拳
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頭を掻く。どうしたものかと頭を掻く。こういった面倒臭いことは誰かに押し付けて、ゲームに没頭するのがシグネラの生き方だ。だが、自分の意思ではない巻き込まれ方をした場合はその限りではなくなる。こうなった根本的原因に対する怒りと、どうして事前に気付くことができなかったのかと自分自身への苛立ち。その二つを交えさせながらグツグツと煮える感情を抱きながらシグネラは暗闇を進軍する。転ぶだとかつまずくだとかは考えない。彼女はもしそうなったとしても抜群の柔軟性と運動神経でバランスを整えて歩く。多少は歩調が崩れることはあれ、一々、足元を気にして歩くのはシグネラのメンタル的にはあり得ない。なにかを考えながら歩くのもまた彼女の信条に反する。
物事というのは考えなくとも本能で理解できるものだ。思考回路を研ぎ澄ますよりも体を動かすことで結果を形とする。考えなしに進んで危機的状況に陥ったことは幾度とあれ、それら全てを踏み抜いて踏み潰して、踏み歩いてきた。
そんな彼女が溜め息をついて足を止める。足を止めざるを得なかった。暗闇の中で鎮座するのは両手に刀を持った魔女狩りだった。古風な出で立ちに一見して見えるが、それは外見的特徴に過ぎず内側には最近では珍しくないリーズナブルなインナーを身に付けている。さながら人間のように装っているが雰囲気は邪悪そのもので、間違いなくそれは魔が発する気配に違いなかった。
「通せんぼのつもりか?」
返事はない。シグネラは頭を掻く。面倒臭いことに巻き込まれた上に面倒臭い魔女狩りを相対してしまった。物事は行動によって決定される。そのことを踏まえるならば自身はこの魔女狩りすらものともせずに踏み抜く以外にない。そもそも魔女狩りを前にして踵を返すなど魔女としてあり得ない判断だ。
軽くその場で跳ねる。フットワークを軽くし、同時にステップを刻む。ボクシングのように拳を構え、いつでもパンチを放てるように集中力を高めていく。
「来いよ」
その一言を聞いた瞬間、魔女狩りが眼前まで迫って躊躇いなく刀を振るう。後退し、両手の斬撃を紙一重でかわしつつカウンターの拳を腹部へと打ち込むが、手応えがない。引いた拳に対して問答無用に刀が上から下に突き立てられる。
「くだんねっ」
血飛沫を浴びながらもシグネラは顔色一つ変えずに刀の突き刺さっていないもう一方の拳で魔女狩りの胸部を叩きのめす。肉体へと及ぶ衝撃は握力ごときでは太刀打ちのできない威力となって魔女狩りを襲い、刀を手放す。その隙に刀を引き抜いてシグネラはそれを放り投げる。
「聞いた通りだ」
口を開き、魔女狩りはニヤついている。
「なにが?」
「シグネラ・アーケミアは殴らなければ弱い」
噴き出す血が刃物のように鋭くなり、シグネラの体を縦横無尽に切り裂く。防衛魔術の展開で魔女狩りの魔力を跳ね除けるが、多量の出血に頭がくらむ。それでもローブのポケットに入っていたポーションを飲んで切り傷は癒えていき、視界の揺れもすぐに立て直す。
「見た目では治っているとしても、血をそう早く作り直せるわけでもあるまい」
落ちている二本の刀を拾い上げ、構え直して魔女狩りがシグネラへと跳躍して迫る。
拳と刀のリーチはあまりにも拳が不利。だがそれを補うためにシグネラには魔法がある。
「刻印よ、震えろ」
五指の爪先にある刻印に触れてシグネラは斬撃を避ける最中にその魔女狩りの手元に触れる。鍔と柄を辿り、魔力が芽吹き、樹木となって魔女狩りの顔周辺を一気に覆い尽くす。視界を遮られるだけでなく動きを制限された魔女狩りにシグネラは即行で近付き、その胸部に再び拳を打ち込む。
「効かないなぁ!!」
咆哮のような叫びを上げ、弾けた樹木の破片が全てシグネラ目掛けて射出される。どれもこれも見切って避け続けるも、その合間に挟み込んでくる魔女狩りの斬撃ばかりは凌ぎ切れない。
「はーマジつっかえ」
思い通りに避けられていない自分自身に苛立ちながらシグネラはポーションを更に飲んで傷口を回復させる。
「血までも増やせているわけではないだろう?」
再度、同様の質問を投げかけながら魔女狩りがシグネラの右側を取る。縦振りを避けると同時に魔女狩りはそのまま彼女の背後を取る。
「死ねぇい!」
「死ぬかよ!」
五指の刻印が輝き、樹木のカーテンが斬撃を防ぐ。
「あと残念だったなぁ。失った血液も増やせてんだよ、魔女の妙薬ってのは」
敢えてノロノロとした動きを見せ、油断させたところに一気の加速。シグネラは魔女狩りが振り返りざまに放つ斬撃を避け切って、拳を一度、二度、三度、四度と叩き付ける。
「がぁあああああっ!」
悶えながらも両の手を離れた刀が粉々に砕け散り、破片となってシグネラへと降り注ぐ。
「ちっ!」
舌打ちをして、引き下がることで破片の全てをかわす。攻撃に集中しても良かったが、その場合は相討ちになる。そんなものはシグネラの求めている勝利ではないため拒絶した。
魔女狩りと正面から殴り合う。刀を放り出した魔女狩りの動きは俊敏であれシグネラに追い付けない速度ではない。逆にシグネラの打撃も魔女狩りにとっては脅威に至っていない。
「おいおい、俺を殴るのは控えていたんじゃねぇのか? まぁテメェらみてぇな中級の魔女狩りはどいつもこいつも拳一つで殴りかかってくるからなぁ。魔力を魔法として唱えるよりも魔力を拳に乗せて打ち込む方が簡単だもんなぁ!」
「だが、それは貴様も同じだろうに!」
魔女狩りの拳の一切合切を寄せ付けず、自身の拳だけをひたすらに打ち込み続ける。近接戦を魔女が極端に嫌う中でシグネラはその範疇にはいない。魔女の中でも近接戦闘もこなすことのできる珍しいタイプだ。拳でのやり合いには自信がある。たとえ同格の魔女であっても魔法抜きで戦えるのなら勝てるとまで思っている。
「来いよ、もっと来い!」
煽っても煽っても魔女狩りの拳、その身のこなし、どれもが鈍重である。確かに速いがただ速いだけ。フェイントもなにもなく、真っ直ぐに繰り出される拳の数々はシグネラからしてみると欠伸が出るほどにノロマである。
「ほらどうした! もっと来、」
真下から大量の刃がシグネラの体を切り刻み、魔女狩りの手元へと戻る。
「やっぱり噂は本当だった。シグネラ・アーケミアは切られることに弱い!」
全てが誘いだった。殴打で仕留めるのではなく切り刻むことで殺す。その意思が未だ介在していた。勇猛果敢に攻め入ったが、シグネラの判断は蛮勇にも近い賭けだった。その賭けに負けたことで体中から出血する結末に至っている。そのことを彼女は理解しつつも、分の悪い賭けに挑んだ自分自身を悪いとは微塵も思ってはいない。
「何回も同じネタを繰り返してんじゃねぇぞ? このクソ魔女狩りが」
負け犬の遠吠えのように吐き捨てる。弱さを見せる、着実に。蛮勇とこの弱々しい言葉。それらは魔女狩りの感情を逆撫でするのではなく、昂らせる。
敗者を見下すことで得られる感情。勝者だけが味わうことのできる自身が対等ではなく上位であることへの強烈な優越感という名の美酒。それを飲み干すがごとく魔女狩りは雄叫びを上げ、勝ち誇って拳を天へと突き上げる。
その隙にシグネラはポーションに手を掛けようとしたが魔女狩りは見逃すことなく腕を掴み、ローブを引き剥がす。その際に零れた全てのポーションの瓶を魔女狩りは踏み潰す。
「面倒臭ぇ」
未だ飲んだ二本のポーションによって回復が促進されていても、即効性は失われている。だからこそ魔女狩りはここぞとばかりに一心不乱にシグネラへと打撃を叩き込む。腹部、胸部、両腕、両肩、そして頭部。ただの暴力によってシグネラは痛め付けられ、しまいにはゴミのように放り投げられる。
「勝った! 勝てたぞ!」
「っるせぇな」
これまでにない殺気を感じ取り、魔女狩りは臨戦態勢へと移る。それを見てシグネラは血混じりの痰をペッと吐き出し、自身の顔に触れる。
「殴ったな? 殴ったんだな……あーあーあーあー、殴っちまった。あーあー、俺を殴ってただで済むと思うなよ?」
「…………あ?」
ようやく魔女狩りは自身の感情の暴走を理解する。シグネラの敗者感、そして弱さの偽装が魔女狩りをここまで驕らせ、最終的に刃物という武器ではなく単純な暴力である拳を選んだ。それを選択するとき、魔女狩りは一切迷うこともなかった。思考はただ一直線にシグネラを殴り飛ばすことだけを考えていた。
「なんにも考えずに人を殴るのは楽しいよなぁ?」
「し、シグネラ・アーケミアは切り裂けば殺せる」
「オーケーオーケー、もう何番煎じだろうと許してやるよ。テメェは俺の逆鱗に触れた。触れさせたんだからもうテメェの発言云々にツッコミを入れる必要もなくなった」
腫れた瞼のせいで視界の半分もまともに捉え切れていないが、シグネラの内側で湧き立つ感情はそれすらも凌駕するほどの波となって辺り一帯に魔力として放出される。
「切り刻み続けていれば勝てんのに、馬鹿がよぉっ!!」
おおよそ人、もしくは魔の目ですら追い付けないほどの加速でもって間際に迫ったシグネラの拳が魔女狩りを打つ。吹っ飛び、壁に激突し、地面に落ちるまでの間に彼女は再び間際まで迫り問答無用でもう一度、強烈な拳を叩き込む。
「ボディのどこを殴っても俺は耐えてやる。けどなぁ! 顔だけはぜってぇに許さねぇ! ぜってぇのぜってぇのぜってぇだ!! テメェは今から地獄送りだよ! 生きちゃ返さねぇ! 肉塊の果てになっても殴り続け、テメェという存在をこの世から完全に消し去ってやるよ!!」
五指の刻印が緑色に輝き、地面に触れただけで大量の木の芽が芽吹き、それらが樹木の小人となって魔女狩りの周囲から一斉に襲い掛かる。ただ木の塊だと思い、蹴飛ばそうとした魔女狩りのその足に接触した直後に樹木の小人は形を変えてツルやツタとなって絡み付き、魔女狩りの体をみるみると拘束していく。
「この世の全ての理不尽をテメェに捧ぐ」
殴り、殴り、殴り、殴る。ひたすらに殴り続け、打ち飛ばされる魔女狩りだったが樹木の小人が連なって生み出されたツルやツタは異形にとっての唯一の逃避行動を徹底的塞ぐ。つまり、吹き飛んでもその身に絡み付いている樹木によって吹き飛ぶ余地がない。吹き飛んでも振り子のようにシグネラの元へと戻り、再び殴られる。
魔女狩りと樹木によって作り上げられたサンドバッグ。一心不乱に、同時に魔女狩りにとって絶望的な笑みを携えて、絶叫を上げながらシグネラは拳を打つことをやめない。指の骨が折れようとも、手を構成するありとあらゆる骨が砕けようとも、魔女狩りをただただ殴り続けることに狂喜乱舞する。異形として、或いは辛うじて人の姿を留めていた魔女狩りも殴られ続けることで肉体は徐々に変形を続ける。反抗とばかりに周辺に散らばった刃を放ってみるも、切り刻まれようともシグネラは殴るという行為を止めることはない。血を流そうとも、手がもう形を保っていなくとも構わず魔力を帯びた全力の殴打が続く。
「殴られることに恐怖を感じたか? だったら俺と同じだ。俺も殴られることは怖くて仕方がねぇよ! だったらテメェと俺は共感したってことだよなぁ!?」
殴り続けること五分。既に魔女狩りは息絶えている。既に肉塊へと変貌している。その死骸が体液を放出し切っている中でも変わらずシグネラは殴る。
「消し飛べ、ゴミが!!」
最後は強烈な緑色の魔力を込めた全身全霊の全力の拳打。サンドバッグの役目を果たしていた枝木やツル、ツタは引き千切れて死骸が爆ぜる。
「俺の“緑色”はテメェにはキツかったか?」
そう呟くシグネラの口元に樹木の小人がローブに残っていたポーションを流し込む。もはや手首から先が肉の塊となっていたシグネラの両手は少しずつその変形と損傷を回復していく。その最中に五指の刻印が緑色に輝き、爆ぜた魔女狩りの死骸が炎に包まれ消し炭と化していく。
「あー……………………マージでくだんねぇ。脱出シューターで不意討ち喰らってデスしたときの方がもっとキレるぞ」
発散はしたものの不完全燃焼。なにか燃え切っていない、燻ぶった気持ちを抱きながらシグネラは首や肩を回す。その間に手首から先がしっかりと動くようになり、両手が形を成していき、思い出したかのように落ちているローブからスマホと残っていたポーションを取り出して大きく深呼吸をしてから歩き出す。
「あーやべ、ウェンディにどう言ってまたポーションを貰うかな。あいつ人体実験以外で出してくれねぇからな」
そう愚痴を吐きつつも、口角は自然と上がる。




