人魚⑫
沖縄へ来てから三日目のこの日は本来であればダイビングをして楽しむ予定だったのだが、いまだ止まぬ豪雨によってダイビング業者から中止の連絡が来てしまった。
意気消沈した四人が牛歩のような歩みで車に乗り込み向かったのは不和の家である。
本来の予定を台無しにされてなぜ仕事をしなければならないのか、と全員が思っているに違いない。
当然車内でも口数が少なく、車の窓を叩く雨の音だけが響く中、四人は昨日ぶりに不和の家へとたどり着いたのだった。
「すまないなこんな日に」
出迎えてくれた不和は昨日よりも少しやつれて見えた。
しかし不思議と瞳には力強い光が宿っている。
「約束したから」
「じゃあ車出しますけど、アウラはこんな天気なのに来れるんですかね?」
「必ず来てくれるとも。重ね重ね申し訳ないが連れて行ってくれるか」
申し訳なさそうに頭を下げる不和の頼みを断るつもりはなかった。
約束をしたからというのはもちろんあるが、もともとはカザリに頼まれた依頼でもあるし、断ったところで他にやれることもない。
暇つぶしというわけでもないが、累は気にしないでと告げてフィズは再開を約束した浜辺へと車を走らせた。
途中通り過ぎたビーチは、昨日は観光客で賑やかだったが今日は当然のように誰もない。
それどころかすれ違う車もいないなかしばらく走り続け、フィズは昨日と同じく目当ての浜辺近くで車を止めた。
「これだけ雨が強いと傘もほとんど意味ねぇな」
「ないよりはまし」
「不和さん、昨日と違って足元滑るから気を付けたほうがいいっすよ」
「ああ、ありがとう。まさかこんな天気になるとはな」
雨の強さは変わらず、外に出て歩けば滝の下にいるような気分だ。
かろうじて傘で雨をはじいて見せるものの、時折横殴りに吹き付ける風のせいで下半身はすでにかなり濡れてしまっている。
不和などは片手に杖、片手に傘を持っているせいでかなり歩きにくそうだ。
途中で見かねたルシアンが昨日のアウラのように不和を抱きかかえ、代わりにハクがルシアンに傘をかざすようになった。
「すまんな。助かった」
「勝手にやったことだから気にしないでいいぜ。それよりマジで雨やっべぇな。これアウラたちこれんのか?」
「ううむ……海の中がどうなってるか不安だ」
五人が昨日よりも時間をかけて浜辺にたどり着いたころには全員がほぼずぶ濡れの状態だった。
そして視界に広がる海は昨日の静けさと打って変わって音を立てた波が力強く浜辺を叩きつけている。
「アウラはいますか?」
「どうだろ。見えない」
勢いが強いせいで白波が立っており、昨日のように海が透き通っていないので人魚がそこにいるかどうかがわからない。
しかしアウラであればこちらを見つけるだろうと、五人はひとまず雨を避けられる場所へと身を隠すことになった。
ようやく一息ついたころには髪も服もびしょ濡れだ。
「服が肌に張り付いて気持ち悪いです」
「フィズ乾かし……いやすぐ濡れるか」
「そうですね。残念ながら」
「なんだか日がたつにつれて旅行が悪化してる気がする」
「まぁ、否定できないですね。今のところ」
こんなはずではなかったのに、と旅行に来てから何度思ったことか。
もっと楽しい思い出を増やしたいのにこれでは苦い思い出ばかりの旅行になってしまいそうで不安だ。
「ったくよぉ。これだけ濡れるのわかってたら水着でくればよかったぜ」
「……一応あるけど、水着」
ハクの言葉に不和を除いた全員が、「え?」という顔をして見せた。
「なんで?」
「いや昨日雨降ってたからプール入らなかったじゃないっすか。で、明日はダイビングだなって思って乾燥機に入れといた水着を全部バックパックに入れて車に放り込んどいたんすよ。ダイビングするときは水着いると思ったので」
「マジか」
「マジだよ」
三人の視線にハクはたじろいだように一歩下がった。
しかし三人はハクに怒ったりしているわけではない。
むしろその逆だ。
「ハク。えらい」
「え?」
「ルシアンこれ車のキーです」
「ゴー。ルシアン」
「任せろ!」
「え? え?」
車のキーを握りしめてもはや傘など持たずに全力で走り去っていくルシアンをハクが戸惑ったように見つめること数分。
姿が見えなくなってからさほど時間をかけずにいつものバックパックを抱えたルシアンが勢いよく戻ってきた。
「これだろ! 持ってきたぜ!」
「えらい」
「じゃ着替えますか。不和のおじいさんはちょっと見ないようにしていてください。これタオル貸してあげますから」
「あ、ああ……わかった」
タオルを渡された不和は体を拭きながら累たちから背を向けてくれた。
累たちはすぐさま濡れた服を投げ捨てるようにして脱いでいくが、そのスピード感についていけていないのはハクだ。
「え!? 水着に着替えるんすか!?」
「そう。どうせ濡れてるし」
「いやほんとに準備いいですねハクは。今までで一番、この店に連れてきてよかったなって思いましたよ」
「今のが一番だったんすか!?」
「ハクも着替えろよ。楽だぜ水着」
「いや、そうかもだけど……ああ、うん。私も着替える」
半ば諦めたような雰囲気でハクも濡れた服を脱ぎ捨て、例の競泳水着を身に着けた。
そして全員が初日ぶりの水着姿に代わると、もう何も怖くないとばかりにまずはルシアンが大雨の中に走り出していく。
次に累、フィズ、そしてハクだ。
「ひゃっほー! 水着なら雨も気持ちいいぜ!」
「これはこれで悪くない」
「荒れた海にも入ってみましょう! 奥までいかなければセーフでしょうし!」
「うわーなんか変なテンションになってきたっす! 子供の時に台風で興奮してたの思い出すなぁ!」
空から降りつける雨を全身で浴び、押し寄せる荒波に流されてもみくちゃになったり、それを見て笑ったり、四人は二日目のローテンションが嘘だったかというように、あるいはその分の反動が一気に押し寄せたかのように暴風雨の中で騒ぎ始めた。
照り付ける太陽のもとで泳ぐのも気持ちがいいものだが、これほどの悪天候の中で水遊びをするのは普通にはない快感がある。
もちろん通常は危険なので絶対にやってはいけないことなのだが、この四人はグリムなので危険など知ったことではない。
予定を潰されたことによる苛立ちをぶつけるようでもあったが、やけくそ気味に騒ぐとそれはそれで楽しいのかもはやここに来た目的など忘れているようでもあった。
そんな雨風に負けないような声ではしゃぐ四人を呆然と何か恐ろしいものでも見ているような面持ちなのは不和だ。
一人だけ現実に置いて行かれた彼は暴風雨の中で水着姿の美女たちが大騒ぎするという状況が理解できないのか、何度か頭を振ったり眼をこすり、これが幻でないと理解すると現実逃避したように視線を海へと逸らした。
「アウラが来たらどう言えばいいものか……」
アウラと大事な話があるというのに気まずくなっても嫌だなと思っていると、遠くにポツンと小さな人影が見えた。
最初は気のせいかもと思ったが次第にそれは大きくなり、不和の瞳に映ったのは間違いなくアウラの姿だ。
しかしより鮮明になったアウラの姿に不和の表情が変わった。
「アウラ!」
不和が声を上げる。
雨を気にもせずに波打ち際へと走り、そしてかろうじてといった様子でたどり着いたアウラを不和が抱き上げた。
「どうした!? 何があったんだ!」
不和が抱き上げたアウラは全身に傷を負い、海を赤く染めて息も絶え絶えといった様子だ。
そしてアウラは不和に出会えた喜びに一度ふっと笑みを浮かべ、次いで苦痛と悲しみに耐えるように顔を歪ませながら口を開いた。
「お、襲われたの……ほかの、人魚たちに。お願い、助けて……」
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