なり損ない⑧
「え……これ、この、累さんの、あなたがやったんですか?」
「黙ってろと言っただろうが」
呆けたようにつぶやくフィズに、老狩人はベルトから取り出したナイフを投げつけた。
先ほど累の額に突き立てたように静かで素早い必殺の投擲――それはフィズの額よりも前に白く華奢な掌へと突き刺さった。
掌から滴る血液とよく似た赤い液体。
星をちりばめたようにきらきらと輝くその液体の持ち主は倒れこんだ累である。
「累さん!」
「……やっぱり外面だけで中身は別物だな」
「いきなり……最悪」
「何が最悪だ。バカ言うんじゃねぇよ。それはこっちのセリフだ。……しかしその煌血液……機械人形、いや屍人形か?」
ぐんと奇妙なほど勢いよく体を起き上がらせた累は、掌と額に刺さったナイフを痛みなど感じていないかのように抜き取る。
額から流れる血のような液体は月明かりにきらきらと輝きながら累の整った顔をゆっくりと流れていき、薄い桜色の唇に触れると艶めかしい舌がそれをペロリと舐めとった。
「ほんと最悪だ。……もっと早く気付くべきだった。お前だな。狩人を三人も殺したのは」
「依頼が被ったみたいでな。よくあることだろう」
「よくあるけど、狩人に殺されたって隠すのがおかしい」
ほかの狩人が追っているとわかれば協会だって追加の派遣は取りやめて討伐されたかどうかの監視にとどめただろう。
そもそも協会の狩人だって命を懸けて依頼を奪うなんてことはしないはずだ。
「協会が気付かないようにしてたな」
言い終わるや否や、煌めく血の付いたナイフが累から投げ放たれる。
一本は老狩人、もう一本はなり損ないにめがけて。
だが老狩人は予想以上の俊敏さと動体視力で投げつけられた二本のナイフをそれぞれ片手で叩き落して見せた。
さらに累がショットガンに手をかけたことを察するや否や懐から小さな袋を取り出し空中へと投げつける。
中からあふれでたのは淡く光る青色の粉。
粉の一つ一つが瞬く間に大きな水滴へ膨れ上がるとすっかり累たちから老狩人が見えなくなってしまった。
「く、っそ……」
累は眼前に広がる無数の泡を見て、引き金を引きかけていた指を苛立ち交じりに収める。
空中に巻かれたのは水精霊の粉末と呼ばれる水精霊の力が宿った粉末で、本来は火を扱うグリムに対して使用される道具だが、今回の場合で言えば視界を遮る目的で使われたのだろう。
しっかりと役目を果たした水滴たちはしばらくすると大雨でも振ったかのように周囲に水をばらまき消えていく。
残ったのはびしょ濡れになった累とフィズだけで、老狩人となり損ないは姿を消していた。
「この……めちゃくちゃやりやがってぇ……」
地獄の窯の底から響き渡るようなどす黒い声である。
累が怒ることはそうそうないので相当腹に据えかねたのだろう。
月明りを反射する白髪をしっとりと濡らしたフィズは普段あまり見ない累の怒り顔がちょっと面白いのか口の端がにやけている。
「累さんを出し抜くなんて年寄りの割にはなかなかやりますね」
「……まぁ多分、普通に戦ったら向こうのが強い。年取った狩人は強い。普通そこまで生き残れない」
狩人の寿命は短い。
新人はすぐに死ぬし、ベテランになっても老いるまで生きられるのはほんの一握りだ。
その常識で考えればあの老狩人はかなりの腕を持っているに違いない。
実際ナイフを投げられた際は反応が遅れてフィズをかばうので精いっぱいだったし、状況にあった魔術具を瞬時に使って逃げた判断力の高さも尋常ではない。
「でも、逃がさない」
「逃がさないって、え? 追いかけられるんです?」
「うぇへへ、当然」
累は下卑た笑い声をあげながら、得意げな顔でフィズへと向き直る。
だがすぐにその顔が不快気に歪んだ。
濡れて重くなったジャケットにぴったりと体に張り付くシャツが気持ち悪い。
「服、乾かして。気持ち悪い。動きにくい」
「あ、じゃあ写真撮ってからでいいです?」
「……なんで?」
「なんでって濡れた累さんも素敵だからですけど」
フィズがスマートフォンを取り出してうきうきしていることに怒るべきか呆れるべきか。
なんだかどっと疲れてしまう。
「君らねぇ、何やってんのさ」
カザリが屋上に入って目についたのはびしょ濡れの女二人が仲良く自撮りをしているところである。
最も片方は死んだような目でぐったりしていたが。
「あ、カザリじゃないですか。なんでここに?」
「なり損ないの後始末だよ。下の階を見たけど、ずいぶん頑張ってくれたみたいだね。今回は事前情報が間違っていて悪かった」
「……本当に、ただの間違い?」
「おやおや疑ってるのかい?」
濡れた犬のような累から懐疑的な視線を向けられカザリは苦笑した。
「逆の立場だったら面倒な仕事を押し付けられたと私も思うだろうが、生憎と今回は本当にただの不手際なんだよ。私も巻き込まれたようなもんでね。協会関係者から話を聞いて君らに依頼をしたわけなんだが、私だって話を聞いた人間に文句を言ってやりたいくらいさ」
階下では協会関係者が遺体の掃除に情報封鎖と大わらわだ。
ビル丸ごと全員が被害者というのはかなり大規模な事件であり、事前に知っていればもちろん隠すことなく説明したし協会だって全力で支援した、というのがカザリの言い分である。
「遺体は屍鬼に喰われたようにずたずたに損壊していて、ぱっと見は誰がどう見たって屍鬼の仕業だって勘違いするほどだった。君らからなり損ないの話を聞いて再調査をしたら、遺体の一部に吸血された跡があってね。とはいってもずたずたになった肉片をつなぎ合わせてようやくわかる程度のものだから先に気付くのは相当に難しかったんだよ。だから勘違いするのも仕方ないさ。それでも腹が立つっていうなら、隠ぺいしようとした誰かに文句を言うべきだろう?」
「……事情はわかった。じゃあ狩人の遺体も調べておいて」
「狩人の? どうしてだい?」
面倒ながらも先ほどの老狩人の話を聞かせれば、カザリは眼鏡の奥の瞳を細めた。
「依頼のバッティングで殺し合いになったってんなら仕方ないけど、隠蔽までしたって?」
「そう。多分、狩人の死体も細工されてる」
「そこまでして自分がなり損ないを追ってるって隠したかったのか……いや隠したかったのはなり損ないが現れたってことか?」
おそらくその線が正しいだろう。
老狩人は死体に細工までして屍鬼の仕業だと思わせた。
狩人が殺されたのは、おそらく追っていたのがなり損ないだと知ってしまったせいで殺さざるを得なかったというところか。
「まぁ屍鬼ならともかく、なり損ないなら協会の狩人を招集して事に当たるレベルだからね」
「面倒な案件すぎる……」
「悪いと思ってるけど、私だって驚いてるよ」
累の視線に居心地悪そうなカザリだが、彼女も巻き込まれたようなものだし文句を言うなら老狩人のほうだろう。
とはいえ面倒に巻き込まれたのは事実で、その文句を言えない鬱憤というのはたまるものだ。
累は苛立ち紛れに水を吸って重くなった髪をかき上げる。
さっさと乾かしてほしいのだがフィズは先ほど撮った写真に夢中のようだ。
あれもそのうち自室の壁に飾られるのだろうが、そういうことは後回しにしてほしいところである。
すたすたと近寄って頭をはたくとフィズがきょとんとした顔でようやくスマートフォンから目を離した。
「フィズ。乾かして。あとカザリ。元凶のなり損ないはさっきの狩人が連れて逃げた」
「え? 仕留めるんじゃなくて連れて帰ったのかい? なんで? 誰の依頼で?」
「それ、全部私と同じ疑問」
全く同じ疑問を持ったカザリに口の端を吊り上げてせせら笑って見せてたら、少しばかり溜飲が下がった。
カザリは眉を寄せて何か考えているが、依頼主がどうのこうのなど累たちには関係がないし、なり損ないを始末すればすべて終わりだ。
すでに敵対している以上、老狩人が邪魔をするならまとめて始末すればいいだけの話である。
スマートフォンをしまったフィズが指先をなめらかに動かすと、空中に小さな魔法陣が描かれその後はあっという間に服や髪の毛が元の通りだ。
「ありがと。次はもう少し早くね」
「濡れても魅力的な累さんが悪いんですよ。でも次から気を付けます」
「あんまり期待できないな」
はぁっと口から出たため息で累は言葉を区切った。
ふと視線の先でカザリが不快気に目を細めているのが見えた。
しかしわずかに頬が赤く、じっとりと首筋に汗をかいているのがわかる。
「ここならともかく、街中で絶対に今みたいに魔術を使うんじゃないよ。フィズは普通じゃないんだからさ」
「わかってますよそれくらい。好きでもない人間に好意を持たれる気味の悪さは私が一番よく知ってますから」
フィズはいつものにこやかな笑顔だが、言葉の節々は冷たく瞳が笑っていない。
見据えられたカザリは居心地が悪いのか視線を逸らしてタバコを吸い始めた。
数回煙の出し入れを繰り返せば落ち着いたのか、頬の赤みや汗は引いたようだ。
「ああそうだ、逃げた狩人の外見や名前はわかるかい?」
「名前は知らない。外見は……フィズ」
「白人。額に傷。緑色の目。年齢は六十代後半で白髪、顎鬚ありって感じですかね。あとは累さんと私が人間じゃないってすぐに気づきましたよ。累さんの勘だと結構強いそうです」
「老狩人か。その年齢まで生きていてしかも現役ってのは少ないはずだ。調べてみよう」
説明するのが面倒だという累に変わって話すフィズの情報を聞いたカザリは、一つ頷くと煙草を携帯灰皿にしまい込んだ。




