四肢を基点に
♭
「今日は午後五時からコラボ。あと二時間ぐらい、ですか」
ルルルはスマホのアプリで配信予定日時を確かめ、ポケットに収める。辺り一帯はどこもかしこも真っ暗だが、段々と目が慣れてきたことで遠くを見ることはできないが、なにかにつまずいて転ぶこともない。歩き続ければ出口に辿り着くのか、それともまた別の要因か。現在はそのどちらであるかを足を使って確かめている最中だった。
仕事中に推しの配信は見たくない。ルルルは仕事とプライベートを切り離して考えるタイプだ。同時に仕事にプライベートが割り込んだり、プライベートに仕事が混ざることを酷く嫌う。マルチタスクで全てを均等に分割することができるならルルルとしても大歓迎であるが、必ずどちらかに聴覚か視覚が奪われる。その間、均等性は失われ、推しの配信を全力で楽しむこともできず仕事も自身が定めたところまで終わらせることができていない。そんな中途半端な結果がとにかく嫌いなのだ。
そのため、ルルルは早急に仕事を終わらせたい。合同食事会はほぼほぼプライベートな感覚での参加だったが、穴に落ちてしまってからはもう仕事みたいなものだ。今日はとにかくプライベートを謳歌する。そういう気持ちであったことも重なり、胸の内ではどうにも癇癪を抑え切れなくなっている。思い出すことは過去の嫌なことばかり。そして歩くことにさえ苛立ちを隠せなくなり、最終的には暗闇にすら殺意が高まる。
「どこのどいつかは知りませんが、そろそろ出てきたらどうです? 穴を作った犯人、もしくはさっきから私を窃視するかのように盗み見ている魔物」
苛立ちを言葉に変えて暗闇へと放り投げる。返事はないが荒い息遣いは聞こえる。それとも鼻息の荒さだろうか。明らかな興奮状態はルルルを盗み見ていることで得ている――というわけではなく、向けられている殺意から獲物を屠りたいという感情によって昂っているのだろうと推測する。
その殺意は唐突に暗闇から飛び出し、ルルルは殴り飛ばされる。強烈な一撃であったが魔力放出による防衛魔法の展開によって殴打による痛みも壁による激突も全て最小限に抑え込む。殴られている意図を探る間もなく、ルルルへとひたすらの殴打は続く。どれもこれも防衛魔法で受け止め切れてはいるものの連打は激しく、また暇がない。切れることのない拳の暴力をひたすらに浴びせられ続け、遂に我慢の限界を向かえてルルルは太ももの刻印を手の平で擦る。
「刻印よ、嫌え」
右手から伸びる魔力の鞭を使って、まずは拳を弾く。弾いて弾いて弾き続け、ようやく拳の全てを凌駕して鞭が暗闇の向こう側にいる肉体をはたき飛ばす。数度の激突と生じる土埃を鞭で払い、同時にボロボロになった防衛魔法の解除する。体へのダメージはさほどでもないが、続いた衝撃は少しばかり彼女の感覚に痺れを残す。しかし、その痺れを取り切ることもできずに暗闇の向こうで魔物が疾走していることを察し、感情の波を正す。
「ルルル・ラウド」
奇天烈な声に怖気が走る。死線を幾度も掻い潜ってきたルルルにとって、この怖気は一種の危険信号――自らを殺し切る力を持った対象にのみ肉体が本能的に反応する。
即ち、鞭ではたき飛ばしたのは魔物ではなく魔女狩り。そう断定した直後、ルルルの体は大きく大きく殴り飛ばされる。幾度となく地面に体を打ち、転がって転がって、自らの両の足で接地しても衝撃は殺せずにひたすら地面を滑り、ようやく停止したときには頭上から拳の乱打が降ってくる。これは大振りであったため避け切るも、避けた先に現れた魔女狩りがルルルを掴み、地面に擦り付けながら真上へと投げ飛ばす。
「鬱陶しいですね」
ボロボロになったローブを脱ぎ捨て、鞭で真下から跳んでくる魔女狩りを打ち飛ばし、自らは壁を地面として接地してから魔女狩り目掛けて落下する。
「刻印よ、燃えろ」
炎の鞭へと変えて魔女狩りに巻き付け、自らがされたように捕らえた肉体を地面に擦らせながら暗闇の遥か向こうへと投げ飛ばす。数度の炎の爆発が起き、暗闇の中に落ちて幾つもの光源となり辺りを照らす。
「鞭を使う、魔女」
「おや、知れ渡っていましたか。それはそれは光栄なことです」
投げ飛ばしたはずの魔女狩りは凄まじい速度で戻ってきて、岩を砕いて刃物へと変えて低い姿勢を取って突っ込んでくる。鞭でその動きを追い、捕らえようとするも幾つもフェイントが影となり、炎の鞭を惑わす。
「ちっ」
思わず出た舌打ちと、魔女狩りが間際に迫ったタイミングが完全に一致する。目と目が合い、魔女狩りの確かな殺意を改めて感じながらもルルルは防衛魔法を展開し、岩の剣による刺突を跳ね除ける。
「魔女は接近戦を嫌う」
大柄ではない。むしろルルルと――人間とほぼ同一の体躯。性別もどこか女性的。しかし口調はどれもこれも男性的。意味を理解して言葉を用いていることから中級以上の魔が成長した姿。
「魔女は下調べがなければ、ワタシたちに共感できない」
戦闘の速度が加速する。鞭の速度、そして魔女狩りの速度。そのどちらもが高まりに高まり、常人では目で追うことのできない速度へと至ったところで、唐突に魔女狩りは炎の鞭をその手で掴んでルルルを引き寄せる。
「共感できないのなら、ワタシは殺されない」
岩の剣を注視し、もう一方から来る拳をないがしろにした。ルルルは思い切り殴り飛ばされ、壁に身を打ち付ける。
「力任せではあるものの、そこらの魔女狩りよりもとても単純明快な暴力。変に魔法を使われるよりもずっと厄介とも言える。ホムンクルスが魔力を拳に宿すようなものでしょうか。それを真似たのか、それしかできないのか」
分析したことを口から発しつつ、ルルルは頬を伝う汗を拭う。いや、汗ではなかった。それはルルルの頭部の傷から垂れた血液だった。そのことに本人が一番驚き、しばらく信じられないといった表情で手を赤く染めた血を眺める。
「どうした?」
「いいえ、久し振りに血を見たものですから」
「なんだと?」
「血の色って赤かったんだなぁと。あなたたちの血はドブみたいな色なので」
挑発に乗ったわけではないが、魔女狩りはルルルの言葉を皮切りにして再び高速で動き回る。
「馬鹿の一つ覚えのように、ムシャクシャしますね」
そう呟きながら鞭の先端を幾つにも分かち、ルルルは魔女狩りが生じさせる全てのフェイントに対応させ、一撃を見舞う。しかしそれもどこか感触が軽く、決定打にはなっていないことを理解するとすぐさまその場から退避する。
「何度も言うが、ワタシに共感できない以上、お前はワタシに勝つことができない」
岩の剣を手元で回して遊び、魔女狩りは近場の岩を更に砕く。それらは全て鋭利な刃物となって、一斉にルルルへと射出される。単純な暴力のみならず一種の魔法の応用を見せたことに多少の焦りはあったものの、ルルルは全てを鞭で打ち落とす。
「勝てないと言っている」
真上――頭上に大量の岩の剣。それらは雨のように降り注ぎ、ルルルは防衛魔法を展開する。頭上に意識が向いたことで魔女狩りを鞭では追い続けながらも対処が間に合わず、迫られたその先で岩の剣は彼女の右肩を切り裂いた。
「まったく、これだからマルチタスクは嫌いなんですよ……」
激しい出血。それに伴う痛みに顔を歪ませながらもルルルは鞭を振るって魔女狩りの追撃を寄せ付けない。
「お前の鞭はもう全て見えた。あとは私が殺すだけ」
その言葉にルルルは笑みを向ける。
「あなた方はどいつもこいつも、私の魔法がたった一つ、或いは二つ程度と捕らえているようで困ってしまいます」
言いながらルルルは恐る恐る自らの右肩へと視線を落とす。
切り傷。それもかなり深い。久方振りにここまで自身の肉が裂かれた事実に多少の眩暈を覚える。続いて、心臓が強く脈打つ。
「あなたが、私の体を引き裂いた」
それはただの事実。今、この場で起こったことを端的に示した言葉。だからこそ魔女狩りもその言葉の真意が読み取れず、警戒はしてもその場から動かない。事実を言われたところで優位性は揺らがない。魔女狩りはルルルが動けば対応するだけでいい。
その甘えにルルルは差し込むように鞭の先端を大量に分かたせて周囲一帯へと走らせ、魔女狩りを最終地点として振るう。魔女狩りは溜め息をつき、拳一つで複数の鞭を叩き落とし、続いてその場から一気に動いて後方から迫りくる大量の鞭を全て集め切ったところで再び拳を打ち込んで弾き飛ばす。
「私の勝ちだと言った」
「あなた、私を切りましたよね? あなたが、私を、切り裂いた」
「……さっきからなにを」
「殴打からの切断。いいえ、気を良くして注意深く殴打ばかりを私へとぶつけていたのに我慢できずに切り裂いてしまいましたね?」
何度も確かめるように言われ、魔女狩りは徐々に指摘されたミスに気付いて顔を青褪めさせる。
「ルルル・ラウドを切り裂いてはいけない」
「ですが、切り裂いた。あなたは殴打に重きを置いていたのにも関わらず、切り裂かざるを得なかった。それはなぜか。私が、あなたが切り裂かざるを得ない状況へと追い詰めたからです。きっと、恐らく、絶対にそのようには思っていらっしゃらないでしょうが」
ルルルは鞭を収縮させ刃物に変えて、唐突に自らの右腕を切り落とす。
「な……に?!」
魔女狩りにとっても異常行動。自らのまだ正常に動く範疇にある右腕を切り落としたルルルの狂気に激しい動揺を見せる。しかしそれも束の間、ルルルは大量出血したまま魔女狩りへと突撃する。
「意味が、分からない!」
ルルルの異常行動にそう言葉を発しながら魔女狩りは彼女を岩の剣で切り裂く。それは上から命じられたことによる本能への反抗。殴るよりも切り裂くことを優先したことによる、ある種の魔女狩りにとっての異常行動。
その二つが噛み合ったことで、ルルルは自ら左太ももを差し出す形で魔女狩りにわざわざ切り落とさせた。
「あはははは♪」
「狂ってる!」
「どちらが?」
笑いながらルルルはその場に転がり、地面に横たわる。魔女狩りは気味悪そうに彼女を蹴り飛ばし、トドメを刺すべく追撃へと向かう。
「勝負を」
前から聞こえた声が消える。
「急ぎましたね?」
しかし続いた言葉は魔女狩りの後方から聞こえる。振り返った直後、狂気の色に染まったルルルの顔が魔女狩りの眼前にあった。その動揺、その混乱、その困惑をルルルは見逃さない。左手から伸びる大量の魔力の糸を魔女狩りに絡ませて着地し、着火させる。
「ぐ、ぐううぅうう!」
唸り声を上げながらも魔女狩りは炎の糸を岩の剣で切り裂いて逃れる。
「どこへ」
視界に収めたルルルが消える。
「逃げるつもりですか」
再び真後ろに彼女が立っている。
魔女狩りは目を見開く。切ったはずのルルルの左太ももは繋がっていて彼女は立っている。その事実によって激しく困惑している魔女狩りをルルルは再び糸で絡め取るべく放出する。後方へと跳んだ魔女狩りの左手を捕らえ切って、笑いながら糸を引き寄せる。すると糸で絡め取った魔女狩りの左手は魔力の糸に接触した部分から寸断され、細切れの肉塊となって落ちる。
「アァアアアアアアッ?!」
「あはははははっ♪」
ルルルは悶絶する魔女狩りに笑いながら近寄る。魔女狩りはそこで彼女の欠損したはずの右腕が修復されている事実に気付く。
「なんで、なんでなんでなんで!?」
「教える義理はありません」
言いながらルルルは迷わずに糸を束ねて右腕を再び切り落とし、続いて左小指を切断する。それらをぞんざいに放り投げながらルルルは血に染まる自身に恍惚の笑みを浮かべる。
「ただヒントを差し上げるならば、置いておかないと私の存在が世界から拒絶されてしまうといったところでしょうか」
「テレポー、」
最後まで言い切る前に魔女狩りの正面にいたルルルは右腕を投げた先から現れ、魔女狩りを糸を束ねた鞭で打ち飛ばす。
「っ! だとしても! 共感していないお前が私、に……?」
赤く、赤々と、煌々と、爛々と。ひたすらに真っ赤な魔力がルルルを覆い尽くしていることに魔女狩りは絶句し、やがて獣のような雄叫びを上げて真っ直ぐにルルルへと迫る。
ルルルの首を魔女狩りは岩の剣で断ち切る。驚くほどに抵抗なく切ることができた。呆気ない決着ではあったが、ひとまずの勝利の余韻に浸る。
「勝っ」
「――てないんですよね、これが」
刎ねた首だけでルルルは言葉を発し、直後に投げた右腕の地点で彼女は再構築され魔女狩り背後を取る。愕然としている魔女狩りの様を滑稽に思い、彼女は奇声染みた笑い声を上げる。その恐怖に魔女狩りは本能的に振り返る。だが、彼女は再び左小指を切り落とした地点へと飛んで背後をもう一度取る。
「鞭を使うのではなく、糸を束ねた鞭を使っているだけです。糸そのものを過小評価してくれるかと思いきや、意外とあなた方は危険視する傾向がありましたので、鞭という分かりやすい形を取らせているんですよ」
「待て、待て、ワタシは、ワタし、は」
最後まで言い切る前に赤い血に塗れた魔力の網が魔女狩りに覆い被さる。
「あなた、今、怖くなりましたね? 私に怖れましたね? その感情に私は共感可能です。私も私が怖いので、一緒です」
にこやかに、朗らかに、ルルルは死刑宣告を告げる。
「私を切り裂いてくれて――私という美しさに傷を付けてくれて、ありがとうございます。とてもとてもとっっっっっっても、そそりました! 私の中の『赤色』が歓喜するほどに!」
ひたすらに真っ赤な網に触れた魔女狩りの体は豆腐のように、しかしながらゆっくりと寸断される。大絶叫の果てに残るのは細切れにされた肉塊だけだった。
「…………さて、シグネラ風に言うならばイージーゲームでしたね。全く問題ありません」
ボロボロのローブを拾い上げ、中からスマホを取り出す。
「推しの配信まであと一時間四十分。この魔女狩りが穴を空けたわけではなさそうです。歩いていればその内、当たりに遭遇できるなら嬉しいのですが。コラボグッズのランダム性よりもずっと厄介な仕様だったら、どうしたものでしょうか」
いつも通りの声の調子。普段通りのルルルへと感情の波を戻しつつ、面倒臭そうに彼女は出口の見えない暗闇を歩く。
魔女狩りとの遭遇をちょっとしたハプニング程度に扱いながら――




