人魚⑮
「驚いたわ。本当にあなたたちは強いのね」
頭にボウガンの矢が突き刺さり浜に横たわる魚人、チョコちゃんに食い散らかされた魚人だったもの、襲い掛かろうとした姿そのままで石化した魚人の彫像を見て、アウラは感嘆するような声を上げた。
「自分、これでも狩人っすから」
「吸血鬼とは言わないんだな」
「狩人歴のほうが長いし。それに今だって吸血鬼としての力じゃなくて狩人として狩ったでしょ」
「チョコちゃんは吸血鬼パワーの一部じゃねぇか?」
う、という顔のハクがチョコちゃんから眼を逸らした。
当のチョコちゃんは魚人を貪り続けているが、顔が魚とはいえ手足があると人間に見えて少しグロテスクである。
ルシアンは特に気にしないようだが、アウラが自分を抱いている不和の顔を見上げれば、いろいろとついていけていないのか気分が悪そうだ。
「眼を逸らしてもいいのよ? 無理に見る必要なんてないわ」
これで魚を食べられなくなってしまったら困ってしまう。
あまり不和に無理をしてほしくないアウラはそう声をかけた。
「ああ、いや大丈夫だ。しかし始めてグリムという存在を知った時には高揚感や興奮を感じたが、実際にその危険さを見ると恐ろしさを感じてしまうな」
「それが普通っすよ。自分もグリムって怖いですし」
「何言ってんだよハクも怖がられる側だろ。グリムなんだし」
「それはそうだけど」
吸血鬼という恐ろしいグリムの代表みたいな存在が何を言っているのだろうか。
肌が焼けているのもそうだが、外見も中身も本当におかしな吸血鬼だとアウラは思う。
おかしいと言えば隣のメドゥーサもだが、あの魔女やその人形も含めて本当に敵にはなりたくないグリムばかりだ。
だが彼女たちのおかげもあって不和にグリムの危険性が正確に伝わったことは喜ばしい。
不和は魔女のミュージアムの話をたびたびすることがあったが、言葉の節々から少しグリムに対して夢や幻想といったものを抱いているように感じたので、アウラからするとグリムの危険性をしっかりと認識してほしかったのだ。
そうでないと話が先に進まない。
「グリムの世界でいえば、私や彼女たちのような存在が特殊なのだと思うわ。きっとほとんどは危険なものよ」
「そうだな。私は運がよかっただけのようだ」
念のためにと改めてグリムは危険であるということを伝えれば、不和は現実をしっかりと受け止められているようだ。
であれば次へ進んでよいかもしれない。
アウラがそう考えているとタイミングよくルシアンが望んだ方向へ話を変えてくれた。
「しかし女王もしつけぇな。魚人を送り込んでくるなんてよ」
「よっぽど私を殺したいのでしょうね」
「自分らが守るので安心してください。……けど、仲間の人魚さんたちが生きてるといいっすね」
「ありがとう。優しいのね。でもあまり希望は持たないことにするわ。叶わなかったときに傷つくもの」
本当にこの吸血鬼は吸血鬼なのだろうか。
優しすぎて逆に不気味でもある。
「でも店長と先輩が狩りに行ったので、きっと女王を狩ってくれるはずっす! もし無事な人魚がいたら連れ帰ってきてくれるはずっすから希望は捨てないほうがいいっすよ!」
心の底から励まそうとしてくれているハクを見るとあまりにも眩しすぎてアウラの心に僅かばかりの罪悪感が湧くほどだ。
どうにも居心地が悪い。
(こういう純粋すぎる人というのも困りものね。グリムらしくないわ)
対して隣のルシアンはハクほどこちらを信じ切っているようには見えない。
どことなく様子を窺っているように見えるが、むしろそういった反応のほうが当然だろう。
アウラは内面を悟られないよう、彼女たちと出会った時から変わらぬ笑みを浮かべて見せた。
あくまで女王として毅然と振舞っている、という風に見えるように。
「でもよ、もし仲間が全滅してたらアウラはどうすんだ? 一人で生きていくのか?」
その質問は重要だ。
ルシアンの問いかけにアウラは瞳を伏せ、憂い気に思案する表情を作った。
見せるべき相手は不和ただ一人。
彼に伝わりさえすればそれでいい。
「そうね。仲間もいなくなってしまったし一人で生きていくしかないけれど、女王である以上ほかの人魚からも狙われるでしょうし、この広い海をたった一人で生きていくのは難しいかもしれないわ」
「アウラ……」
悲痛そうな面持ちの不和を見れば彼の心が手に取るように分かった。
娘のように育てた人魚が晴れて仲間たちとともに生きていけると思いきや、たったの一日でこんな悲惨な状況になってしまっている。
仮に今日累たちが問題の女王を狩ったところで明日から何の問題もなく海で生きていけるとは到底思えないに違いない。
そう物語る表情にアウラは胸の奥が熱くなる。
やはり自分がいるべき場所はここなのだと確信するほどに。
そして不和がアウラの望んだ言葉を投げかけた。
「もしアウラがよければ、一度私の家に戻るか? 私が想像していた以上に海は危険な場所だったからな。そんな場所で生きて行けとはとても言えない。私の家で今後どうするかを落ち着いて考えてみてもいいだろう。それに…少し落ち着いて話したいこともある」
願ってもないことだ。
今すぐに飛びついて彼とともにまた一緒に暮らしたいという欲望に身を投げ出しそうになるが、それでは根本的な解決にはならない。
『一度』ではなく、『永遠』でなければ。
アウラは燃え上がった炎を抑えるように胸に手を当て、これは作った表情ではなく本心からの苦悩を宿したまま不和に向けて首を振った。
「そうできたらどれだけいいか……でも人間と人魚が共に生きていくことは難しいわ。それにたった一日だけど人魚たちと共に過ごしてよくわかった。私のような怪物がカイセイのそばにいれば、きっとあなたを傷つけてしまう」
人間とグリムではだめなのだ。
あの累とフィズのように、同じステージに立たなければ共に生きていくことなどできない。
「私が人魚でさえなければ、カイセイと一緒に生きていけたのにね」
「……そうだな。もし、お前が人間だったなら……」
人間だったなら、きっと一緒に暮らすことができただろう。
けれどそれでもアウラの願いは叶わない。
なぜなら不和には時間がないのだから。
「さて、ハクとルシアンならこのままカイセイを任せても大丈夫そうね」
「ん? どういう意味だよ?」
時間は限られているし全てはもう動き出した後だ。
いつまでも不和と話していたい衝動に駆られるが、そうのんびりもしていられないとアウラは話を先へ進める。
「私は海に戻るわ。累とフィズが戦っているのに女王の私がここにいるのは許されないもの」
「な、駄目だそんなことは!」
アウラの発言に驚いたのはハクとルシアンもそうだが、やはりというべきか誰よりも驚いたのは不和だった。
そしてアウラを引き留める言葉とともに彼女の腕を強く掴んでいる。
その想いが心の底から嬉しい。
しかしそれを永遠にするためにもここは行かなくてはならない。
「私の心配をしてくれることは嬉しいわ。でも女王として行かないと」
「しかし危険だ!」
「人魚の世界はそういうものみたいね。でも行かないと。ルシアン、悪いのだけれどまた運んでくれるかしら」
「いいのか?」
「ええ」
アウラが自身の腕を掴んだままの不和の手にそっと触れ、そしてゆっくりと離させた。
そしてルシアンはアウラを持ち上げると、浜辺へとゆっくり歩き始める。
「じいさんと一緒にいることを選ぶと思ってたぜ」
「あら、あなたは私のことをよく見てるのね」
ルシアンの言葉にアウラは少し驚いたように笑って見せた。
「でもさっき言った通りよ。人魚の私じゃカイセイと暮らせないわ。海に帰るしかないの」
「繰り返しになるけどよ。いいのか?」
「私の答えも繰り返しになるわ」
アウラを浜辺へと下ろせば彼女は荒波の中へと泳ぎだしていく。
「でもねルシアン。あなたにだけ伝えておくけれど、わたしは決して幸せになることを諦めたわけではないのよ? どんな手を使ってでも望みのものは手に入れる。グリムってそういう生き物でしょう?」
「あ? それってどういう――」
ルシアンの言葉を遮るように沖へと泳ぎだしたアウラが声を上げた。
「カイセイを頼むわね。私が幸せになるために必要な人なのだから」
そしてアウラは泳ぎだす。
目指すは女王とおそらくそのそばにいるだろう累とフィズだが、もっと明確に言えばフィズと二人だけで話す時間を作りたい。
そのためにも二人がどこにいるのかというのをしもべたちに確認する必要があるだろう。
アウラが思念を飛ばせばしもべたちから反応が返ってくる。
人魚の女王として海に住む特定のグリムは無条件で従ってくれるが、アウラにとって運がよかったのは母親の従えていたしもべがそのまま自分に従ってくれたことだ。
おかげでクラーケンという強大なグリムを従えることができたが、母親はほかに人魚ともう一種のグリムしかしもべにしていなかったので人手が足りず、仕方なしに魚人を生み出さなければいけない羽目になってしまった。
「当時の私の気持ちを考えればしもべを増やす気にもなれなかったのはわかるけれど、おかげで少し苦労したわ」
アウラはそう言って傷は癒えたが多少の違和感を感じる腹部を撫でた。
とはいえ多少の痛みと引き換えに目的が叶うならば望むところであるし、リスクを負ったおかげで計画はおおむね予定通りに進んでいる。
「累と別れたのはちょうどいいわ。でもそう。やっぱり強いのね」
累とフィズが二手に分かれ、新しく生み出した魚人はフィズを追っているらしい。
残った累はクラーケンと戦闘中であり、相手をしているクラーケンからは触腕を斬られて痛いという報告が返ってくる。
昨日確認したクラーケンの巨大さから考えると傷を負わせるだけでも偉業だ。
まさか倒されることはないと思いたいが、仮に累に殺されたとしても全く問題はない。
だがあまりに早く殺されてフィズと合流されては困るため、そのまま時間稼ぎをするようにと伝えておく。
「でも累は傷つけないでね。船と人間? そっちは別にどうでもいいわ。好きにして」
フィズとこれから交渉するというのに累を傷つけるなど絶対にあってはならない。
短い間でもあの魔女が自分の人形にとてつもない愛情を向けていることくらいアウラにもわかっていたからだ。
「フィズのほうはどう? 女王と会いそう? ならあなたたちは近くで隠れていて」
ここまでは順調だ。
あとは物語の通り、魔女が人魚の願いを叶えてくれるかどうかに賭けるしかない。
「あの時もこんな気持ちだったのかしら。それとも契約した時はまだカイセイと出会う前だからそうでもなかったのかしらね」
人魚の女王が次代の女王を産むには魚人ではなく人間とつがう必要がある。
魚人と子を作ったところで女王としての力を持たないただの人魚が生まれるだけで、女王としての力も過去の女王たちの記憶も引き継がれない。
だからこそアウラの母は魔女と契約して一時的に人間の足を手に入れたが、予想外に人間の男を愛してしまった。
「私という子を孕むことはできたけれど、その代償に愛を失ったのだから、結果的に言えば魔女と契約をしたのは失敗だったのかしら」
母親は魔女と契約した結果、一生手に入ることのない愛に苦しむことになった。
だが自分はそうならないという強い自信がアウラにはある。
「カイセイと出会えたことも、フィズと出会えたことも、そのフィズが私と似ていることも、私は本当に運がいいわ」
生まれた時から幸運しか訪れていない。
だが運に恵まれているからと胡坐をかいていればいつかはツキに見放されるものだ。
「問題ないわ。私はやるべきことしているもの」
訪れた運を掴み、決して逃がさないようここまでのことをしているのだ。
きっと最後もうまくいくに違いない。
アウラにはその確信があった。
「ふふふ、あははははははははは」
この海はもうすぐ真っ赤な血で染まる。
それが彼女の自由で幸福な未来の始まりだ。
明るい未来に胸が高鳴り、荒れ狂う海中を踊るようにしてアウラは笑い、そして歌った。
同胞への破滅の歌と、自分自身への祝福の歌を。
読んでいただきありがとうございます。
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