようだなんて考えたものだ。『魔女の大釜』ではどういった教育を施されているんだ?」
「えへへ」
笑って誤魔化す。
「同性から嫌われそうな声だ。男性に媚びを売っているなどと噂されたことはないか?」
「ありますあります。一時期、それが原因で不登校になっちゃいまして」
まぁ不登校の原因は他にもあるんだけど。
「そこをアールさんに拾ってもらえたんです」
「なるほど。だが、魔女はその名の通り、女だらけだ。その声はなにかと敵を作る。意識してとにかく嫌われないような声を出すことだ」
「気を付けます」
私は再び歩き出した女性のあとを付いて行き、駅のエレベーターの前に到着する。
「あの、ここって駅じゃ」
「駅近は便利だろう? いや、駅地下か」
「なんにも面白くないですよ?」
じゃぁ『ポインティハット』ってなんの変哲もない電車の駅地下にあるってこと? もしかしてファルシュみたいに認識阻害を掛けることで一般人には気付かれてない、みたいな?
「驚くのも無理はない。だが、こういった場所の方がいざと言うときに外へは出やすい。電車も乗り放題だったならどれだけ便利だったか」
「満員電車に乗る魔女の姿とかあんまり見たくないです」
「それもそうだ」
女性がボタンを押してエレベーターを呼ぶ。
「行き方は?」
「魔力を感知すると自動で私たちを地下施設まで運んでくれる。魔物や魔女狩りであったなら、乗った時点で反応可能でエレベーターという鉄籠に捕まえることもできる」
「へー」
エレベーターのドアが開く。
「……? どうした、早く乗っ!?」
女性の背中にしっかりと深くポケットナイフを突き立ててから私はエレベーターへ乗り込む。
「馬鹿……な」
「にと~うりゅ~う♪ みたいな?」
実は右側のポケットだけじゃなく左側のポケットにもナイフは仕込んでいたのでしたー的な。でもキャリーケースを二個も引いていたからポケットに手を入れるタイミングがほとんど無くって、さっきは恐らくそれで失敗したんだと思う。でもエレベーターを待つこの時間ならキャリーケースから一旦、手を放していても不思議じゃない。さっき私から一つ目のポケットナイフを取り上げた時点で女性は私を上回ったと思ったに違いない。出し抜いたと思った相手に対しての警戒心は物凄く薄くなる。勝者が敗者の言い分に耳を貸さないのと同じ感じ。
だから刺すことができた。
「急所は外していますし救急車は呼んでいますから、重傷ではあっても重体にはなりません。ちゃんと助かります。もしかしたら後遺症が残るかもしれませんがそれはごめんなさい。あ、あと凶器の方は心配しないでください。これ、魔道具なので使い終わったらちゃんと消失します。なので、どこにも物理的痕跡は残りません。魔力的な痕跡は残っちゃいますけど、警察の人、そこまで分かんないと思うので」
頭を下げておく。
「ごめんなさい……で……済む、か……!」
「私、アールさんに言われていたんですよ。最初に接触してきた人物を病院送りにしろって。『魔女の大釜』はどうやらあなたから色々と聞き出したいことがあるみたいです」
エレベーターのドアが閉まっていく。
「それでは、ごきげんよう♪」
手をヒラヒラと振って、完全にドアが閉じられたのちハンカチで手に付いた血を拭き取る。
「アールさんの言う通り、魔女は物理対策が甘いな。トバリさんに沢山鍛えてもらっておいて良かった」
でも私を近接特化の魔女にはしたくないみたいなことをアールさんが言っていたことも知っている。だったら私は近接特化も出来て遠距離特化にもなれるような魔女になればいいだけだと思った。
なれるかは分かんないけど、目指すぐらいはできると思う。多分、恐らくきっと。
エレベーターは最初こそ動作音が小さかったものの、降りて降りて降り続けていく内にゴウンゴウンッとあり得ないくらいにうるさくなって、けれどそんな音もやがて静まった頃、ようやくドアが開く。体感としては五分ぐらい乗り続けていたんだけど、ずっと降り続けていたわけじゃないと思う。昔の戦隊やロボットアニメよろしく、どこかしらにカゴごと移動してたんじゃないかな。
「道案内してくれた魔女を刺すなんて、良い度胸してるじゃない?」
地下空間なのか地上空間なのか曖昧な景色に私がオドオドとしていると待ち構えていたかのように女の人が声を掛けてくる。
「えーっと、えーっと」
どう取り繕ったら誤魔化せるのかを考えながら手を後ろに回す。
「私も刺すの? 後ろポケットに隠してるんでしょ?」
まさに女の人が言うように後ろポケットに入れていた折り畳みナイフを手の中に隠しながら前に戻した。まるで先読みしていたかのような指摘だ。
「上の人に報告しますか?」
「しない。別にあなたが怖いからしないんじゃなく、報告したって私にメリットがないからしないってだけ」
「良かった」
「勘違いしないで」
氷のように冷たい眼差しで睨まれる。
「あなたなんて私なら簡単に殺せる。油断もしないし、肉薄されたって対処できる。私が道案内の人じゃなくて良かったわね。私だったら、あなたは死んでるんだから」
「言葉だけなら幾らでも言えますよね」
凄まれたけど怖くない。声だけ大きい人って意外といるから、この人もそういうのかなって思うだけ。もし殺されるようなことがあっても無抵抗のまま殺される気はないし。
「……正気?」
再び睨まれる。まぁ睨まれることを言ったのは私だからこれは仕方がない反応だけど。
「試してみます?」
煽ってみる。煽り癖があるわけじゃないんだけど、煽ったらどういう反応するかなーって興味はある。こういう冷たい眼差しをしている人が怒るとどんな表情を作るんだろうなって単純な疑問もある。
女の人はしばし私の動向を窺っていたし、なんなら感情の波も僅かながらに起こしてはいたんだけど肩で息しているのが分かるくらいの深呼吸を繰り返して、どうにかこうにか感情を抑え込んでいる素振りが見えて、僅かだけど怒気が込められていた表情にも再びの冷徹さが宿る。
「やらない」
「そうですか。あ、待ってください」
女の人が私に去ろうとしたので呼び止める。
「なに?」
呼び止めたことに怪訝な表情をされる。
「別れの挨拶ぐらいはした方がいいですよ」
「あなたと私、ちっとも接点がないのにどうして別れの挨拶をする必要があるの?」
「えーだって会話を交わしたらもう他人じゃないじゃないですか」
えへへ、と笑ってみる。
「気持ち悪い」
言われ慣れていることを言われたって気にしない。
「さようなら」
そんな私に女の人は諦めが付いたのか、それとも一種の防衛本能からか別れの挨拶をしてから足早に、或いは逃げるように立ち去った。
「白髪だけど内側――インナーカラーは青色。青み掛かった口紅、そして氷のように冷たい蒼白の瞳。今のがナタリア・ドライトさん……か」
目に通した資料の通りの人物だった。でも彼女に意識して接触しなくていいと言われている。それにまずは『ポインティハット』のトップに顔を見せるのが先だ。
「最重要で要注意って言われたけど注意してなかったな、私」
反省しつつ私は施設の奥へと鼻歌交じりに進む。




