人魚⑬
「ルシアン」
「オッケー。任せな」
不和らしからぬ大声に大騒ぎしていた四人もさすがに異変に気が付き、累に声をかけられたルシアンがサングラスを外しながら不和とアウラへと駆け寄る。
近づいてみれば何かに嚙みつかれたような歯型や引き裂かれたような傷跡がアウラの体中についており、どの傷からも赤い血がとめどなくあふれていた。
「じいさんはそのままちょっと抱えててくれ。服をめくるぞ」
ルシアンがアウラの上着を脱がせると下半身に比べて上半身の傷は少ないようで、下半身は噛み跡や切り傷があったが、上半身は腹部に肉をそぎ落としたような傷跡があるのみだ。
とはいえその傷が一番深く、流れ出た血が着ていた服を真っ赤に染めていた。
「ど、どうするつもりなんだ?」
「安心しな。すぐ治すよ」
ルシアンの金色の瞳がアウラに向けられると、体中の傷が徐々にふさがっていく。
腹部にできた傷も見事に治癒され流れ出ていた血も収まり、アウラの苦痛に満ちた表情も驚きに変わり始めた。
「これは……」
「ルシアンの力っすよ。心配しなくて大丈夫っす」
「よし。これで問題ないだろ。幸いどれも急所は避けられてたから何とか助かったって感じだな。どうだ動けるか?」
「え、ええ。もう痛みもないわ。ありがとう」
不和は見るからに安堵した顔であり、対してアウラは自分が助かったことよりも傷跡一つ残っていないことに驚いているようだ。
「あんまり動かないほうがいいぜ。傷は治ったけど流れた血が戻ったわけじゃねぇからな。しばらく安静にしたほうがいい。前に傷が治ったからって動き回ったじいさんがそのあと倒れたことがあったからなぁ……」
「あの時は驚いたね……。ところでそんな傷だらけで、アウラさんにいったい何があったんすか?」
「そうだ。一体何があったんだアウラ。人魚たちに襲われたと言ったが……」
人魚というと昨日ここにいた人魚たちのことだろうか。
しかしあの人魚たちが崇拝しているアウラを傷つけるとは思えない。
そう考えていた累を肯定するようにアウラは軽く首を横に振って見せた。
「人魚といっても私の一族のじゃないわ。敵対する別のグループの人魚たちよ」
「となると早速人魚の争いに巻き込まれたってわけですか?」
「そうよ。あのあと私はあの子たちに縄張りへ連れて行ってもらったのだけど、そこを待ち伏せしていた別グループの女王とその配下の人魚に襲われたの。数ではこちらが負けていたし、女王としての力もまだ未熟な私では適わなかったわ。それにあちらの女王は海の怪物たちを従えていたから、ほとんど私たちは抵抗もできなかったの。私がこうして逃げてこられたのは一族の人魚たちが命懸けで逃がしてくれたから……」
次第に声は震え交じりになり、瞳にはうっすらと涙が浮かぶようになった。
出会ったばかりとは言え、仲間の人魚たちが抵抗もできずに殺されたというのは胸を裂くような思いだったに違いない。
それに残してきた人魚たちの安否が気になっているのだろう。
アウラはしきりに自分がやってきた海へと視線を向けていた。
「とにかくお前が無事でよかった。本当に良かった」
「カイセイ……私、ダメな女王ね。誰も守れなかったわ」
「仕方のない話だ。お前はまだ生まれて間もない。それにまだ彼女たちは生きている可能性だってあるじゃないか。諦めるな」
「ありがとうカイセイ。そのとおりね。まだ諦めてはいけないわね」
アウラの瞳が累へと向かった。
何か嫌な予感がするなと思うがもはやどうにでもなれと累も視線をそらさずにアウラの言葉を待つ。
「お願い累。狩人として人魚の女王を狩ってほしいの。そして私の仲間たちを助けてあげてほしい」
少し意外な部分もあったがおおむね予想していた通りの依頼内容だった。
しかしどうしたものか。
「いやでも人魚を狩るって、海の中っすよね? それはさすがに難しいんじゃ……」
「まぁ、やれないことはないけど」
そう累がつぶやくと、アウラの視線がまた海へと向かった。
何を気にしているのだろうとつられて視線を向けてみると、荒波とは明らかに異なった白波が浜辺へと向かってきている。
そして海面から飛び出すようにして現れたのは二足歩行で全身を鱗で覆われ両手には水かき、そして頭部は魚の頭と人魚とは明らかに異なる怪物だった。
「な、なんだあれは!?」
不和が驚いたように声を上げる。
それに応えるならば、その怪物の名は魚人だ。
別名でマーマンもしくは最近ではゲームなどの影響からサハギンと呼ばれることもある水生グリムである。
その魚人が感情のない濁った瞳をぐるりと回し、そしてアウラで視線を止める。
死んだ魚のような眼、と比喩で使われるが魚人の瞳はまさにそれだ。
不気味で近寄りがたい雰囲気を漂わせ、その場の全員が唐突な魚人の登場に呆気にとられている隙を突いたように、魚人が手に持った三又の槍をアウラへと向け襲い掛かり――
「チョコちゃん!」
ハクに呼ばれた大狼にその首を嚙みちぎられて倒れた。
「あ、と。襲われそうだったんでチョコちゃん呼んじゃいましたけど、アウラさんの知り合いとかじゃないっすよね?」
がふがふと魚人の頭をむさぼる狼を見つめながら、ハクが少し焦ったようにアウラへ問いかける。
確かにこれで実はアウラの友達とかでした、ではシャレにならない。
「安心して。知り合いどころか敵よ。助けてくれてありがとう」
「よかった。安心したっす」
「い、今のは何なんだ!?」
「魚人。人魚と同じように海で生活してるグリム」
そしてスロージアに聞いた話では人魚の女王が従えるしもべの一種だ。
「私たちを襲った人魚の女王が連れてきたの。ほかにも大勢連れてきていたわ。きっと私を追ってきたのね」
「そんな……頼む。このままではアウラが危ない。奴らを狩ってくれ!」
不和の焦りも理解できる。
こんなものが命を狙ってくるとわかれば平常心ではいられないだろう。
「わかった。もともと協会の依頼だから断るつもりはないし」
「いやでも海の中だぜ? さすがに無理じゃねぇか?」
「ハクとルシアンはここで待機して、アウラを襲ってくるのがいたら撃退して。人魚の女王は私とフィズで狩ってくる」
「それはいいっすけど。店長と先輩はどうやって海中に?」
フィズが袋を漁っていつもの手斧を取り出している。
ハクが例のバックパックに水着を入れておいてくれたおかげで、放り込んで放置していた武器もここにあるというのは運がいい。
ほかに使える武器はないかと累も一緒にバックパックを見てみたが、銃器は使えないので手斧くらいしかないようだ。
「斧だけでいいですか?」
「まぁ大丈夫でしょ」
さて、と累はアウラに向き直る。
魚人でも別に可能なのだが見た目が嫌なのでやはりここはアウラに頼むほうがいい。
それに魚人はチョコちゃんがもうほとんど平らげてしまっているので残っているのは残骸だけだ。
そんなにおなかが減っていたのだろうか。
「一応言っとくっすけど、ちゃんとご飯はあげてるっすよ」
機先を制されてしまった。
飼い主、と言っていいのかわからないがそのあたりのことはちゃんとやっているらしい。
ということは単にチョコちゃんが大食いなのか。
「まぁいいや。アウラ、ちょっと腕出して」
「いいけど。何かしら」
「海中で戦うのに必要だから、ちょっと痛いけど我慢して」
左手でアウラの腕を持ち、そのまま親指をアウラの腕へ沈みこませるようにして突き刺す。
「んっ――」
小さく苦痛の声が上がった。
そしてすぐに親指を離す。
少し血が出ているが先ほどの傷に比べれば大したものではない。
ルシアンに頼らずともすぐに傷がふさがるだろう。
「ありがとう。これだけあれば十分」
「……何をしたの?」
「少しオドをもらっただけ。見てて」
累は左腕に格納した人魚のオドが、体に流れる煌血液によって馴染んでいくのを感じた。
そしてほんの瞬きの間、そこにいたのは新たな人魚の姿だ。
上半身は累、しかし下半身は紛れもなく人魚である。
「ど、どういうことなの?」
「そういえば聞いたことあったけどこんなことできるんすね……」
「マジか! 初めて見たぜ!」
声の出せない不和も含めてフィズ以外が驚いているのは当然だろう。
不和とアウラには説明していないし、ハクとルシアンには初めて見せたのだから。
「私はグリムのオドを吸収して武器に付与したり自分自身に付与したりできるんだよね。だからこうすることもできる」
「累さんの人魚姿が見られるなんて今日はいい日ですね! 惜しむらくは雨が降ってることですけど……まぁこれもいいアクセントということで! 雨の中の人魚ってそれはそれで綺麗ですし!」
いつものカシャカシャ音を聞きながら、累は浜辺に寝ころびもぞもぞとしている。
なんというか人魚というよりは芋虫のようだ。
「あの、何してるんすか? せっかくの人魚姿が台無しなんすけど」
「いやこれ、意外と動くの難しくって……」
「あ~ん累さん可愛いですよ~」
ぴちぴちと打ち上げられた魚のように跳ねる累は人魚のイメージとかなり遠い。
まぁこれはこれで間抜けで可愛らしいのかフィズの写真を撮る手は止まらなかった。
「女王の居場所はどこ?」
「え? あ、えっと、ここから北にまっすぐ進むと小さな無人島があるわ。その付近よ」
「わかった。私は行くから、こっちはハクとルシアンに任せた」
「任されたけどよ、店長はともかく先輩は大丈夫なのかよ」
ルシアンの言葉にフィズは黙って笑みを向けると、止める間もなくそのまま荒れる海へと飛び込んでしまった。
そうしてそのすぐ後に現れたのは荒れた海から鮮やかに飛び上がる人魚の姿だ。
ただ累やアウラと異なるのは下半身が骨でくみ上げたようなものになっており、近くで見るとかなり禍々しく不気味だ。
「私を誰だと思ってるんですか? 魔女ですよ?」
「そういやそうだったな」
呆れたような声で納得したルシアン達を浜辺に残し、累は人魚というよりも生まれたてのアザラシもしくは卵から孵化したばかりのウミガメのようにして海へと入っていく。
「あぷ。わぷ」
「落ち着いてください累さん。人魚なら息できますから」
そうして少し慌ただしくも二人が海へと消えていくと、ハクが小さくため息をついた。
「うわーなんだろう。なんか店長の今の姿にきゅんとしちゃった。可愛いものが好きなんだよね、私」
「わからんでもないけど、ハクは結構あの二人に毒されてるよな」
「自覚はある」
ルシアンが背後を振り返ると不和とアウラがぽかんとした顔で座り込んでいる。
「まぁとにかくあの二人に任せてアタシらは雨宿りでもしてようぜ。グリムが出たら退治するから安心しな」
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