『六月作戦』その6
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魔力の塊を矢としたものが雨のごとく降り注ぐ中をニャーシィはケラケラと笑いながら重力に反した浮遊で避けながら移動する。魔力の矢は一度は地面に突き立つものの、込められた感情によって再び動き出し、彼女を追尾する。
「あはははは♪ おもしろーい! でもそんなんじゃ私の心は射抜けない!」
拾った小枝をブンブンと子供のように振り回すだけでニャーシィの全周囲に不可視の魔力壁が張られ、魔力の矢はその全てが阻まれる。しかしながら、また別の魔力によって成された無数のつぶてが頑丈な魔力壁を打ち破らんとする。
「だからさぁ、単純な力押しじゃ私には勝てないよ! あとねあとね、私に喧嘩売ったんだから死ぬ気はあるんだよね?」
どことも知らぬ虚空へと問い掛けるようにして、ニャーシィは小枝に魔力を込めて、決して刻印に触れることなくテキトーに放り投げる。瞬間、自身を穿とうとした魔力の矢の速度を超える音速――一筋の雷光が疾駆したかと思うと怒涛のように押し寄せていた石のつぶてが勢いを失い、崩壊して雲散霧消する。
「私は1km先までなら魔力を追跡できるよ? 超遠距離への対応は魔女候補生のときに散々やったもん。まず最初に学んだかなぁ、対戦で負けたくなかったから。それでも追跡を得意とする魔女には逃げられてばっかりだったかな」
昔の想い出話を友人にでも語り掛けるように優しい声音でありながら、彼女が周囲に放つ感情の波は全て雷撃となって溢れ出し、魔力の矢の全てを貫き破壊する。
「私に刻印を使わせてみてよ! そこらの魔女狩りの方がよっぽど私を本気にさせてくれるよ?」
無詠唱ながらに魔力を魔法と等しい形まで仕上げているニャーシィは自身の才能に酔っているように空を見上げ、そして微笑むと再度、全方位へと雷撃を放ち、遂に周囲を漂っていた全ての魔力の矢が潰える。続けて手元に溜め込んだ雷撃が先ほどの小枝を投げたときのように一筋の光となって駆け抜けると、やがて彼女の周りには静寂が訪れる。
「あ~あ、楽しいのは最初だけだったな。水に押し流されてないんだからもうちょっと強い子と戦えると思ったのに。アイリスからは遠くから怒られるし、私にとってマイナスのことばっかりじゃん」
自らが起こしたことが間違っているとは一ミリも思うことなく、ニャーシィは意味不明な憂いを抱きながら着地する。すると、それを待ち侘びていたかのように地面から木の根が生えて、彼女の足を絡め取る。
「なにこの搦め手。つまんないんですけど」
空気の刃が木の根を切り裂く。続いて木の根を生み出した魔力の根源へと指先を伸ばし、親指を撃鉄に見立ててピストルのように構えると「ばんっ!」という一声と共に小さな魔力の塊が撃たれ、雷撃へと形を変えながら駆け抜ける。
「これでおわ、」
右斜め上空、まさにニャーシィが見上げたその先から包丁を携えた魔女候補生が翡翠色の瞳を煌々と輝かせながら迫っている。ゾゾゾッとニャーシィは鳥肌が立つ感覚に一種の快感めいたものを味わいながら、余裕の微笑みではなく挑戦者に対する褒美とばかりに鋭く睨み付け、三歩ほど下がって急襲をかわす。
「魔力の気配が一切無かった。気配を消せるの?」
問い掛けても魔女候補生は答えない。着地してからすぐさま驚異的なバランス感覚で動き回り、ニャーシィの習得している体術を上回る速度で背後へと回り込まれる。
「あはっ♪」
笑い、反射的に防衛魔法を展開する。包丁の一刺しを阻まれた魔女候補生はすぐに後方へと跳躍した。しかし、その反転も束の間、魔女候補生は再びニャーシィへと肉薄する。
「良いよ! 面白い! あなた、私の弟子よりもずっとずっと強い!」
自らを切り裂かこうとする者に対してひたすらに喜びの一色を表情で全力で表しながら包丁を軽やかに避ける。
だが、ニャーシィが考えているよりも包丁のリーチが長い。その見誤った距離感によって彼女は避けたはずの凶撃の一端を左腕に受ける。掠っただけだが、その切り口を炙るように炎の熱を感じ、すぐさま水属性魔法で冷やし、相殺する。
「付与魔法……珍しいね、魔女候補生の時点でエンチャンターに徹する子がいるなんて。目立てないから誰もやらないのに。で? そのエンチャンターはどこにいるのかしら?」
包丁を避けながら問い掛けてみるが、翡翠の瞳を持つ魔女候補生は戦うことに必死で返事がない。ニャーシィから見て、彼女からは感情の色に迷いを感じない。一切合切の全てを集中力に回しながらの戦闘だ。耳に入る言葉、鼻に入る香り、耳から入る音、それらから得られる情報を全て戦闘に回し、不必要な情報は全て切り捨てている。だからこそニャーシィでも避けることを選択するほどに近接戦闘の質が高い。それでも唇は僅かに震えており、そこに微かな恐怖への抵抗を感じ取ることもできる。
強敵、そして勝てるわけもない敵との戦闘。そう分かっており、弁えているが、それでも戦うことを選んだ。
「あとが無い。あなたたちはそう思っているんだ?」
恐らくはどこかで一歩出遅れたか、裏切られた。もしくは諍いに巻き込まれたか、同志を背中から急襲したが失敗に終わった。ニャーシィはそのように推察すると魔女候補生の動きがピタリと止まる。合わせて自らの動きを止めた。
「他の魔女候補生が私を狙っているときに漁夫ろうとしたけど、私がすぐに倒しちゃったからプラン変更。いや、ギリギリ急襲と呼ぶには間に合っていたからプランはそのままなのかな? でも大胆だね、あとが無いって思って一番強い私に戦いを仕掛けるなんて」
「あとが無いとか先が無いとかは考えていません。ただ純粋に確かめたいだけです」
「確かめたい?」
「わたしたちが力を合わせると、どこまで通用するのか」
「だったら、」
私じゃなくても良くない? そんな風に言おうとしたが、ニャーシィは魔女候補生の目力によって黙らされる。
「一番強い魔女に勝てば、この場にいる全ての魔女よりも強い証明になります」
「…………いーじゃん。最っ高だねその考え方。私もさー、下から順に倒していくの嫌いだから分かる。一番上を潰せば終わりで良くない、ってね。うんうん、分かる分かる。共感できるよ」
「な……?」
「この私があなたに共感してあげる。普通に戦ったら私はすぐにあなたを倒すことができちゃうけど、なんか楽しくなってきたからやーめたしてあげる。これであなたは私の魔法に耐性を得た。暗澹たる魔力じゃなく、無色透明な魔力であなたたちとは戦ってあげるからさ」
ニャーシィは刻印に触れる。放出される魔力量に魔女候補生が目を見開き、絶望の表情を見せる。
「三十分で死ななかったらあなたたちの勝ちにしてあげる。だからって三十分逃げ続けるって手段を取ったりしたら殺す。私とのダンスを三十分楽しんでね。トバリ・アメノ、そしてアウローラ・ガルシア」
「わたしの名前も……?」
「基本、面白い子の名前は敬意を持って思い出すようにしてるんだよ。覚えたところで思い出すに足らないほど弱い子だらけだから」
身構えるトバリを前にして、ニャーシィは力を抜く。しかし彼女が纏っているオーラに隙はなく、魔力は反して力強く高まっていく。
「刻印よ――」
*
「これまでも大量の魔女狩りと戦ってきた。どいつもこいつも馬鹿の一つ覚えみてぇに小難しい特性を持っていやがって頭の悪い俺からしてみれば発狂ものばっかだった」
シグネラの拳が私の体の脇を掠める。これだけで手を抜かれていることが分かる。わざと当ててきていない。私がどれぐらい戦えるかどうかを調べている。状況に合わせて秘めている力を徐々に高めていくつもりなんだ。
「でも、そこらの生じたばかりの魔女狩り連中は嫌いじゃないぜ? 奴らは自分が持っている魔力や感情を正しく理解できていねぇから、結局は肉弾戦に頼る。そういう奴らを俺はひたすらにこの拳で屠り続けてきた」
拳を打ち込んできたあと、間髪入れずの蹴撃。傾向は読めていたけど、実際に避けるとなるとこんなにも無理やりに体を捩じらないと駄目か。反撃しようと踏み込んだらシグネラは構わず突っ込んでくるから私は生存本能に邪魔されて回避に思考を移さなきゃならなくなる。つまり、反転攻勢に移れない。いや、出来ないようにシグネラに択を狭められている。前向きに、前のめりに。私はそう意識しながら短剣を振るっているけど、シグネラはそれら全てを理解した上で私が回避や逃げの一手を選ばざるを得ないように動いてくる。こんな刹那、一瞬の間に私の一挙手一投足を正確に把握し、そのときにおいて私が反撃に転じられるであろう避け先、姿勢、バランスといったものを見極めて、“こう避けさせたら反撃はできない”ように拳を打ってくるんだ。そうなると私がもし攻撃できたとしても、それはシグネラにとって分かり切った攻撃になる。それはわざと作り出した隙であり、隙だと思って攻撃した私に確実なカウンターを喰らわせるという宣言にも近い。
だから私は馬鹿みたいな突撃ができない。ひたすら攻撃してくるトバリには付き合ってもいいが、シグネラの場合は攻撃を強制されている感が拭えない。現にさっきの拳も私の剣戟へのカウンターで、手を抜いてくれていなかったら私は今の一撃で沈んでいた。
「テメェはどうだ? ミイナ・サオトメ。テメェはその手で、魔女狩りを屠り続ける覚悟はあるか?」
ひたすらに避け続けた上で、後ろに跳躍する。
普通なら追い掛けてくる。普通なら追撃を考える。でもシグネラはそうはしない。私の避け方からか、或いはその場のノリ、空気感、雰囲気から彼女はその場から動かない。
「刻印よ、笑え」
空気の刃が混じった強風がシグネラを覆い尽くす。
「刻印よ、震えろ」
彼女の真下から生えた複数の木の根が強風を全て払い除ける。
「隙を狙ってはみたものの」
シグネラの目がアンテオを捉える。
「不動のまま対処されてしまうとは思わなかった」
複数の木の根は茂みの中から奇襲を仕掛けたアンテオへと全て突き進む。彼女はそのまま捕らえられたり貫かれることを拒むように全速力で走り出し、木の根はひたすらに追っていく。
「刻印よ、叫べ!」
その木の根をジルヴァラの銀の炎が包み込み、焼き払いながら根本であるシグネラの足元を目指す。
「キーングレントとテイラーか。確かに魔力はどれもこれも一級品だ」
五指の刻印に触れながらシグネラは拳に息を込める。
「だがレアをコモンが倒すことだってあり得るのがゲームだ。Tier1がTier3に蹂躙されることさえあるのがゲームだ。要するに」
向かってくる銀の炎を拳で迎え撃つ。炎は渦を巻いて消し飛び、彼女が打った空間が震動したかのように凄まじい衝撃波が私たちを吹き飛ばす。
「質は強さに比例しない。扱う者次第でTier1は雑魚になる」
「これはゲームじゃありませんよ?」
吹っ飛ばされた先で着地し、すぐさまシグネラの前まで戻ってきて私は呟く。
「俺の目には魔女の世界で見る大体の物が数字に見えている。だがリアルとゲームを一緒にはしてねぇよ。ただ、ゲームで培った知識が俺の強さに上乗せされているってだけだ」
首を軽く回して、シグネラは「どうする?」といった意味を込めた視線を私に向けてくる。さっきの衝撃波で全員が吹っ飛んじゃったけど、一応はまた同じぐらいの位置まで戻ってきている。でもアンテオとジルヴァラの大体の位置は割れている。セルバーチカとアミューゼが同じように奇襲を仕掛けてもこの人は何喰わぬ顔で対応してしまう。だったら師匠の魔力を追跡させるのをやめさせてエリナにも全力を出してもらうべきか……いや、それは得策じゃない。この場面でシグネラを押し退けて師匠が現れることが一番最悪な展開。それを阻止するためにも師匠の位置は常に掴める状況じゃなきゃ駄目。
「煩わしいですわ」
銀の炎を纏い、ジルヴァラが宙に浮遊する。
「あなたに怯えるわたくしのこの感情が、とても煩わしい……!」
「同意だ、ジルヴァラ嬢」
茂みから飛び出し、アンテオが緑色の魔力を風へと変換しながら走る。
「「刻印よ!」」
銀の炎がシグネラ目掛けてその全てを焼き尽くすべく最大の火力を保ちながら周囲の景色を銀色に染め上げる。その銀色の景色の中、アンテオの周囲一帯だけを緑色の魔力が激しく乱舞する。
「わたくしは絶対の存在! わたくしにひれ伏せ!」
「私は上に立つ者。そんな目で私を見るんじゃない!!」
膨大な感情の波を察知してシグネラは防衛魔法を展開する。
「叫べ!」
「笑え!!」
銀の炎は真っ直ぐにシグネラを覆い尽くし、その防衛魔法すら打ち破る。更に緑色の暴風が銀の炎と混ざってファイアストームとなって縦横無尽に周囲を蹂躙する。
「ヤバい……」
惹き付けるだけ惹き付け――狙った地点での発動は出来なかったけど二人のアドリブによって刻印共鳴は発動した。問題は私がまだ退避できていないってこと。一応はこの日に向けて共感し合うことで互いに魔法が致命的なほどのダメージを与えないようにはしているんだけど、二人の魔法は共感しているはずなのに私の露出している肌が焼かれているんじゃないかと錯覚するぐらい熱い。共感していてもこの威力なら、共感していないシグネラからしてみれば地獄の業火にも等しいはずだ。
「銀と緑。感情の色も一級品」
ファイアストームの中からシグネラの声が聞こえ、その数秒後に彼女を覆い尽くしていた地獄の業火が爆ぜる。
「だが、まだ俺を殺すには届かねぇな」
ほぼ炭化しているシグネラに、焦げた地面から樹木の小人が現れ、彼女が手で握り締めていた小瓶を掴んで開かれている口にむりやり薬が流し込まれる。黒焦げの皮膚の全てを蛹が羽化するかのように内部から脱ぎ去り、ほぼ無傷のシグネラが現れる。全裸のまま焦げ付いたローブを纏って、唖然としている私たちを鼻で笑う。
「化け物」
セルバーチカが端的に抱いた感情を口にする。
「魔女の妙薬を使わねぇとは一言も言ってないぜ?」
「これも駄目か……」
私はジルヴァラとアンテオを見る。二人は感情の発露を限界まで出し切っていて、新たに魔法を唱えるには魔力を蓄え直さなきゃならないみたいだ。
「テメェは俺を誘い込むための餌。それだけの使命しか抱いていねぇのか?」
動じるな、惑うな、考えるな。考えずに動け。思考は可能な限り閉ざして、ひたすらに目の前のシグネラに集中しろ。
私はシグネラと熾烈な優位性の奪い合いを繰り広げる。どちらかの攻撃がどちらかの体に命中するとかしないとかそういう話じゃない。自らの動き、相手の動き、それら全てを踏まえた上でのカウンターや択の押し付け合い。速度としてはトバリとやり合ったときよりもずっとずっと遅いけど、決してその一手一手を安直に繰り出していいわけではない。気を抜けば全ての優位性を奪われ、拳が私を打ち、敗北する。もしかしたら死ぬかもしれない。死なないなんて可能性を考慮できるほど、この人から発せられる殺気が生易しいものではない。そんな私に少しでも助力するためにセルバーチカやアミューゼ、そしてエリナまでもが必死になって魔法を差し込むが、シグネラは一切合切を無視するかのように、しかしながら決して無視せずに綺麗に魔法を処理してから私との打ち合いを続ける。
どこまでもどこまで、届かない。この人とはどれだけやり合っても、私が勝つというビジョンが思い浮かばない。
でも、それは私にとってプラスの感情になる。いや、この感情を私が抱き、私が抱いているだろうなとシグネラに思わせることこそが最大の作戦だ。
「私は強くなきゃいけないの! やめろやめろやめろ、私をそんな風に見るな! みんなで私を置いてけぼりにするな!!」
セルバーチカが自らのトラウマを言葉で刺激し、感情の波を逆立たせている。だから私は無理やりシグネラから距離を取る。錆の炎が渦巻いて彼女の手元で幾本もの剣の形状となり、その切っ先が一斉に射出される。
「トラウマってのはセルフより他人に刺激される方がずっとずっと深い。理解されてねぇ奴に言われることがなにより腹が立つことだからな。とはいえ、俺がテメェのトラウマを刺激する傾向が見られないんなら、それが正解でもある」
飛んでくる炎の剣を一つ二つと避け、三つ目を拳で打ち飛ばし、四つ目と五つ目を木の根で掴んで受け止める。六つ目と七つ目は再び避け、八つ目と九つ目を真正面から受けた。身を焦がすほどの炎を浴びながらもシグネラは自身に突き刺さった剣を引き抜き、樹木の小人から放り投げられた小瓶を手にして中の液体を一気に飲み干す。火傷はたちどころに回復し、蒸気を発しながら彼女は当たり前のようにこちらに不敵な笑みを向ける。
バイタリティがありすぎる。それを成しているのは魔女の妙薬に違いないが、どれほどの傷を受けようとも決して気絶せず、死が間際に迫っていようとも生きることにしがみ付き、足掻くように動くはずのない筋肉を動かし、樹木の小人の補佐を受けながら再生する。魔力塊を貫けば活動を停止する魔女狩りの方が相手していてマシなんじゃないかって思う。
「エリナさん!」
「分かりました!」
アミューゼの掛け声に応答してエリナは師匠の追跡に費やす魔力を極限まで減らして感情の波を起こす。シグネラが二人へと走るけど、私が割り込んで阻止する。けど、時間稼ぎにしかならない。二人を守る以上、私の動きは制限されていてそこに拳と足技を駆使しての択を迫ってくる。ただでさえ狭まった選択肢の中で更に絞られれば私が取れる行動はもうほぼ一択しかない。
「くそ……」
悔しさを滲ませる言葉が思わず零れ出たところでシグネラが私を掴んで投げ飛ばす。
なんでこんなに私は無力なんだろ……。
「私は子供じゃない、私は大人でもない、だったら私は何者なの?」
「本当の私を知らない人が、私の外側しか知らない人が勝手に私を決め付けないでください!」
「はっ、なんだ? トラウマの見本市か? 悪いが、同情なんてできねぇな」
アンテオ、ジルヴァラ、セルバーチカ、エリナ、そしてアミューゼ。五人が自らトラウマを刺激しながら感情を発露させても、そのどれもにシグネラは共感してくれない。むしろ共感できない感情を前にして苛立っているようにすら見える。
きっと理解したい、理解してもらいたいという思いを抱えているんだ。だから理解できる感情を向けてこい、と。共感できるものを語れ、と怒っている。
「「刻印よ、」」
アミューゼの手元で白色の魔力が、エリナの足元から青色の魔力が噴出する。
「怒れ!」
「唸れ!」
無数の白金の刃がシグネラへと飛来し、魔力の水が彼女の足元を満たすと一瞬で青色へと凍て付いた。
「刻印よ、震えろ」
その場から動けないことを受け入れ、五指の刻印に触れた。彼女の足と同じように凍て付いていた樹木の小人が全て木の根へと変質し、その強固で分厚い防壁が白金の刃を寄せ付けず、続いて拳で足元の氷を砕く。ここまでの流れを全て見ていたわけじゃなく私なりに二人のアシストになるべく動いていたつもりだし、注意を惹き付けるために攻め込んでもいたんだけど、どれもこれもを合間にやり遂げられてしまう。
「これでテメェ以外は魔力の回復が急務だな」
目と目が合う。その束の間に、眼前まで迫ったシグネラに抵抗の意思とばかりに剣戟を放つも、それらを片手で跳ね除けて私は首を掴まれる。
「俺の強みは近接戦闘に特化しつつもカウンター型。そして魔女の妙薬頼りの回復力。そこまでは分かっていたはずだ。なのにどうして、そのどれもに対策を取らなかった? 取らなかったんじゃなく取れなかったなんて抜かすなよ。一ヶ月もありゃなんだって出来るんだからな」
私はなにも答えない。
五人の感情の爆発。感情の色の発露。それらを受ければシグネラはどこかで隙を見せるはず。そこを私が突く。そういう狙いもあった。そういう風に上手く行けばいいなと思っていた。
「どうした? なにか返事をしたらどうだ?」
「返事?」
「そうだ、返事ぐらいしろ」
「いいの?」
私は問い掛ける。
「そりゃ返事ぐらいはしてもバチは当たらねぇだろうよ」
「私には力が無いですから」
シグネラが目を見開き、やがて察して笑みを零す。
「俺に攻撃的な感情で共感させるんじゃなく、無力感で共感させてきやがったのはテメェが初めてだよ」
そして忌々しげに投げ飛ばされる。
「確かにテメェなら俺を共感させられる。実力があると信じて飛び込んだ先で、自分よりもずっとずっと実力を持った連中が跳梁跋扈していることを知り、そんな中で花を咲かせなきゃならねぇ焦燥感も、どんなに足掻いても足掻いても上がることができない実力不足。そして、どれほどに対策して覚悟していても被害が出てしまうことへの強い強い無力感。ああそうだ、テメェの一言で俺は共感しちまった。だがどうして俺がそれを常々に抱いていると思った?」
「初めて会って、一緒にゴーレムを倒しに行ったときから、あなたは後進の育成についてとても繊細な考え方を持っていました。でもそれは過去の自分を否定するためっていう自分勝手な一面でしかないと思ったんです。だって魔女がタダで人に優しくするわけありませんから。自分自身が経験してきたことを目の前で再現する後輩を見るのが嫌だ。過去に捨ててきた無力感をまた目の前で見ることになるのが嫌だ。違いますか?」
この人は私に優しいんじゃない。誰にでも優しいわけでもない。自分自身に――シグネラ・アーケミアにただ優しいだけなんだ。自己愛だけで生きている。自分を守るためだけに後進を育てる。同じ目に遭わせたいわけではなく、同じ目に遭っているところを間近で見たくないから。
「全部が全部、演技だったってか? テメェの首を掴んだとき、テメェが抱いているだろう感情を俺が勝手に想像するだろうことも見越してわざと無力感を見せていたのか?」
「演技で無力は見せられませんよ。私はただ、本当に無力だなぁと思っていただけです」
この無力感は常々に抱けるものじゃない。私はどこかで私に期待しているし、私はどこかで誰よりも強いと思い込んでいるところがある。強い自分で在ろうと努力することで内心の震えを払い、恐怖を破り、こけおどしの強さを形ある完全な強さに昇華できると師匠から教わっている。ならどうやってシグネラが共感してしまうほどの無力感を私が抱き、表に出し、言葉でその重みを持たせるのか。
それは五人の才能を目の当たりにすること以外にない。私よりもずっとずっと家柄に恵まれ、環境に恵まれ、私には考えも付かないトラウマを抱えながらも才能に溢れ返っている様。それこそが、私に正しく無力感を与えてくれる要因だった。
だから、シグネラへの対策を取らなかったんじゃない。これが取った結果なんだ。魔女の妙薬を気付かれずに処分したり入れ替えるのはほぼ不可能に近いし樹木の小人だって詠唱で幾らでも生み出せる。カウンタータイプの戦い方は普段から学んでいても突破できない可能性だってある。
私たちの作戦は最初から一点にしか向けられていない。シグネラを私に共感させること。ただこれだけ。だから私は事前に五人のトラウマについて知ろうとはしなかったし、ジルヴァラとセルバーチカを除いた三人が何色の感情を持っているかも知らないままにした。そしてその色によって見せる魔法についても無知でいた。
圧倒されることが無力の証明だ。私には無い物を見せつけられることこそが、最も私の感情を乱れさせる。
「あなたは人に共感しやすいんじゃない。自分自身の境遇に共感しやすいだけの人ですよね」
「……俺の共感の特徴をたった一日で読み解く。大した情報もねぇ魔女狩りにすら共感したことさえある。色が分からねぇ。感情の色が見えねぇからこそ、テメェは怖いんだよ」
振られる拳を私は避ける。さっきより明らかに動きがスローモーションに見える。わざとなのか、それとも私に共感してしまったことで私がシグネラの動きを読み解けるようになったからなのか、そこまではまだ分からない。
「テイラーはアージェント、ラスティーはギュールズ、キーングレントはヴァート。トキダはアジュール、ドライトは白色を継いでいる。確かにこのまま行けばテメェは俺を殺せるかもしれねぇが、色を出さない限り、テメェだけ魔女にはなれねぇぞ?」
殺せるなんて本気で思っちゃいない。だって今でさえシグネラの拳はどれもこれも一発でも喰らえばそれだけで戦闘不能になるんじゃないかと思うくらいの覇気が込められている。打撃でトラウマを刺激していないのにこの威力、そしてこの速度なのだ。トバリと戦っても同等だったけど、この人との立ち回りは常に私が一手遅れている上に択を押し付けられるからまともな立ち回りができていない。
「刻印よ、悔やめ」
近距離での雷撃を待っていたかのようにシグネラは避け、私へと拳を奔らせる。直前でアミューゼの放った木の根に掴まれて難を逃れるけど、それを追い掛けるようにシグネラの木の根が放たれる。エリナが追跡に魔力を費やしつつも補助として水の壁を張り、木の根を一瞬だけ阻み、それをセルバーチカが錆の火炎で焼き払う。
続いて、アミューゼとセルバーチカが揃って火球をシグネラへと放ち、動きを阻害させている間に私は態勢を立て直して、再びシグネラの正面へと駆け抜ける。
「どんなに俺が共感していようと、策もなしに飛び込んでくる奴をぶちのめさない択を俺は持ち合わせてない!」
拳に息を吹き込み、私を迎え撃つ構えを取っている。
「刻印よ、」
大切なのは色。感情の色。師匠から教えてもらった色じゃなくて、私だけの色。
「私を愛してよ! 私を、この私を! 私を見てよ!!」
『継ぎ接ぎの王』と戦った際の感情。これが私の基礎にある。これこそが私だけの色だ。
「悔やめ!!」
「白より白い雪色か」
雪色の雷撃がシグネラの体を貫いた。
「なんで……わざと受けて……」
感情の色を抑え込みながら私は呟く。シグネラは地面に横たわっていて意識があるのか無いのか分からない。ただ、この人がわざと雷撃を受けたことぐらいは分かる。私の魔法なんてその拳で弾けないわけがない。その手で打ち払えないわけがない。
「めでたさの前で野暮なことは無用だろ?」
体を動かそうとしている節はあるけど、動けてない。なんでこの人は気絶しないんだ。ビクビクしつつも私はシグネラのローブをまさぐって魔女の妙薬を全て手中に収める。樹木の小人はさっきその全てが木の根に変質したはず。どこにも見落としはない。
「動けたなら、置いてきた魔力を拾いに行けたんだがなぁ……」
いや、見落としていた。そうだ、この人は私たちに接近するために馬鹿げた量の魔力を近場の樹木に置いてきている。もしその樹木が小人なり巨人なりに変わって倒れているシグネラの傍まで来たら――
「そんな怖い顔するなよ。めでたさの前で野暮なことは無用だと言っただろ」
分からない。私にはシグネラの興というものが分からなかった。




