昔のまま
男――まぁ私と同い年だから男子か。えーっと、男子にカフェに誘われたのは人生で初じゃない? もしかしたら小さい頃に家に招かれたりとかあったかもだけどあんまりちゃんと憶えてない。ただ別に小野上にどうこうという感情を抱いたことって一度もない。どうせならもっとイケメンに――いや、小野上は割とイケメン寄りなんだけどさ、ちょっとナヨナヨしてる。もう少し強そうなところ出してほしい。いや別に出されたところで好きになるわけでもないんだけど。
「このカフェ、魔法の呪文を唱えなきゃコーヒー頼めないと思ってた」
「え、なに? なんだって?」
あーわざと聞こえないフリをしているやつだ。こういうところあるからな、こいつ。中学の頃からなんにも変わってないじゃん。一々説明するの面倒臭いから放置しとこ。
「“なにミイナ? あんな男が良いわけ?”」
「“は? そんなんじゃないから”」
詮索は無用だ。私は全くなんにも思うところがない。懐かしさめいたものはあってもそれが恋心みたいなものに繋がらない。そういうのにときめくには積み重ねが必要だ。私とこいつの間には積み重ねがない。だから再会したところでときめくだけの燃料がない。
「“……まぁ、ミイナの目を見たら安心はするけど”」
私はどれだけ虚無めいた目をしているんだろうな。感情の波も色もなんにもないんじゃないだろうか。無風とか凪ってこういうのを言うんだろうか。
「それで早乙女は今までどうしてたんだ? 英語の強い高校に行ったのか?」
この流暢でもない拙すぎる英語を聞いてその感想しか出てこない辺り、英語の成績は壊滅的なんだろうなと推測できる。でも筆記はできてもリスニングとスピーキングは無理って人は結構居るから、小野上もそれかも。私だってこんな拙い英語――文脈として破綻していて、記憶している単語を繋ぎ合わせてなんとかセルバーチカに理解してもらっているスピーキングで英語が出来ているとは思えてないし、世界に羽ばたける気は全くしていない。
「高校には行ってない」
入試はお金が掛かるから受けられなかったし。師匠に拾われて一年間は勉強している余地もなかった。それに比べてもう高二の夏休みに差し掛かっている小野上は大学入試に向けて色々と準備を始めなきゃならない時期に来ているんじゃないだろうか。こんなところで油を売って親に怒られたりしないのかな。最近は有名私立大学を目指すなら塾に通っているのが当たり前みたいだし。いや、そういうところ私は全然ちっとも分からないんだけどさ。
「え……あ、なんか、悪い」
さっきまでの調子を沈ませて小野上が視線を泳がせる。地雷を踏んだとか思ってんだろうな。ちっともそんなことないのに。だって私にとって高校に行くとか行かないとか些末事でしかない。昔を知る人物と出会えば必ずその話題は出ると分かっていたし覚悟も出来ている。チクチクと何度も口撃してこなければイライラにまでは繋がらない。でもこういうセンシティブな内容って本人以上に刺激してしまった当人が困るものなんだなって。
「えっと、この子はセルバーチカ・ラスティー。良いところのお嬢さん。ワケあって、と言うか仕事で私はこの子と一緒にこの辺りを見て回っているの」
どう説明したらいいか分かんないから当たり障りのない説明をしてしまった。友達とか言えば良かったかな。でもそれを言うとセルバーチカがテンションを上げ過ぎて羽目を外しそうだから。
セルバーチカは小野上に目線を合わせ、僅かに首を傾げて朗らかな笑顔を見せる。落ち着いていた彼の視線が再び泳ぎ出す。チョロすぎだろ、この男。もうちょっと動揺を隠せよ。外国の女の子なら誰でも綺麗、美人、可愛いみたいな固定観念に囚われてそう。そりゃそうか、私だってセルバーチカのこの仕草はやり過ぎ、可愛すぎって思ったくらいだし。普段と違い過ぎてイラッともするんだけど。
「“可愛い子振ってどうするの?”」
「“あんたの容姿に負けないようにしただけでしょ。外国人ってだけで怖がられやすいんだから”」
「“私?”」
「“あんた、本当に自分の容姿への評価が低いわよね”」
なんでかは分からないけど呆れられている。
「“この男の視線の大半はあなたの容姿への好意以外にないのに”」
「はっ!?」
さすがに最後はたどたどしい英語とか不要の大声を出してしまう。
「え、なに。なに突然、大声出してんだ? 早乙女ってそんなだったっけ? そんな感じだったっけ?」
「黙れ」
「おおう、昔の早乙女っぽいな今のは」
このゴチャゴチャといらないことをいらないタイミングで足してくるのも小野上っぽいが、セルバーチカの言葉のせいで非常に煩わしく感じている。
無関心から揺れ動いたこの感情は、恋心――なわけあるか。正しくは嫌悪感だ。うわ、異性との交流ってメンドクセーって思っちゃった。
「もう英語はやめよう、セルバーチカ。って言うか、もうボキャ貧で続けらんないわ」
「あはははっ、私も雰囲気だけで話される英単語のせいで笑いを堪えるのが大変だったわ」
「え、日本語……日本語話せるんすか? ならさっきまで早乙女となにを話して……あ、いや、なんもないです」
私にはタメ口なのにセルバーチカには敬語っぽくなっているのがムカついたので睨み付けたらすぐに謝ってきた。大体、二対一の状況で強気に出られると思ってるんだろうか。
「想い出話をしたくてあんたの誘いに乗ったわけじゃないわ」
運ばれてきたアイスコーヒーを私は少しだけ飲む。
「『悪霊の棲む家』って知ってる?」
「…………そういう言い方はやめてくれよ」
「なんで?」
「昔、あそこの近くに住んでたんだよ。両親と一緒に引っ越したから、もう近所でもなんでもないけどさ。で、最近になってあの家にそういう噂が出ているって知って、困惑中」
「困惑する理由を教えてよ」
「引っ越す前、あの家の爺ちゃんと婆ちゃんによく世話になってたんだよ。俺んち、両親の帰りが遅くてさ。で、爺ちゃんと婆ちゃんがいつも面倒を見てくれてた。二人とも、もう他界しちゃったけど……ちゃんとお葬式にも行って、線香も上げたんだぜ? 気の良い人たちだったから、なんで『悪霊の棲む家』なんて呼ばれてんのか分かんねぇよ」
「あの家に男女二人が住んでいたのは知ってる?」
「知ってるもなにも、何度も見てる。爺ちゃんと婆ちゃんが死んでから、なんか知らない男と女が住み始めてさ。多分、息子か娘が財産分与かなにかで貰ったかなんかだろうな。でも俺、爺ちゃん婆ちゃんの世話になっていたときに一度もそいつらを見たことなくって」
小野上は男女二人を目撃はしていても、面識までは知らないってことか。
「話したことある?」
「ねぇよ。だってさ、昔に爺ちゃん婆ちゃんに仲良くしてもらった、なんて言ったって面倒臭いだけだろ? あっちだって俺のことは知らないわけだし。知らない奴がいきなり話し掛けてきたら怖いじゃんか。俺だったら引っ越すよ」
まぁ確かに新たに暮らし始めた環境下では近隣住民とは仲良くできても、昔の話を持ってきて近付いてくる輩を怪しむのは分からなくもない。その辺りは小野上も踏まえているらしい。高校生が首を突っ込んだら、ひょっとしたら危害を加えられる側になってしまうかもしれないもん。
「でもなんで『悪霊の棲む家』なんて言われるようになったの?」
「爺ちゃんと婆ちゃんが住んでいたとき、掃除が追い付かないからって家政婦――ハウスメイド……じゃなかった、今はハウスキーパーだっけ? そういう人に手伝ってもらっていたんだよ。気さくな人で、俺も何度かお菓子をもらったかな。爺ちゃんと婆ちゃんが他界してから、すっごくショックを受けたらしくってさ。もう仕事を請け負っているわけでもないのに毎日欠かさず家に行って、ずっとずっとずっと爺ちゃんと婆ちゃんが生きていた頃みたいに掃除を続けてたらしい。心を病んだんだろうって話があって、その内、精神病院に入れられたとかなんとか」
やっと実のある情報が出てきた。
「ありがと」
私はアイスコーヒー代をテーブルに出して席を立つ。その横でセルバーチカも自身のアイスコーヒーを飲み干して、小銭をテーブルに丁寧に置く。
「あ、おい。まだ俺、飲んでねーんだけど。ってか俺がコーヒー代ぐらい出すって」
「コーヒー代ぐらいで恩を売られるのはごめんだから」
「それでは」
セルバーチカがセルバーチカらしくない別れの挨拶をした。私たちはカフェから出てすぐに家へと向かう。
「ハウスキーパーの感情に共感した」
「その可能性が高いわ。あんたの昔馴染みもちょっとは使い物になるじゃない」
「なんにも嬉しくない褒め言葉」
「まー別に褒めてるんじゃないし。にしてもミイナは急ぎ過ぎじゃない?」
「地元に帰ってきて思ったんだよね。これ以上、身バレしたくないって」
「身バレって、別に悪いことして顔や名前を隠してないのに、なに身バレって?」
「私が地元に帰ってきているって小野上以外に気付かれたくないのよ」
やっぱり思った以上にリスクが高い。小野上に私が魔女だと知られるようなことがあれば……いや、なんの問題もなかったりする? 『魔女の大釜』は一般人に可能な限り目撃されるなとは言ってくるけど、ペナルティがあるって話は聞いたことがない。
じゃ、なんで魔女は世を忍ぶようにして魔女狩りを倒しているんだろ。大々的に魔女狩りの存在を公開して、もっと政府や国の支援を受ければ沢山の人を救うことができそうだけど。
「待て、待てって!」
後ろから小野上の声がした。振り返ると必死に私たちのところまで走り寄ってきて、必死に息を整えている。
「俺も行く」
「いらない」
「良いだろ別に。俺だってあの家が今、どうなってんのか知りたいんだ」
セルバーチカと顔を見合わせる。
「“カシューに連絡して家の中の物を隠しておくわ”」
スマホを取り出し、セルバーチカがカシューへと電話を掛ける。
「“お願い”」
正義感? それとも女の子だけで危ない場所には行くな、みたいな? どっちにしたってウザいだけだけど、どうせ拒み続けたって小野上は付いてくる。いらないお節介を持っている人ほど強情で意地っ張りで引き下がらない。どれだけ拒絶の意思を示したってワケの分からない精神力で喰らい付いてくる。
「この辺りを見て回ってるって言ったけど、実はあの家について調べろって上司に言われているのよ」
「上司って……どんな上司だよ?」
「オカルトとか学校の怪談的なものを特集する会社……みたいな?」
よくもまーテキトーなことを私の口は言うものだ。
「記者をやってんのか?」
「まーそんな感じ。上司が家に入ってもいいけど入るなって言われている部屋もあるから小野上も入らないようにしてね。でないと私が怒られるから」
「“カシュー? 私たちが持ってきた私物を全部、一番大きな部屋に押し込んでくれない? それで私たちが泊まり込んでいることを隠せるわ”」
「誰に電話してんだ?」
「さぁ? セルバーチカは日本に来たばっかりだから」
「にしては流暢な日本語だったぞ、さっき」
ああもう面倒臭いな。いっつもどこか抜けているイメージだったのに妙な部分への観察力がある。でもこんな一つ一つにまともに答えていたら嘘に嘘を重ねることになって収拾がつかなくなってしまう。
「小野上? 私たち、遊びで家に入るわけじゃないのよ。与えられた仕事をサボらずにやり遂げなきゃならない。あんたに話せることと話せないことがある。守秘義務ってやつ。それを破ったら私、守秘義務違反で会社を辞めさせられることになっちゃうから」
「そ、そうか。それは……そうだな、悪かった。気を付ける」
ある種の脅しだが効いたらしい。こいつは無意味に責任を感じるタイプだ。だからこそ、私が無職になったらと考えて踏み込まなくなった。自身の言動で他人が被る影響を気にする点は嫌いじゃない、好きでもないけど。
「なに? さっきからチラチラ見て」
話が一段落したのに小野上はまだ私を見ている。視線の行き先が胸やお尻や脚じゃないだけまだマシなんだけど、そんなずっと横顔を見られるのも不愉快だ。
「いや、えっと、早乙女って中三の夏休み前に告白されてたけど、あのあと付き合ったのかどうか……ずっと気になっていただけ、で」
「…………そんなことあったっけ?」
「え? 憶えてないわけないだろ。告白した奴、盛大にフラれたってしばらく大声で騒がしかったぞ」
「名前は?」
「あー…………あれ? 誰だったかな?」
小野上が考え込み、私もまた歩きながら考え込む。異性に告白されたことなんて一度もないはず。告白されたなら忘れるわけない。その人の名前もしっかりと刻み込むはずだ。
なんで私は憶えていないんだ? それとも小野上は私を誰かと勘違いしているのかも……? それはそれで腹が立つんだけど、今は誰と間違っているのか、間違っていないのなら私は誰に告白されたのか、それが重要だ。
けれど小野上の口から名前が出てくることはなく、私もまた誰に告白されたのかを思い出せそうになかった。そうこうしている内に『悪霊の棲む家』の前に着いてしまった。こうなるとお互いにまた話題を出すのは気が引けてしまい、小野上のせいで生じた謎は未解決のまま暗礁に乗り上げてしまった。でも、それはプライベートの話。『悪霊の棲む家』とは関わりがない。仕事が手に付かなくなっては本末転倒なので一旦、措いておくことにする。
「合鍵は持ってる。どうやって調達したかは教えられないけど」
不法侵入も致し方なしぐらいの気持ちで小野上が玄関ではなく裏手に回ろうとしていたけど、合鍵を見せてやめさせる。だけど言い方はもうちょっと考えるべきだったな。これだと私がなにか非合法なところで働いているみたいになっちゃう。『魔女の大釜』は決してまともなところではないけど、半グレに染まってるとは思われたくない。この心の機微は表現し辛い。犯罪者として思われたくはないけど、犯罪行為に足を踏み入れている。でもその犯罪行為は決して悪いことをするためにやっていることじゃない、みたいな。なんかこの言い訳をそのまま小野上に伝えたら通報されそう。この部分について取り繕うのはやめよう。変にこいつの中での私のイメージが損なわれていくだけだし。
……馬鹿みたいなこと考えたな、今。イメージが損なわれたって別に良いじゃん。私と小野上の人生ってもう交差することは二度とないんだからさ。
「ちょっと不気味なところですねー」
セルバーチカが初めて来たことを装う。物凄い棒読みに近いんだけど、外見のおかげで許されている。さっき流暢な日本語を発していたことを小野上も指摘していたけど、なにも言わないみたいだし。それともあれかな? 私にはなんでも言えるけどセルバーチカのことはあんまり知らないから控えているとかそんなところ? 距離感がまだ分からないから抑えているのかな。だったら私にもそう接してくれ。話をするのにも気を遣わずに済むから。
「もっとボロ家みたいになってると思ったのに」
「昔となにか変わっていそうなところってある?」
「いいや、なにも。なんにも変わってない。うわ、懐かしー。この陶器の置き物も前とそのまま…………」
「どうかした?」
小野上はなにか思うことがあったらしく、唐突に無口になってしまったので私が訊ねざるを得なくなった。
「…………この陶器の置き物、俺が割ったやつ、だよな?」
「知らないそんなの」
なんで知っているだろみたいな雰囲気で確認を求めてくるんだ。
「泣きながら謝ったんだけど、爺ちゃんは怒りもしなくって、むしろ俺が怪我してないか心配してくれたんだよ。で、割れた置き物は処分はしなかったけど玄関口には置かなくなったはず」
「同じのが二個あったとかじゃないの?」
「それはない。割る前に興味津々で置き物を見ていたら、単身赴任していた頃に仕事先で貰った物だって」
そんなものを割ったのか。
「泣いていた俺に爺ちゃんは『定年退職して気を遣う相手もいなくなったから、割れたところでなんにも心配いらない』って言ってた。そのときは定年退職ってなんだろうなと思っていたけど。だから同じのが二つあるのはあり得ない。あったら爺ちゃんは俺に言っているはず。なのになんで、あの頃のまま?」
「あの頃のまま、か」
ひょっとするとそこに共感できる余地があるかもしれない。私は不思議がっている小野上の横で、彼の昔話の一切に興味を抱くことなくそんなことを考えていた。




